第5話 人の可能性

「大罪人……?」


 クリスティアと名乗った彼女の言った言葉が理解できず、思わず聞き返す。


「ああ、聞いたことはないか? 遥か昔、恩恵ギフト至上主義に異を唱え、愚かにも神に逆らった罪で追放された、ある研究者の話を」


 言われて、ひとつ思い至る。

 いた。たったひとり、歴史に残る大罪人が。


(『剣魔』と『法魔』という、史上初の複数恩恵持ち。しかも、そのどちらもが剣士と魔導士の最高峰の恩恵とあって、ついた異名が『双魔』)


 たしか、百年以上前の人だったはずだ。

 俺も噂話程度でしか耳にしたことがない。


(この人が、あの……――)


 それ以上、言葉が出てこない。

 今、肉体があったらきっと喉は渇き切って、背中には冷や汗が滝のように流れているはずだ。


 ただ笑みを携えたまま座っているだけなのに、この威圧感プレッシャー

 彼女の放つ存在感にあてられた俺の脳が、うるさいぐらいに「彼女は本物だ」と告げている。


「確認は済んだか、少年?」


 ニヤリと口角を上げ、クリスティアは組んでいた手を解く。


「まあ、私にも私なりの事情があったわけだが……」


 言いつつ、彼女は席を立つ。


「それを伝えるためにも、ひとつ、場所を移そうか」


 ついてきてくれるか。

 そんな言葉すらもなく、彼女はただ「ついてこい」という背を見せて家の外へ。


 小鳥のさえずり、精霊たちの笑い声が響く森を歩く。

 こんな魔物蔓延る森の中では不自然なほど踏み固められた小路を抜け、さらに木々の奥へ奥へ。


 道すがら、クリスティアはこんなことを尋ねてきた。


「して、少年。お前のやりたいことは何だ?」


(……え?)


「剣の道に生きたのも、恩恵を授かったから。騎士を志したのも、両親を失って自分で稼ぐすべを得なければならなかったから」


 足を止め、言葉を区切る。

 そして、問う。


「ならば、お前は今まで“義務感”以外に、何かを得たことがあるのか?」


(義務感以外の、何か……)


 改めて考えると、『やりたいこと』なんて思いは今まで湧いたことがなかった気がする。

 でも、義務感だけで生きてきて、息苦しいなんて思ったこともないし、不便だったことも何もない。


(どうしてそんなことを……?)


 疑問符を浮かべる俺に、クリスティアは「ちょうどいい」と口の端を上げる。


「なら、お前に見せてやろう。“想いの力”というものを――」


 小路を行くと、そこは見上げるほどの大樹――世界樹の足元だった。

 その端々すら視界に捉えきれない極太の幹を見上げながら、クリスティアは過去を思い返すような口調で口を開いた。


「私はな、恩恵とは『生き方』ではなく『選択肢』だと思っているのだよ」


 彼女の真意がわからず、返す言葉に困る。


「今の世界は恩恵にその『生き方』を縛られている。たとえばそうだな……」


 ひとつ、指を立てて振り返る。


「『料理人』の恩恵を得た人間はシェフを目指すし、『鍛冶師』の恩恵を得た人間は鍛冶屋に勤める。もちろん、『剣聖』の恩恵を得た人間は騎士を志すわけだ」


 たしかに、それが今の世界だ。

 それに疑問を覚えたことなどない。


 けれど、彼女はそれではダメだと諭すように言葉を続ける。


「だが、それでは神の与えた役割通りの生き方しか許されない。そんなものはただの“呪い”さ」


 彼女は「だから、私はこの世界に異を唱えたのだ」と告げた。


 俺の生き方も、たしかに恩恵に縛られていた。

 いや、恩恵だけではなく、様々なものに。


(だけど、恩恵がなければ今の世界では……)


 今の社会では恩恵がなければ何も為すことができない。

 だから、恩恵のない者は疎まれ、蔑まれ、虐げられ、そして何より彼女の言う『縛られた生き方』すらも選べない。


 そんなもの、文字通りの“地獄”だ――。


「――それは違うな、少年」


 こちらの思考を読んだかのように、クリスティアが言葉を拾う。


「『恩恵がなければ、何もできない』……。そう思っているのだろう?」


 ふっ、と口の端を吊り上げ、彼女は頭上に生い茂る緑の葉を指さした。


「なら、ひとつ見せてやろう。恩恵がなくても……いや、恩恵がないからこそできること」


 区切り、こちらに視線を投げかける。

 彼女は挑戦的な笑みを携えていた。


「――人間と精霊のもつ“可能性”というものを」


 怪しげに笑みをつくってから、クリスティアは世界樹に向き直る。


「この世界樹は、葉っぱの一枚ですら鋼鉄を思わせるほどの頑強さを誇る」


 言って、ひらりと舞い降りてきた一枚の葉へ、腰に佩いた双剣を流水の如きよどみのない動きで振り抜く。


 ――綺麗だと、そう思った。


 剣の軌跡が空に描かれ、葉へ向かって一直線に線が走る。

 あまりにもブレのない剣筋に、俺は見惚れてしまった。


 自分がまだ『剣聖』の恩恵を手にしていた頃、ここまで澱みのない剣筋をなぞることができただろうか。

 いや、俺の身体ごと『剣聖』を掠め取ったあのユウヤという転生者ですら、ここまでの剣技は披露できないだろう。


 これこそが剣士の到達点なのだと、この瞬間、確信した。


(でも、そんな彼女の剣ですら傷ひとつ付けられていないのか……!?)


 ……ありえない。

 神の領域にまで足を踏み入れたほどの剣技を以てしても、ただの葉っぱ一枚を切断どころか一筋の傷すらもつけられないなんて。


「そう、これが世界樹。この世界を支え、人々の繁栄を助ける大樹さ」


 何者にも傷つけることはできない、と彼女は首を横に振る。

 そして、剣を収めると肩をすくめた。


「……まあ、恩恵の限界というやつだ。世界を支えるほどの力を持つ世界樹に対して、その葉っぱ一枚にすら私の剣技は届かない」


 今まで自分の見ていた世界が、どれほど矮小なものだったのか思い知らされる。


 じゃあ、それでは彼女の言う『可能性』とは何だ……?


 今見せられたものは、どちらかと言えば『可能性』というよりも『限界』だ。

 なら、その『可能性』とはいったい――。


「――さあ、本題だ」


 彼女はニヤリと口の端を上げると、近くに浮かんでいた精霊に声をかける。


「あの伸びている枝を一本、切り取らせて貰ってもいいか?」

『うーん……』


 腕を組んだ体勢のまま宙でグルグルと回ると、精霊は一度大きく頷いた。


『うん、はしっこの伸びすぎているところならおっけ~!』

「ああ、感謝する」


 精霊の頭を撫でてやってから、もう一度世界樹と向き合う。

 そして、背中越しの俺に告げた。


「見ていろ、これこそが人間と精霊の可能性――『精霊魔法』だ」


 再び、双剣を抜き放つ動きをつくる。

 剣閃が宙に描かれ、世界樹の枝へと一直線に走り抜ける。

 先ほどは同様の鋭い切れ味をもつ一閃ですら、葉に傷を刻めなかった。


 だが、今度は違う。

 剣が魔力を纏い光り輝き、振り抜かれた剣の軌跡はそのまま“飛ぶ斬撃”として衝撃波を伴って枝へと駆ける。


 ――そして、斬撃は何の抵抗もなく、鋼鉄を遥かに凌ぐ枝を切り落とした。


(なっ……!?)


 しかし、それだけでは終わらない。

 自由落下を得る枝に対して、幾重にも重ねられた銀閃が走る。


 それが大地に触れた頃には、すでに枝は人の形――つまり、人形の姿をしていた。

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