第4話 クリスティア・エッジワース

「――珍しいな、ここに客人とは」


 一瞬、何が起こっているのかわからなかった。


(この森の中に、人が……?)


 ありえない。

 ここは一見穏やかな楽園のように見えるが、実際は凶悪な魔物が蔓延る大樹海の奥深くの森だ。

 こんなところにただの人が足を踏み入れようものなら、一瞬で白骨死体行きだ。


「ほうら、散った散った」

『ぶーぶー!』

『こうぎします! あなたはわるいひとですっ!』

「はいはい、わかったわかった。後で遊んでやるから」

『わーいわーい!』

『べんごします! あなたはとてもいいひとです!』


 だけど、目の前で精霊たちと戯れる女性からは魔物を超える凶暴さも、邪悪さも感じられなかった。


「で、精霊たちに囲まれてくたくたになったお前が……」


 ぐっといきなり近づけられた顔に、思わず身体が跳ねる。


「おい、動くな動くな」


 ぴょんぴょん飛び跳ねているところを掴まれて押さえられる。


 自分を真剣に見つめる瞳は、髪より少しだけ薄い透き通った紫。

 まるでガラス細工を見ているように感じる。


 しばらくその透明な紫の瞳に見つめられた後、まだ名も知らぬ彼女は顔を離して一度大きく頷いた。


「……うん、人間だな」


 その言葉に驚きを隠せず、また身体がビクッと跳ねてしまう。


(いったい何者なんだ、この人は……!?)


 魔物の群れが巣食うこの森の奥地に住み、精霊や魂が見えるだけでなく、その魂が元人間であることまで言い当てた。

 外見の情報以外まったく何もわからない、得体のしれない存在。


 それが俺のこの女性に対する第一印象だった。


「何者か……。その質問も久方ぶりだ」


 だけど、と続ける。


「ここじゃあ、この子たちが騒がしくてな。落ち着いて話もできやしない」

『あはは~、ボクたちげんきっ!』

『さあ、キミも一緒にとびはねよ~!』


 周りをぴょんぴょん飛び跳ねる精霊たちを見て、理解する。

 たしかに、ここじゃあ静かにゆっくり話すこともできないだろうな……。


「というわけだ。私の家にご招待しよう」


 ご招待、なんて聞こえの良いセリフを吐きながらも、謎の女性の手は俺の魂をがっしりと包み込み、逃げられないようにしている。

 もはや、これでは連行……いや、出荷を待つ家畜の気分だ。


「さあ、行こうか」


 その声を合図に、彼女は木々の間にできた細い道へと足を向けた。


 森の小路を抜けて少しすると、その先に二階建ての建物が見えてくる。


「ようこそ、我が家へ」


 案内されるまま入った部屋は、どこか生活感のない感じがした。


 テーブルは綺麗なままで、壁にだってシミひとつ見当たらない。

 棚に並べられた食器も数は少ないものの、そのどれもが純白。


 あまりにも現実離れした新品同然の綺麗さを保つ品々に、思わず声が漏れた。


「綺麗だろう? まあ、精霊がやってくれているだけなんだがな」


 すると、精霊たちがティーカップとポットを持って、こちらに飛んでくる。

 慣れた手つきでテキパキと働く精霊たちを眺めながら、彼女は静かに椅子へ腰かける。


「さあ、事情を聞かせてもらおうかな? お前は何者で、どうしてこんな辺鄙な場所に迷い込んだのか。余すことなくすべてを」


 手を組んで、机に肘をつく。

 射貫くような視線に背筋がぞくりとしながらも、ゆっくりと事情を口にしてゆく。


 幼い頃に両親を亡くしたこと。

 それから必死に技を磨き、王国騎士団に入ったこと。

 騎士になって最初の任務で死の淵に立たされたこと。

 そして、神を名乗る存在と転生者によって、自分の肉体を追われてこうして魂だけの姿になってしまったこと。


(――……と、そんな感じで気づけば魂になってさ迷っていて、この森にたどり着いてしまった、と)


 すべてを話し終えた頃には、すでに彼女は二杯目の紅茶に口をつけるところだった。


「……なるほど。ファクティスにまんまとしてやられたわけだ」


 ひとり納得がいったように、手を打つ。

 だけど、こっちは何もわからないままだ。


 すると、彼女は「ちゃんと説明するからそんな不機嫌を垂れ流すな」と鼻で笑った。


「まあ、端的に言えばお前は“自称”神サマに嵌められたというわけだ」


(“自称”神様? 嵌められた……?)


 いまいち話が見えてこない。


「ああ、あのファクティスとかいう輩は、お前らが言うところの『恩恵』を配っている神さ。あいつは自分の意に沿わないやつを、思い通りになるやつにすげ替えているってわけだ」


 そして、俺を指さす。


「――お前が転生者に身体を奪われたようにな」


 その言葉に、思わず息を呑んだ。


「思いはしなかったか? 今まで生きてくる中で、あの『恩恵』とやらがおかしいと」


 質問の意味がわからず、言葉に詰まる。

 それでも彼女は意に介することなく、続く言葉を口にする。


「『恩恵』ってのは実のところ、ファクティスが自身の目的のために各人間に役割を与えて統制するためのもの……」


 つまり、と結論を述べた。


「この世界を使って、盛大で傍迷惑なをしているってことだ」


 肩をすくめながら話す軽い口調と、あまりにも衝撃的な言葉のギャップに、頭が混乱しそうになる。

 だけど、それに飽き足らず次々と彼女は真実を告げ続ける。


「そこで自分の意に沿わない自我を持った奴がいれば、他の世界からの転生者と中身をすげ替えて、元の宿主には『さようなら』ってな」


 そこでようやく理解した。

 彼女がついさっき口にした「嵌められた」という言葉の意味を。


(世界規模のの被害者、か……)


 まったく笑えない話だ。


 ファクティスの意に沿わなかった――。


 そんな下らない理由で、両親から貰った自分の肉体を追われただなんて、心の底から怒りが湧き上がってくる。


「さあ、少年。今、お前が置かれている状況が少しは理解できたか?」


 ニヤリと口角を上げながら、彼女は机に肘をつき、こちらに視線を向ける。


(なんとなく、わかってきた……気がする……)


 あまりにも突飛な話だけに、すぐにすべてを理解して、すべてを信じるなんていうのは無理がある。

 だけど、彼女の告げた真実の信憑性を、ここにいる俺自身が高めてしまっている。

 ファクティスの策略によって、入れ物を失い中身だけで揺蕩う魂にされてしまった、という事実が。


(……そうだな。信じてみようか)


 こんな今にも消え入りそうな魂に対して嘘を吹き込む意味はないだろう。

 それに、こっちだって嘘を教えられても、その情報を吹聴することだって今の身体じゃできやしない。


 だから、ひとまず信じてみよう。

 裏切られたって、もう何も失うものなんて俺にはないのだから。


「ふふっ、心が決まったか、少年?」


 満足そうに微笑む彼女を見て、ふと思う。


 ――この人は何者なんだ、と。


(そうだ。どうしてただの人間がこんな大樹海の奥深くまで到達できて、どうしてこの世界の“裏側”をこんなにも知っているんだ……?)


 こっちの緊張感が高まっていることなんてまったく気にも留めず、彼女は余裕の笑みを口元に携えている。


「ああ、そういえばまだ名乗っていなかったな」


 短く笑い、椅子から立ち上がる。

 そして、彼女は揺れるアメジストを思わせる髪を払い、悠然と名乗りを上げた。


「私はクリスティア・エッジワース。大昔、王国を追放された大罪人さ――」

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