第29話 真実と痛み
ほたるは真っ暗な部屋で布団の上に寝転がり、天井を見上げていた。
開け放った窓から、わずかに潮風が入り込んでくるほたるの部屋。
眠れないのは蒸し暑さのせいだけでは無かった。
今日テルの父親から聞かされた話。
ほたると源三の排せつ物を調べて分かったことだが、その中のいくつかの腸内細菌が、あのバクテリアの活動を無害化している可能性が高いことに行きついたと聞かされた。
そして源三のものよりもほたるの排せつ物から、より多く活性化しているその腸内細菌がたくさん見つかったのだった。
ほたるが普通に持っているその腸内細菌は、カイロンの母星では存在しない特別なものらしい。
バクテリアに対抗できる細菌を培養して移植すれば、今直面している病気を治せる可能性があるとカイロンは言っていた。
「それは良かったんだけど……」
ほたるはぼそりと呟いて寝返りを打った。
そしてそのあとに交わしたカイロンとの会話をほたるは反芻していた。
「これで一安心だな。そんであんたは用事が済んだら帰ってしまうのか?」
源三が訊くとカイロンは頷いた。
「はい。もう数日中にはこの成果を持って帰ります。申し訳ないのですがあと幾つかサンプルを採らせてもらえないでしょうか」
「ああ、ええよ。毎朝出た分を持ってくる」
「えー、まだ要るの? やだなー」
ほたるはまた渋りだした。
「あと、二回分だけ。ね、ほたるちゃん」
「嫌だけど、頑張ります……」
ここまで来たら断れなかったほたるだった。
「ねえ、カイロンさん」
「うん、何だい?」
「ちょっとテルのことで教えて欲しいことがあるの」
「あいつの? えっと何かな?」
ほたるは昨日の電話で、テルが自分には時間がないのだと言っていたのが引っ掛かっていたのだった。
その話をしたところ、カイロンも昨日のテルと同じ様に口ごもってしまった。
「ごめん、ほたるちゃん。そのことを話すわけにはいかないんだ」
「テルもそう言ってました。でも気になるの。テル、その話をした時とても辛そうだったから」
「君に伝えるべきではないとても複雑なことなんだ。それに触れてしまえば大変なことになりかねない程の」
「それでも知りたいの」
しつこく食い下がろうとするほたるに、流石の源三も止めに入った。
「なあ、ほたる、なんか理由があるんだ。カイロンさんも困ってるじゃないか」
「おじいちゃんは黙ってて」
ほたるはどうしても引き下がれなかった。テルのあの沈んだ声がいつまでも耳に残っていたからだった。
「どうしても知りたいんです。何か私に出来ることがあるんならしてあげたいんです。大切な友達のために」
「ほたるちゃん、君って子は……」
ほたるのひと言が、少年の父親の心を打ったのは間違いなかった。
カイロンはそっとほたるの手を取った。
「ありがとう。テルは君みたいな友達と巡り合えて本当に幸せ者だ」
ほたるの手にぽとりと雫が落ちた。
カイロンの目から落ちた涙だった。
「ごめんよ。つい」
カイロンはほたるの手に落ちた雫を拭いた。
「話したとしても何も変わらないことなのだが、テルの親友である君には聞く権利がある。そして私も聞いて欲しいんだ」
そしてカイロンはテルの秘密を打ち明けたのだった。
「テルはもうこの世にいないんだ」
ほたるの呼吸が一瞬止まった。
「そんな、そんなことある筈無い。昨日だってテルと話をしたわ。今日も詩織ちゃんと話してるはずよ」
「君はテルから銀河コミュニケーションのことを聞いているね」
「ええ、恒星間通信を可能にする技術だって」
「テルは言わなかったかい? 情報をタイムリープさせていると」
「ええ、そう言ってたわ。過去同士を繋ぐと……」
自分で言ってからほたるは眼を大きく見開いた。
「気付いたかい。君と繋がった過去はテルが生きていた時の過去なんだ」
「そんな、そんなわけない。テルと私はいっぱい話をしたの。泳ぎだって教えてくれたのよ!」
激情に駆られるように話し続けるほたるの言葉を、カイロンはただ聞いていた。その表情には、ほたる以上に悲痛さが滲んでいた。
「カイロンさんが見つかった時もすごい喜んでた。私が電話に出なかった時もずっと心配してくれてた。昨日だってもうすぐお別れだって寂しそうにしてたんだから!」
「勿論テルは自分の死のことを今は知らない。ただ可能性の低い手術を控えていて、君にそのことを話したくないから、それとなく別れの話をしたのだと思う」
現実を受け入れられないほたるの目には、いつの間にか大粒の涙が溢れていた。
「嘘だ! 嘘だ! 私は信じない!」
痛みを吐き出すように、震えながら言い放ったほたるの肩に源三の手が置かれた。
「もうええ。お前はようやったよ」
「嘘だ! うそだ!」
泣きじゃくりながらほたるは源三にしがみついた。
大声を上げて泣き叫ぶほたるの頭を、それから源三はずっと撫でてやったのだった。
真っ暗な部屋の中で天井を見上げながら、ほたるはまた涙を流していた。
涙が枯れ果てることなどあるのかというぐらい、ほたるはずっと泣いていた。
テル……。
テルの父カイロンはこう言っていた。
テルはあのバクテリアに犯された大勢の子供たちの一人だった。
成長期になれば免疫が暴走し死に至る病。成長を遅らせるホルモンを投与しながら、その時が来るのを待つだけの生活を送っていた。
種の存続をかけて、カイロンの星が同じルーツを持つ生命体の住む地球に研究者を派遣した時点で、テルにはもうあまり時間は残っていなかった。
そして地球に到着し、調査を始めた頃、母星からカイロンにある連絡が入ったのだった。
それは通常の恒星間通話よりも速く情報を届ける特別回線で、緊急の時にだけ使用されるものだった。
その緊急の要件とは、現時点での唯一の治療法を、母星に残してきたテルが受けられるという内容だった。
健康な大人の臓器移植。
成長期が訪れる前に大人の臓器を移植し、免疫の暴走を避ける手術だった。
臓器提供する者も、適合する臓器も数少ない中で、奇跡的にテルに適合する臓器が手に入ったのだという知らせだった。
しかしその手術の成功確率は20パーセントを切っていた。つまり手術しても5人に1人しか助からない。そして成功したとしても薬の投与を続けなければならず普通の生活は一生送れない。
生か死かの選択を強いられて、選ばざるを得ない選択肢だと言えた。
それでも殆どの子供たちが受けることのできない臓器移植を、受けられるというだけで幸運だと言えた。
まだ何の手掛かりなく、先の見えないバクテリアの調査をしていた時に届いたメッセージだった。
そしてカイロンはその時、最良の選択をした。
その結果手術は成功したものの、数時間後に臓器不全に陥り、テルはこの世を去ったのだった。
過去を繋ぐあの電話よりもずっと早く、特別回線によってカイロンは息子の死を知った。
そしてあらかじめ、遠く離れた親子を繋ぐために設置していたあの電話だけが、皮肉にも生前のテルと、先に息子の死を知った父とを繋ぐものとして存在することとなったのだった。
テル……。
またほたるの目から涙が溢れだしてきた。
三日後の電話が最後だとカイロンには告げられた。
その電話を最後にテルは手術室に入り、もう話すことは出来ないのだと。
ほたるは到底その現実を受け入れられなかった。
そしてタイムトラベルを題材に扱ったアニメやドラマで取り上げられている、あることを訊いたのだった。
「過去のテルに警告して手術を受けさせなければ、未来が変わって助かる可能性だってあるんじゃないの?」
きっとそのひと言は、カイロンにとって最も重い言葉だった。
「ほたるちゃん、よく聞いてくれ。銀河コミュニケーションサービスが情報のタイムリープに成功した時にそのことが問題になった。つまり未来の情報を過去に伝えることで、パラドックスが生まれる可能性に言及したんだ」
「パラドックス?」
「そう、パラドックスだ。つまり未来の情報で過去が変わってしまい、それがまた未来に影響を及ぼす連鎖のとこだよ。そして銀河コミュニケーションサービスが徹底したのが、生命の生死にかかわることの情報封鎖なんだ。死を迎える運命の者を生き永らえさせることを神の領域に踏み込む冒涜であると徹底的に排除したんだ。つまり我々が銀河コミュニケーションサービスを使って誰かを救おうとしても管理者である人工知能によって完全に排除されてしまうんだ」
「そんな、何か方法は無いの? 何かテルに知らせる方法は」
「残念ながら不可能なんだ。そしてそれは決してやってはいけないことなんだ。ごめんよ」
ほたるにとって重すぎるひと言。
しかし父親であるカイロンには想像もできない程、重いものだったに違いない。
思い返したほたるの胸はとても痛かった。
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