第28話 少女の想いと少年の心

 午前中の水泳教室を終えて詩織と分かれたあと、ほたるは眩しい日差しの中、タバコ屋の前を通りがかり自転車を停めた。


「今日は休みか……」


 夏休みに入ってから、通学する子供たちがいないせいか、タバコ屋は閉まっている日が多かった。

 ガラス戸が閉じたままのタバコ屋で、カウンターの上にあるピンクの電話だけが店の看板として仕事をしていた。

 長く真っ直ぐに続く県道には、正午過ぎの高い日差しを避けれる日陰も無い。

 ほたるは自転車に跨ったまま、そこから見える白砂の海へと目を向ける。


 昨日したテルとの会話。

 ほたるの耳には、あの寂し気なテルの声がずっと残ったままだった。


「どうして言えないの……」


 何か事情があるのだろうが、それを口に出来なかったテルは、ただごめんとだけほたるに告げた。

 ほたるは夢中で走り回っていたこの数日の日々を回想していた。

 テルの父親を探し回って病院を突き止めたのから始まり、おじいちゃんの手を借りて探査船を浮上させ、そして自分のとても恥ずかしいブツをサンプルとして手渡した。


「はー」


 ため息を一つついて、そこから見える透明度の高い海を眺める。

 ほたるはもう気付いていた。


 そう、私が頑張っていたのはたった一つの理由だった。

 私はあの少年の明るい声が聴きたかっただけなんだ。


 潮風の吹く海沿いの県道で、ほたるは遠い波の向こうに目を向ける。

 そして波の向こうに届くような声で少女は叫んだ。


「テルーーー!」


 遠い銀河に声を届ける電話機。

 そんなものでしか声を届けられないのが悲しかった。

 少年の名を叫んだ少女の声は、どこへも届くことなく波の音にかき消された。



 源三の携帯電話に着信があったのは、その日の遅い午後だった。

 カイロンからの連絡を受けて、源三とほたるは、すぐにあの探査船を沈めてある海域に近い岬までやってきた。

 テルの電話は今日は詩織が受けてくれる予定になっていた。

 夕闇迫る時間帯、指定された場所で待っていると、何も無いと思っていた空間にいきなり探査船が姿を現した。


「多分そうかなって思ってたけど、やっぱりびっくりしちゃった」

「わしもまた寿命が縮んだよ」


 胸に手を当てドキドキしていたほたるの前で探査船のハッチが開き、杖を突きながらカイロンが降りてきた。


「すみません。ご足労頂いて」


 さらに無精ひげが伸びた様子のカイロンが笑顔を見せた。

 寝る間も惜しんで研究に没頭していた感じだった。


「で、どうでしたかな?」

「はい。それを真っ先にお二人にお伝えしなければと思いましてね」


 カイロンは船のハッチを閉じると、またあのケースを捜査して探査船を消した。依然そこにある筈だが擬態した探査船は完璧に風景に溶け込んでいた。


「で、どうだったんですか?」


 ほたるは早く結果を知りたくてカイロンを急かす。


「うん、結果はね……」


 夕闇迫る海の見える岬で、ほたると源三はとても重大な話を聞かされた。

 ずっとずっと遠い銀河で待つ、見知らぬ子供たち。

 二人に聞かせたカイロンの話は、その遠い銀河の星に一筋の光を届ける希望に満ちたものだった。



 詩織は少しの緊張と大きなときめきを胸に、電話の前に立つ。


 リリリリリ。


「はい、もしもし」

「あ、詩織ちゃん」

「うん。私。今日は私の番なんだ。ほたるちゃんはなんだか忙しくって」

「そうなんだ。それで今日はどうだったの?」

「えっとね、今日はね……」


 詩織は午前中の水泳教室についての話をテルに聞かせた。

 自分の話をいつも新鮮な感じで、一生懸命聞いてくれる電話の向こうの少年。

 詩織はふと、自分の話よりも、少年のことを深く知りたいと思った。

 毎回、他愛のない話ばかりなのに、今日の詩織は自分でもどうかしているんじゃないかという質問を少年にしたのだった。


「テル君って、ほたるちゃんのことどう思ってるの」


 唐突にされた質問に、明らかに動揺している感じが伝わって来た。


「え、ど、どうしたの急に」

「いや、その、何となくフッと聞きたくなっちゃったと言うか……」


 詩織は少し自分でもどうかしていると感じていた。

 電話の向こうの少年を、自分は異性として意識し始めている。

 今日一緒に水泳教室に行ったほたるとの帰り道、恒例のアイスを食べながら少年の話をしていた時に、そう強く感じてしまったのだった。

 仲良しのほたるが、少年をテルと呼ぶ度に少し嫉妬してしまう。


 ほたるちゃんはテル君のことどう思ってるんだろう。


 駄菓子屋の前で、すぐに溶けてしまうアイスを急いで食べながらそんなことを考えてしまった。

 そしてほたるに投げかけられなかった質問を、今電話越しの少年に訊いてしまっていた。


「ほたるは大切な友達だよ」


 詩織の聞きたかった答では無かった。


「うん、それは分かってるよ。私もそうだから」

「えっと、じゃあ他に何と答えたらいいのかな……」


 また少年は口ごもる。何と言っていいのか困り果てている感じに、詩織はそれ以上のことを訊けなくなった。


「そうだよね。それ以外ないよね、私ったら何言ってるんだろう」

「うん。本当にほたるは誰にでも自慢できるすごい女の子なんだ。君だってそう思っているんじゃないのかい」

「うん。ほたるちゃんはすごいよ。人間機関車って陰で言われてる」

「人間機関車って?」

「えっと、走り出したら止まらない、すごい馬力っていう意味だよ」

「ああ、それなら分かるよ。確かに誰も止められない勢いがあるよね」


 けっこう可笑しかったのか、少年の笑い声が受話器越しに聴こえて来た。


「そうなの。男子にだって平気で噛みついていくし」

「僕だって何度か怒られてるよ。男子はみんな敵なんだって」

「それいっつも言ってる。テル君にもそんな感じなんだ」

「ね、酷いだろ。こっちの気も知らないで……」


 少年はきっと口を滑らせたのだろう。わずかに本心が顔を覗かせたのを詩織は聞き逃さなかった。


「好きなんだね。ほたるちゃんのこと」


 詩織の問いかけに少年は応えられない。

 しばらくして恥ずかし気な声が聴こえてきた。


「ほたるには言わないで……」


 詩織は目を閉じて唇を結んだ。

 そして大きく息を吐いてこう言ったのだった。


「うん、言わないよ。テル君が自分から言いなよ」


 知りたくて知りたくなかったこと。

 詩織は電話を切ったあと、高い空に瞬き始めた明るい星を見上げてもう一度大きく息を吐いた。

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