第26話 乙女の恥じらい
無事に探査船を浮上させてから、信八に船を返し終えたその後。
気の利いた店も殆ど無い、漁港の周辺に唯一ある喫茶店で、ほたるたちはひと息ついていた。
大仕事をこなしてくれた源三とほたるに心ばかりのお礼をと、丁度お昼時だったこともあり、カイロンが二人を昼食に誘ったのだった。
源三の昔馴染みのおばさんが一人で切り盛りしているこの喫茶店は、いまだに昭和の香りがプンプン漂っていた。
かなり太った愛想だけはある五十代くらいのおばさんは、源三が言うには、昔はたいそう美人で引く手あまただったらしい。
注文を取りに来たおばさんは、営業用ではなさそうな人懐こい笑みを浮かべて源三に声を掛けた。
「源三さん久しぶり」
「ああ、ミヨちゃん。しばらくだったな」
源三が漁師を引退したのは五年前。漁に出ていた時はこの店によく来ていたらしい。
「ほたるちゃんもちょっと見ない間に大きくなったわね。すっかり女の子って感じじゃない」
「へへへへ」
愛想だと分かりつつも、ほたるの心はちょっとくすぐられてしまった。
あまり選択肢のないランチメニューからさっさと注文を済ませると、奥の厨房におばさんが入って行ったのを確認して、ほたるはカイロンに質問を投げかけた。
「ねえ、カイロンさん、さっき探査船で話したあの二人が言ってたことって何なの?」
店の中には誰も他の客はいなかったが、ほたるはいつもより少し声のトーンを落として尋ねた。
「ああ、あれね、まあ、ちょっと調査が行き詰まってるんだ」
「行き詰まってるって? そりゃあ、何とかしないといけないな」
源三は氷の浮かんだグラスの水を飲みながら、カイロンの話を真面目な顔で聞いている。
「ねえ、カイロンさん、探査船も引き上げたし、乗り掛かった舟って言うしさ、私たちでこのあとの調査もお手伝いさせてよ」
「乗り掛かった舟って?」
「そう言うと思った。つまり乗った船が出発してしまってもう下船できないってこと。途中で止められないってことの例えね」
「成る程。そういうことか」
ことわざについてカイロンは感心しつつ理解をしたようだ。
「できることなら何でも手伝うわ。テルの為にも」
「おお、よう言うた。さすがわしの孫だ。ほんならわしも引き続き手伝うことにするかの」
「源三さん、ほたるちゃん……」
カイロンは少し目頭を赤くして何度か頷いた。
「ここにきてあなた方に出会えたのはきっと運命なんでしょうね。本来なら連邦に加盟していない星の人とこういう形で接触してしまってはいけない決まりなのですが、そうも言ってられない状態です。是非力をお貸しください」
今回のことで源三とほたるはカイロンの信頼を十二分に得たのだろう。カイロンは心を決めたように話しだした。
「ほたるちゃんには以前話をしたと思うけど、我々の星はあるバクテリアの脅威に直面しているんだ」
「ええ、子供の頃に感染して、成長期に入ったら発症するって言ってましたね」
「そのバクテリアなんだけど、これまでの調査でこの地球上のあらゆるところに存在することが分かったんだ」
「えっ? 殺人バクテリアがあっちこっちにいるってこと?」
それを聞いてほたるは青くなった。
「間違いない。同じバクテリアだけでなく、変異したもっと強力なやつが調べただけで1万種以上生息していた」
「それってもうヤバいってこと?」
「いや、我々からしたらそうなんだけど、不思議なことにこの星の人は誰一人発症していない。殺人バクテリアと完璧に共生できている。信じられないことだが事実だ」
「なあに? 私たちは丈夫だってこと?」
カイロンは不思議そうな顔をするほたるに、どう分かり易く説明しようかと考えている様だ。
「えっと、そうだね、君たちの体と我々の体は特に違いは無いんだ。でも免疫を司るシステムというのは複雑でね、恐らく、というかまず間違いなく、君たちのそのシステムは殺人バクテリアに上手く対応していて、暴走を防いでいるんだ」
「なんか難しい話だの。食いもんとかで予防できる話か?」
「源三さんの言うとおり、そうかも知れません。食事などで体内に入れている何らかのものが抑制しているのかも知れません」
正解に近かったことをたまたま言った源三は、ちょっと嬉しそうだった。
「その辺りのことを、実際この星で生活している人に協力してもらって解き明かしていきたいんです。それさえ解明できれば、きっと大勢の子供たちを助けることができる」
熱く語るカイロンに、ほたるは少し不安げな顔で尋ねた。
「人体実験とかするんじゃないですよね」
以前ちょっとテレビで観たオカルト風な内容を、ほたるは鮮明に覚えていた。
「いや、まさか、そんなことを二人にお願いしたりなんかしないよ。まだ入手できていないこの星の人にまつわるある物が欲しいんだけど、なかなか手に入りにくくってね」
「手に入りにくいって何? 髪の毛とか爪とか? あっ、血ね。血はちょっと怖いな」
ほたるは注射が苦手だった。
「わしはええよ。定期的に健康診断で血ぐらい抜かれとるからな」
青ざめるほたるに源三は余裕の表情だ。
「じゃあ、私もちょっとだけなら……」
源三に倣ってしぶしぶほたるもそう言った。
カイロンは怖がるほたるに、笑って手を振って見せた。
「血液はもう調査済みだよ。人間の血を吸った蚊をいっぱい捕まえて、あらゆるデータを採取済みなんだ」
「ホントに? なら良かった」
「髪の毛とか、皮膚とか、爪とか、唾液とか、そう言ったものは意外と簡単に手に入ったのでもう必要ないんだ」
「へー、じゃあ、あと何が必要なの?」
さっきまで注射されるのかと震え上がっていたほたるの表情は一変して、余裕すら窺えた。
一方、何故だかカイロンはちょっと言いにくそうに躊躇っている。
そしてとうとう、まだ手に入っていないものについて話した。
「あれなんだ。君達の排せつ物がまだ手に入っていないんだ」
そのひと言にほたるは眉をひそめた。
「この星の人たちが口にするものはある程度解析できたんだ。その中で体内に入った菌やウイルス、その他のものがどの程度人体に定着して影響しているのかを調べるために排泄されたものを調べたいんだ」
「検尿か? おしっこを取りたいってことか」
源三がそう言ったあとで、すぐさまカイロンは付け足した。
「それと固形の方もお願いします」
そのひと言でほたるは真っ赤になった。
「ムリムリムリ、無理! 花も恥じらう乙女になんてこと頼むのよ!」
「いや、検便に男も女も関係ないと思うけど」
「じゃあ、おじいちゃんに一任します。それでいいでしょ」
「いや、高齢の方と子供の新鮮な便が採取できれば、比較することで貴重なデータが取れるんだよ」
「どっからか探して来たらいいじゃない。私はお断りよ」
「いや、今時のトイレはすぐに流されていって便のサンプルを簡単には採れないんだよ。それと排泄したての新鮮なやつで調査したいんだ」
「無理なものは無理なんだって。他を当たって!」
「いや、協力してくれるって言ってたよね」
そして故郷の星のため、何とかサンプルを手に入れたいカイロンと、乙女の名誉のため、一歩も譲れないほたるとの折衝が始まったのだった。
「絶対ヤダ!」
「そこをなんとか」
顔を真っ赤にしてお断りしているほたるに、カイロンは必死で食い下がる。
「お願いします。君達のことわざで、乗り掛かった舟だと思って引き受けてもらえないだろうか」
「無理! 絶対無理なんだから!」
「なんだ、ほたる、ええじゃないか協力してやれよ」
「そうしてあげたいけど、これだけは無理なの!」
引くに引けない二人を前に、源三は腕を組んで何やら難しい顔で考えこむ。
しばらく二人が問答を繰り返し、お互いに疲れが見え始めた頃、源三は並んで座っているほたるの肩にポンと手を置いた。
「なあ、ほたる、おまえがこの人に協力してやれば、大切な友達はきっと喜ぶんだろうな」
「それは、そうだろうけど……」
殺し文句を言われてしまったほたるは、顔を真っ赤にしたまま仕方なしに承諾した。
ただしこのことはテルには絶対内緒だと、きつく念を押しておいた。
「お待たせしましたー」
このタイミングで喫茶店の定番といえるカレーが三人の前に並べられる。
源三のおすすめでこれにしたものの、そのいい匂いをさせている黄褐色のものを前に、ほたるはナポリタンにしておけば良かったと、真剣に後悔していた。
そして翌日の朝。
「どうだ、ええの出たか?」
先に用を済ませて待っていた源三は、黒いビニール袋を持ってトイレから出て来たほたるに大きな声で訊いた。
「聞かないでよ!」
口を尖らせ不機嫌そうなほたるは、まだ温かいブツを届けるべく、源三と共に出掛けたのだった。
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