第23話 降りしきる雨の中で

 季節外れの台風。

 風はそこまで強くならないらしいが、激しい雨が降ると天気予報で言っていた。

 ほたるはあれから家から出なくなった。

 浮かれて従兄と出掛けなければ。何度もそう思い後悔した。


 もう二度と顔も見たくない。


 優しそうな従兄の顔を思いだすたびに、腹立たしさが込み上げてきた。


 詩織ちゃんもテルも、もういらない。


 じめじめした自室の布団の上でまたそんなことを考えてしまっていた。

 本当は分かっていた。

 何もかも自分の身勝手さから起きたことなのだと。

 勝手に浮かれて、勝手に憧れていたものに失望して、勝手に約束を破って、勝手に八つ当たりした。


 ごめんなさい。


 そのひと言が言えたなら、きっと楽になるのだろう。

 窓に当たる雨粒の音がだんだん強くなってきだした。

 ほたるは窓の外を覗いてみる。

 灰色の雲に波立つ海。

 家にいる以外何もすることのない退屈な日。

 水泳教室が中止になって心底ほっとした。

 詩織とどんな顔をして会ったらいいのか分からなかった。

 きっと詩織も自分に会いたくないだろう。


「ほたる、ちょっといいか」


 部屋に入ってきたのは源三だった。

 入るときはノックしてよねといつも言っているが、たいてい構わず入ってくる。


「なに? おじいちゃん」

「ああ、ちょっとな」


 源三は手に缶コーヒーを二つ持っていた。

 一つをほたるに投げて寄こす。


「コーヒーはあんまし……」

「ああ、そうだったか。いらんかったら置いとけ」


 折角だからと蓋を開けてチビチビ飲みだす。

 やはり苦いばっかりだった。


「おまえ、最近電話に出てないんだろ」

「うん……」

「なんかあったか?」

「うん、ちょっとね……」

「そうか、喧嘩でもしたか」

「うん」


 ほたるは素直に頷いた。人類で一番信頼しているのがこの祖父だった。


「なんか悩んでるなら言ってみい。何でも聞いてやるぞ」

「うん、実はね……」


 変にこじれてしまった現状を話したところ、おじいちゃんはウンウンと頷いた。


「なんだ、そんなことか」

「何だってことはないでしょ。真剣に悩んでるんだから」

「ああ、そうだろうな。そんでどうする? このままでええんか?」

「いいわけないでしょ。どうにかしたいって悩んでるから相談してるんじゃない」

「どうにかしたいって思ってるんなら大丈夫だよ。しかしおまえらしくないな。どうにかしたいんなら何で行動に移さないんだ?」


 その行動についてどうすればいいのか、今悩んで相談しているのだ。

 要領を得ない源三に、相談する相手を間違えたかと、ほたるはため息をついた。


「簡単に言わないでよ。デリケートな問題なの」

「デリケートなところにズカズカと入って行くお前がそれを言うか。色々頭の中で難しく考えているみたいだが全然似合っとらんな」

「じゃあどうしろって言うのよ」

「突っ走って道を切り拓く。お前はそっちの方が似合ってるよ」

「おじいちゃんって私のことどうゆう風に見てるわけ?」


 適切なアドバイスもクソもないが、話しているうちに、ほたるはいつもの感じに戻って来ていた。


「スイカ食うか?」

「なんでスイカ? でも食べようかな」

「じゃあとっておきのを切ってやる。こないだ来たあいつらにはあんまし甘くないやつを出してやったんだ。どうも俺はあの嫁とウマが合わなくってな」

「あ、言っちゃったね。私は気が付いてたよ」

「おまえの目当ては和哉だけだろ」

「それはこの前まで。もうそこはどうでも良くなったの」

「おお、ええぞ。あんな携帯ばっかり弄ってる奴などつまらん。それより詩織ちゃんとてる美ちゃんを大事にしろよ」

「え? ああ、そうよね」


 そしておじいちゃんの切ってくれたスイカはびっくりするほど甘かった。



 夕方になってますます雨は激しくなった。

 ほたるは窓の外を見ながら考える。


 流石にこんな天気じゃ詩織ちゃんもあの電話に出ないだろうな。

 昨日から大雨の予報が出てたから、今日は電話しないってことにしてるんじゃないのかな。


 ほたるはあれから三日間、あの電話のところへ行っていなかった。

 電話に出なかった理由を詩織から聞かされて、きっともうテルは自分と話をしたくない筈だ。詩織がテルと仲良く話をしているのも見たくなかった。

 それでもほたるはテルと話がしたかった。

 そしてひと言謝りたいと思った。

 もしテルがこっちが大雨だと知らなければきっと電話をかけてくる。

 あの日電話に出なくて、約束を破ってごめんなさい。そう伝えたかった。



 外に出てみると土砂降りの雨。

 自転車置き場に向かおうとするほたるの背中に声が掛けられた。


「やっぱりな。無茶するやつだ」

「おじいちゃん」

「流石に見逃がせんな。行かすわけにはいかん」

「見逃がして。どうしても行かないと、ううん。どうしても行きたいの」

「よう言うた」


 源三はニヤリと笑った。


「おまえは見どころのあるやつだと思っていたよ」


 そう言って軽トラの鍵をほたるに振って見せたのだった。



 源三にタバコ屋の前まで送ってもらい、ほたるは電話が鳴るのを待っていた。

 打ち付ける強い雨粒に傘が激しい音をさせている。


 リリリリリ。


 鳴った!


 ほたるは受話器を手に取ると、硬い表情で耳に押し当てた。


「はい……」

「ほたる? だいじょうぶ?」

「え?」

「この間、約束してたのに電話に出なかったじゃない。何かあったのかって心配で」

「え、ああ、ごめん……」


 詩織ちゃんからすっぽかした理由を聞いていたはずじゃあ……。


「それで、何ともないのかい?」

「あ、うん。別に事故にあったわけじゃないよ。そんなに心配しないで」

「そうか。それなら良かった」


 どういうことなのだろうか、少年は何も事情を知らないみたいだった。

 どうやら詩織はテルに何も話していなかったようだ。


「詩織ちゃんから聞いてない?」

「え、何のこと?」

「私がこの前ここに来なかった理由」

「ああ、結局彼女も知らないって言ってた。それよりほたるとやっと話せて嬉しいよ」


 約束を簡単に破った自分を少年はずっと心配してくれていた。

 私はプライドを傷つけられて自分のことばっかり考えてたのに……。


「この三日間、何か用事があったらしい君の代わりに彼女が電話の相手をしてくれたんだ。ほたるの友達なら自分の友達だって言ってくれてさ」

「うん。良かったね……」

 

 自分の知らない所で勝手にテルと友達になった詩織に嫉妬するばかりで、長い付き合いで分かっていた筈の詩織の優しさに気付かなかった。

 そして心配しながら自分を待ってくれていた少年の気持ちを、さほど気にも留めていなかった。

 そんな自分が恥ずかしかった。


「ごめん……この前、約束していたのに電話に出なくって」

「いいんだ。気にしないで」


 きっと詩織は、ほたるの口からちゃんと伝えさせるために自分からは何も言わなかったのだろう。

 ほたるの口から自然と素直な言葉が溢れだした。


「あの日、従兄とお祭りに行ったんだ。それで気付いていたのに、テルとの約束をよりも従兄を優先してしまって……本当にごめんなさい」


 吹き込む雨がほたるを濡らす。傘はほとんど役に立っていなかった。


「あ、そうだったんだ。仕方ないよ。でも今日は大丈夫だったの?」

「うん、もう帰ったから。本当にごめんね」

「いいんだよ。元気そうで良かった。ところでさっきからなんだかすごい音がしてるね。雨が降ってるの?」

「うん。台風が来そうなの。まだ強くなると思う」

「ごめん。そんな時にわざわざ、もう今日はこれぐらいにしよう。ほたるは気をつけて帰って」

「私は平気。濡れたって大したことない」

「駄目だよ!」


 強い言葉だった。


「早く帰るんだ。僕を心配させないで」

「テル……」

「また明日元気な声を聴かせてよ。そうしてくれるのが一番嬉しいんだ」

「うん。うん。分かった。また明日ね」

「都合のつかないときは電話に出なくっていいんだ。ほたるの思うようにしたらいいんだよ」

「私は……」


 言葉がつまった。


 私には……。


 君に伝えたいことがあるんだ。


 ほたるはきっと少し大きくなったのだろう。

 昨日までのほたるには手の届かなかったその先に今届いた。


「私はテルと話がしたい。本当はすごくテルに会いたい!」

「僕もだ。ほたる」


 強い風と降りしきる雨がほたるを濡らす。


 こんなに嬉しくって……本当に嬉しい筈なのに……。


 そしてほたるは大きな波の音に負けないぐらい、大声で泣いてしまったのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る