第22話 後悔と嘘
叔父さんたちが帰って行ったあと、ほたるはぼんやりと部屋で寝転がっていた。
額に汗が浮き出る。
ぬるい扇風機の風が空気をかき回しても、一つも涼しくはならなかった。
何一つやる気が起きないのは、従兄に対する失望と腹立たしさのせいだろう。
頭にどうしても浮かんでくる何度も反芻した従兄の言葉。
思い出したくも無いのに、焦げ付いたフライパンの底のようにしつこく黒いものがこびりついていた。
詩織ちゃんと遊んだら気分変わるかな……。
詩織も前から楽しみにしていた盆踊り。会場でほたるは詩織の姿を探したが、結局最後まで見つけることが出来ないまま家に帰った。
毎年いつも一緒に詩織と二人で行っていたお祭りだった。
当然今年も露店を二人で周るものだと詩織は期待していた筈だった。
浮かれていた私は従兄と楽しむことを選んだ。
仲良しの詩織を選ばなかっただけでなく、新しく友達になったあの少年を、いっとき頭の中から追い払った。
かき氷を食べていた頃、きっとあの電話機は鳴っていたのだろう。
本当は盆踊りを一旦抜け出して電話に出ようと思っていた。
でもそうだろうか、従兄と遊びたくて抜け出すことに最初から面倒臭さを感じていたのではなかろうか。
気付いていながら気付いていないふりをして、都合のいい理由を付けてやり過ごしたのではないだろうか。
また従兄の言葉を思い出し気分が重くなる。
夏の海みたいにきらめいていた毎日が、ほたるの元から去っていった。そんな気がしたのだった。
電話しようかと思っていた矢先、詩織はほたるの家を訪ねてきた。
約束していなかったので少し戸惑った。
ほたるが詩織の家にいきなり押し掛けることは度々あったが、詩織は必ずと言っていい程、事前に連絡してから遊びに来ていた。
「詩織ちゃん、昨日はごめんね」
「うん、お祭りどうだった?」
「うん、楽しかったよ……」
詩織はどうやら祭りに顔を出さなかったみたいだ。
文句を言われるのを覚悟しながら詩織を部屋に通す。
この炎天下で自転車をこいで現れた詩織の額には、大粒の汗が浮かんでいた。
ほたるの注いだ冷たい麦茶をグッといったあと、ようやく詩織は口を開いた。
それはほたるがまるで予想もしていなかった内容だった。
「あの電話の男の子と話したよ」
「えっ!」
「たまたま電話の前を通りがかって、リンリン鳴ってたから受話器を取った」
「じゃあテルと……」
「うん。あの子ほたるちゃんのこと待ってた。酷いんじゃない? 約束してたんでしょ」
詩織は自分と祭りに行かなかったことではなく、少年との約束をすっぽかしたことについて腹を立てている様だった。
「それは、ちょっとうっかりしてて、今日は行くつもり」
「ちゃんと約束は守ってね。テル君、ほたるちゃんがきっと来てくれるって信じてたみたいよ」
詩織の口調はいつになくきつかった。
従兄のことで落ち込んでいる自分の様子を気遣うことなく、電話の少年に気遣いを見せた詩織に、ほたるは苛立たしさを感じた。
「だから行くって言ってるじゃない。詩織ちゃんには関係ないでしょ」
言ってしまってからすぐに気付いた。普段穏やかな詩織が本気で怒っていることに。
「関係なくないわ。テル君とはもうお友達なの。またお話しする約束だってしたし」
「約束って……私に何の断りも無く?」
何故だろうか、知らぬ間に二人が仲良くなっていたことに無性に腹が立った。
「友達を作るのに、なんでほたるちゃんに断らないといけないのよ」
「テルは私の友達よ!」
「簡単に約束破るくせに何が友達よ!」
「うるさい!」
ほたるのひと言のあと、すぐに詩織は立ちあがった。
「従兄と遊んでて約束をすっぽかしたって、テル君に言ってやる」
「告げ口するなんて卑怯者のすることよ!」
「本当のことを話すだけ。でないと信じて待っていたテル君が可哀そうだわ」
詩織はそのまま部屋を出て行った。
「待ちなさいよ!」
詩織は振り返らなかった。
そのまま家を出て行って自転車に跨る。
去って行く背中を目で追いながら、ほたるは拳を力いっぱい握りしめた。
夕日の沈もうとしている県道を走るほたるの気持ちは重かった。
相変わらず美しいマゼンタの空。
ペダルの重さをいつもより感じながら、ほたるは自転車を走らせる。
慕っていた従兄にあんな風に思われていたのだということ、詩織と喧嘩したこと、自分だけだと思っていたテルの友達がそうではなくなってしまっていたこと。
どこにも向かう先のない憤りが、ほたるの胸の中に黒くわだかまっていた。
「くだらない!」
落ち込んだ気分を腹立たしさに入れ替えるかの様に、ほたるは声に出した。
マゼンタに染まったタバコ屋の前に、先に一台の自転車が停まっていた。
詩織の自転車だった。
「詩織ちゃん……」
沈みゆく夕日に照らされた詩織は、カウンターの前で電話が鳴るのを待っていた。
詩織は少し離れた所に自転車を停めたほたるを一瞥すると、すぐに目をそらせた。
リリリリリ。
ベルが鳴った。
「はいもしもし」
詩織は躊躇いも無くほたるの見ている前で受話器を取った。
「うん。私、詩織だよ。うん。いいの、私も話したかったし」
詩織は楽し気に話し始めた。まるでそこにほたるがいないかのように。
「昨日のつづき話そうよ。え、あの子? あの子はさ……」
きっとテルは私がここにいるのかを尋ねている。
すぐに詩織と替わって電話に出たかった。
詩織は一歩踏み出そうとしたほたるに目を向けた。
そして受話器の通話口を手で覆って、ほたるに向かってはっきりと言った。
「来ないで」
ほたるの脚が止まった。
「信じてくれる友達を簡単にすっぽかせる人なんかと話させたくない」
「そんな、誤解だよ……昨日はついうっかり……」
「嘘!」
詩織のその感情が噴き出たような激しさに、ほたるは言葉を続けられなかった。
「帰って。これからテル君に本当のことを言う。テル君じゃなく従兄を選んだってことを」
「そんな、そんなつもりじゃなかった。分かるでしょ、ねえ、替わってよ」
「私は本気よ!」
ほたるは踏み出しかけた脚をまた止めた。
「私にはテル君の気持ちが分かる。私もあの子も同じだから。大切に思ってたのは自分だけだったんだって」
「詩織ちゃん、違う、違うんだって……」
「分かったら帰って。もう私たちの友達じゃないんだし」
ほたるは唇を噛んでうつ向く。
もうこれ以上何も言葉が出てこなかった。
しばらく下をじっと見ていたほたるは、自転車の向きをもと来た方向へ変えた。
そして黙って自転車をこぎ出した。
心地いい筈の潮風の吹く県道。
ほたるの頬に伝うのは汗ではなかった。
たくさんのものを失ってしまったほたるの目には、ぼんやりと滲んだいつもの道が映っている。
何度腕で拭ってもその景色は滲んだままだった。
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