第21話 テルと詩織
夕日に照らし出された海沿いの県道。
滅多に車も走らない真っすぐに伸びた一本道を、水色の自転車のペダルを踏みしめ、一人の少女が先を急いでいた。
高橋詩織だった。
自転車をこぐ少女の右手には水平線に半分ほど沈んだ太陽があって、まだ明るい空にはマゼンタに色づいた雲が広がっていた。
そのまばゆい美しさに目を向けず、ややうつむき加減で詩織は自転車をこいでいた。
その逆光のシルエットには、少女の今の心の内が現れているようだった。
「はあー」
少女の口から重たいため息が洩れでた。
夏休み前から楽しみにしていた盆踊り大会。
なにも約束を交わさなくとも、親友の二人は一緒に行くはずだった。
当日、ほたるから電話がかかってきて、今年は別々に行こうと言われた。
会場に行ったら、電話で話していた従兄と露店を周っているに違いない。
文句を言ってやろうか、それとも無視してやろうか、詩織は真っ黒に日焼けした顔を思い浮かべながら、腹立たし気に自転車をこぐ。
長い付き合いで突発的に行動するほたるの性格は良く分かっていた。
なんだかいっつもこっちばっかり振り回されてるって感じ。
本当は腹立たしさよりも、ほたるが自分より従兄を選んだことが寂しかった。
考えれば考えるほど、詩織の自転車をこぐ力は弱まっていった。
あんまし顔見たくないな。
そしてとうとう詩織はペダルをこぐのをやめてしまった。
お祭りに行ったら、ほたると一緒に露店を周るつもりだった。
来年から中学生なのに……小学生で最後のお祭りをこんな風に終えてしまうなんて。
このままお祭りに向かうのも、家に戻るのも詩織にとって痛かった。
その時だった。
リリリリリ。
「何の音?」
詩織は音のしている方向に顔を向ける。
少し先のタバコ屋の辺りからしているみたいだ。
自転車で近付くと、あのおばあちゃんの電話から音がしていた。
「これって飾りじゃなかったの?」
リリリと鳴り続ける骨董品の電話の前に自転車を停め、詩織はどうしようかと思い悩む。
「きっと間違い電話ね」
そのうちにピタリとベルの音がやんだ。
リリリという耳につく音がしなくなると、急に物足りないくらい静かになった。
さっきまでベルの音にかき消されていた波の音が、静寂の中で同じリズムを繰り返す。
ザザー、ザザー。
詩織はどうしても自転車のペダルを踏み出すことができずに、そんな波の音を聴いていた。
リリリリリ。
進むことも戻ることも出来なくなった詩織の躊躇いを吹き飛ばすかのように、再びベルの音が勢いよく鳴り始めた。
リリリリリ。
再び息を吹き返した電話に驚くも、間違い電話をかけてきているであろう相手に、ちょっとした親切心が芽生えてしまった詩織は、躊躇いがちに受話器に手を伸ばした。
間違い電話をかけてますよ。そう告げて電話を切るつもりだった。
「もしもし」
「あれ? 声が変だね」
「あ、あの、掛け間違えてますよ。今掛かって来てるの公衆電話ですよ」
「あ、ほたるじゃないのか、君は誰?」
「え? えっとその……」
普通なら応えたりしないだろうが、ほたるの名が出たことで事情を知りたくなった。
「あの、ほたるちゃんの友達で高橋って言います。あなたもほたるちゃんの友達?」
「君がほたるの……あ、初めまして、テルって言います。でもどうして高橋さんが電話に出たの?」
「いや、どうしてって言われても、たまたま通りがかって、テル君はほたるちゃんに電話してきたってこと?」
「うん。えっとそれでほたるはそこにいないの?」
「うん。いないよ。多分お祭りに行ってる」
「そうか……いや、でも約束してるし、来てくれると思うんだけど」
「じゃあ、それまで私と話す?」
詩織は何となくそう言ってから気付いた。見ず知らずの男の子を自分から誘ってしまったことに。
「いいの?」
「うん……」
少し落ち着いた声。
クラスの男子とはまるで違う雰囲気の男の子。
詩織の胸は急にドキドキしだした。
「君もほたると同じ十二歳なんだよね」
「あ、はい、テル君は?」
「おんなじだよ。嬉しいな、また友達が増えた」
「え、私が?」
人懐こい少年の声に詩織は戸惑う。
「あ、ごめんよ。勝手に友達にしてしまったね」
「いや、いきなりだったからびっくりしただけ。ほたるちゃんの友達なら勿論私のお友だちだよ」
「ホント? やった。また友達が出来た。こんなに立て続けに嬉しいことが起こるなんて」
「なんだか大袈裟だね」
電話の向こうの興奮気味の声に詩織はクスリと笑ってしまった。
「よくほたるから高橋さんの話を聞いているんだ。海と川で一緒に練習してるって」
「うん。そうなの。結構たいへんなんだ」
「そうだよね。毎日のようにほたるに付き合ってるって聞いてたから、もしかしたら高橋さんもほたる並みに元気な人なのかって思ってたけど、そういうわけじゃないんだね」
「私はほたるちゃんと違って普通だよ。まあ、ほたるちゃんと行動するのは大変だけど、それなりに楽しいし、練習の成果も出たからいいんだけど」
「あ、そうだったね。一つ進級して今はほたると同じ級に上がったんだったね。今更かもしれないけど、おめでとう」
「あ、ありがとう。そんなことまで知ってるんだ……」
ほたるが自分の知らないところで、少年とそんな話をしていたことに少し戸惑いを覚えたものの、それ以上に素直におめでとうと言ってもらえたのが詩織には嬉しかった。
「ねえ、テル君はほたるちゃんとどういった友達なの?」
「えっと、そうだね、偶然間違い電話で知り合って、ほたるが友達になってくれたみたいな」
「そうなの? そんなことってあるんだ」
「まあ、そんな感じ。やっとできた僕の初めての友達なんだ」
詩織はその少年の明るい声を聴いて、少し不思議な感じがした。
まだ少し話しをしただけだが、こんなに感じのいい少年に友達がいないというのはおかしいのではないか。
「本当? テル君は話しやすいし、仲良しの子ぐらい、いそうだけど」
「そう言ってくれて嬉しいよ。ほたるにも話したんだけど、僕は病気を患っていて、学校に行ってないんだ」
「そうか、それで……」
「だから、高橋さんとこうして友達になれて嬉しいんだ。本当にありがとう」
「こちらこそ。私こそテル君の友達になれて光栄だよ」
明るい声に励まされるように、しおりは見ず知らずの少年と笑いあいながら話をした。
不思議な子……。
詩織は少年と話をしている間ずっとそう思っていた。
少年は何を話しても新鮮に受け止めてくれた。がさつな周りにいる男子とはまるで別の生き物のように思えた。
そして詩織は、何時もほたると話をしている時よりも自分の声の感じを気にして、話す言葉を選んでしまっていた。
何故だか自然とそうなっていることを詩織は感じ、戸惑っていた。
少年との会話はあっという間だった。
「もう時間みたいだ」
「え、そうなの?」
「うん。病院の決まりでね、十五分だけしか話せないんだ。ホントはもっと話をしたいんだけど」
「また、話せるかな……」
詩織は自然とそう口にしていた。
「うん。いつも同じくらいの時間にかけるんだ。でもほたる、どうしたんだろう、心配だな……」
きっと従兄とお祭りの露店を周っていて、うっかりしているのだろう。
詩織は心配そうにしている少年の気持ちを考えて、何もそのことに触れなかった。
「明日きっとほたるちゃん元気に電話に出ると思うよ。私とはまたね」
「あ、うん。ありがとう、高橋さん」
「あの……詩織でいいよ……」
「ありがとう詩織ちゃん。話せて楽しかった」
「私も。じゃあ、またね」
少しドキドキしていた。
男の子に名前を呼ばれるだけでこんな気持ちになるんだ……。
詩織はそっと受話器を置いたあと、自転車に跨った。
いつの間にか少し明るい星が見え始めている。
詩織はもと来た道を引き返す。
少女の夏に突然訪れた特別な夕暮れ時。
そんな余韻を残しておきたくて、ゆっくりとペダルを詩織は踏むのだった。
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