第20話 ほたると従兄

 突然やって来た親戚のお兄ちゃん。

 ちょっとカッコいい、東京に住んでいる都会っ子。

 いつも夏休みのこの時期にやって来て二日ほど泊っていく。

 父も母も弟もこの日に来ることを知っていた。

 知らなかったのは、遊び回ってしょっちゅう家を空けていたほたるだけだった。

 それだからこそ、ほたるにとっては嬉しいサプライズだった。


 

 従兄が来た次の日の早朝、ほたるはパチリと目を開けると布団から這い出した。

 明日には帰ってしまう従兄と遊びたくって、自然と目が覚めたのだ。

 カーテンを開けると窓の外は今日も快晴だった。

 興奮気味のほたるは、早速叔父たち三人の寝ている部屋を覗きに行ったが、昨日の長旅で疲れていた様でみんなまだよく眠っていた。

 両親も弟もまだ布団の中で、起きていたのはおじいちゃんだけだった。


「おお、ほたる、早いの。じいちゃんと散歩でも行くか?」

「いい。また今度」

「なんだ。つれない奴だ」


 源三の誘いを簡単に断って、ほたるは従兄が起きてこないかと待つのだった。



 やっと起きだして来た家族と朝ご飯を食べてから少しして、ほたるは縁側に座って携帯を弄っていた従兄の隣に座った。

 ようやくかまってもらえるかもと、ほたるにしては遠慮気味に、期待を込めた笑顔を向けた。

 隣に座って物欲しげな笑顔を見せたほたるに、従兄は携帯をしまって言葉をかける。


「暑いね」

「うん」


 ほたるはそんな高校生の少年の手を取って海に行こうと誘う。

 少年はいいよ、と一言。

 水着に着替えると、そのまま二人はサンダルを履いて、歩いてでも行ける海へと向かった。

 日差しの眩しい八月の海。

 遠くカモメが鳴く声を聴きながら、ほたるは従兄の手を取って砂浜を駆けていく。

 真っ黒に日焼けしたほたるが先に海へ駈け込んでいくと、少年もその後に続いて、まだ日焼けしていない肌を透明度の高い水の中に沈めていく。

 その冷たさに慣れるまで、少年はスイスイと泳ぎ回るほたるに眩し気な目を向ける。

 

「カズくーん。こっちだよー」


 陽光の明るさに負けないほたるの声が高い空に広がった。

 そしてほたるは時間を忘れて沢山はしゃいだのだった。



 砂浜で唯一日陰を作る松の木の下に二人は座る。

 ほたるが隣に座る少年を見上げると、髪の毛から雫を垂らす横顔が少し大人びて見えた。


 そう言えば去年は受験で来なかったんだった。


 丸二年ぶりの再会は、成長期の少年を大人に近づけるのに十分な時間だった。

 ほたるは素直に思ったままを口にする。


「なんだか高校生って感じになったね」

「そうかい? ほたるちゃんも見違えちゃったよ」


 相変わらず真っ黒に日焼けして前髪ピッチリショートのほたるに、少年は涼し気な笑顔で気遣いを見せた。

 たとえ愛想だとしても、そう言われて悪い気はしないものだ。

 ほたるは照れ笑いを浮かべながら指で砂をなぞる。


「ねえカズ君、明日帰るんだったよね」

「そうだよ」

「じゃあ今日の夜、一緒にお祭り行こうよ。丁度公民館前で盆踊りなんだ」

「ああ、そう言えば昔何度か行ったな。屋台も出るんだっけ?」

「うん。漁協のおじさんたちがやってるの。くじ引きとか結構いいの当たるんだ」

「楽しそうだね。行ってみようかな」

「やった。じゃあ約束だよ」


 お気に入りのカズ君と今夜の約束をしたほたるは、弾けるような笑顔を見せた。



 夕刻、まだ夕日が明るい時間帯。森の高い樹々に日が遮られ、お祭りの会場が薄暗くなると、盆踊り大会の会場に提灯の明かりが灯り始めた。

 そして数えるほどしか無い露店が開く。

 従兄と並んで会場に現れた今日のほたるは浴衣姿だった。

 毎年母親に着て行けと言われて渋々着ていく桔梗の花模様の浴衣。

 今年は、自分から浴衣に袖を通した。

 顔なじみの漁協のおじさんたちが開いている露店の前を、夏の装いのほたるは従兄とゆっくりと歩いていく。


「ねえ、カズ君、金魚すくいやろうよ。今なら元気そうなのいっぱいいるみたい」

「うん。そうだね」


 露店はどれをやっても百円。

 お母さんにもらった三百円に加えて、おじいちゃんにもらった五百円があるので心強かった。

 ほたるはカズ君の手を引いて、金魚すくいの水槽の前までやって来た。


「いらっしゃい。ほたるちゃん」


 漁協のおじさんは一番乗りのほたるに笑顔を向けた。

 二人ともポイをもらって早速始める。

 ほたるは浴衣の袖を濡らさない様に腕まくりをした。


「頑張りなよ」


 顔見知りのおじさんがにこやかに見守る中、ほたるはおじいちゃん譲りの技で早速一匹すくい上げる。

 その鮮やかなポイさばきに、従兄も手を止めて感嘆の声を上げた。


「すごいね」

「へへへ」


 カズ君が褒めてくれたので、ほたるはちょっと得意げだ。

 隣のカズ君が早くも脱落したのを横目に、ほたるはどんどんすくい上げていく。


「よし。こんなもんかな」


 六匹すくったほたるは、あともう少しすくいたかったと言いつつも満足げだった。

 ビニール袋に移してもらって、ちょっと自慢げにぶらぶらさせる。


「お兄ちゃんは参加賞で一匹な。ほたるちゃんの袋に一緒に入れといたよ」

「ありがと、おじちゃん」

「他も周っといで、ところでそこのお兄ちゃんはほたるちゃんのボーイフレンドかい?」


 多少は知り合いに冷やかされるだろうと覚悟していたほたるだったが、ハッキリとそう言われ、ぶらぶらさせていた金魚の入った袋を止めて口ごもった。


「従兄よ。なに勘繰ってんのよ」

「へへへ、そうかい」


 マゼンタだった空の色が、少し変わりつつある。

 ほたるは木々の隙間から見える夕日に目を向けた。

 もうしばらくしたら、一度ここを抜け出してタバコ屋に向かわなければならない。

 最初からそのつもりで、自転車を押して従兄と会場まで来ていた。

 当然、自転車に乗るのなら動きやすい服装の方が良かったのだろう。

 一応は中に短パンを穿いてきていたので、はしたないのを鑑みなければ、浴衣の裾をまくって自転車をこげそうだった。


 ここからなら飛ばしたら十分くらいで行けそうだから、もう少し余裕あるかな……。

 

 毎日、あの電話の少年と話すのを楽しみにしていたほたるだったが、今日に限ってはやや面倒くささを感じていた。二年ぶりに再会したこの年上の従兄と、もう少しこうしていたかった。


「ねえ、ほたるちゃん、次はどうする?」

「えっと、そうだね……」


 従兄に声を掛けられ、ほたるは端っこでいい匂いをさせていたイカ焼きを選んだ。 

 そしてイカ焼きを二人で食べてくじ引きを引いた。

 そのうちに人が増えてきだして、盆踊りを踊る人たちもそれなりに賑わいだした。

 そうしている間に、ほたるは時間が迫って来ていることを感じていた。

 ほたるは頭一つ以上背の高い従兄を見上げる。


「あのね、カズ君……」


 口を開いたほたるの手を少年の掌が包み込んだ。

 その掌の大きさに異性を感じ、ほたるは言いかけていた言葉を呑み込んだ。


「ほたるちゃん、喉乾かない? かき氷食べようよ」

「え、うん、いいよ……」


 のぼせてしまったほたるの頭から、あの電話の少年のことが薄らいでいく。

 本当は会場の入り口に停めた自転車に向かうはずだった。

 ほたるは手を引かれるまま、少年のあとを追っていった。


 

 ほたるはいちご。従兄はレモン。二人は賑わう人たちから少し離れたベンチで、冷たいかき氷を味わっていた。

 ほたるはその冷たい甘さを感じながら、自転車に乗らなかった自分に言い訳していた。


 今から急いでも、きっともう間に合わないだろうから……。


 明日、謝ればそれでいい。ほたるはそう割り切って、従兄とのひと時を楽しもうと思った。

 ほたるはかき氷を食べながら周りを見回す。

 電話の少年のことと同じくらいに、ほたるには気になっていることがあった。


 詩織ちゃんまだ来てないのかな。


 詩織にはお昼に電話を入れて従兄とお祭りに行くと伝えておいた。

 毎年約束せずとも二人でお祭りに来ていた。

 他にもクラスの友達はいる。きっと詩織は誰かを誘って来ている筈だとそんな風に考えていた。

 その時、従兄の携帯に着信が入った。

 画面を見てから少年はベンチから腰を上げた。


「ほたるちゃん、ごめん。ちょっと」


 そう言い残して、少年は近くにあるクスノキの裏手に走って行った。

 ほたるは自分のかき氷を一生懸命食べる。

 結構おいしいふわふわのかき氷。

 溶けてしまっては勿体ないと頑張って食べきった。


「カズ君のやつ、だいぶ溶けてきたな……」


 ベンチに置いていかれたレモン味のかき氷。

 ほたるは容器を手に持って、なかなか戻って来ない従兄を探しに行った。

 クスノキの裏にいると思っていたのに、そこに少年はいなかった。


「どこ行ったんだろう」


 食べかけのかき氷はまた少し崩れてしまっていた。

 ほたるは賑やかな会場の裏手へと従兄を探しに行った。

 もう一本あるクスノキの裏から声が聴こえてきた。

 話の邪魔しちゃ悪いと思い、ほたるは容器を持ったまま、木の陰で待つことにした。


「……田舎の盆踊りだよ。大したこと無いって」


 聴くつもりはなかったが、従兄の話し声が耳に入ってくる。


「うん。そう。親父の方の田舎。あんまし来たくなかったけど俺が喜ぶって思っているみたいでさ、断り辛くって」

「え? ああ、祭りって程のもんじゃないけど賑やかだよ。うん、子供と年寄りばっかり。みんな顔見知りっぽくって居辛いっていうか……」

「誰とって? 従妹だよ……ああ、小学生。え? いやいやそんなんじゃないって」

「変なヤキモチ焼くんだな、真由美と比べるまでもないって。真っ黒で男の子みたいな子さ。スイカの種、遠くまで飛ばして自慢してるような子なんだ。可笑しいだろ」


 ほたるは黙ってその場を去った。

 レモンのかき氷はほとんど溶けてしまっていた。

 手に持った容器を足元に投げ捨てて踏みつけた。

 二回、三回、四回目、踏みつけようとして、ほたるは割れた発砲の容器を拾い集めた。

 そして自分の食べた容器と一緒にゴミ箱に捨てて、その場を去った。



 翌日叔父夫婦と共に従兄は帰って行った。

 帰り際、あまり話さなくなったほたるに、従兄は歳上らしい気遣いを見せた。


「ごめんね昨日は、なんだかはぐれちゃて。でもすごく楽しかったよ。また来年も行こうね」

「うん……」


 従兄の笑顔はいつもと変わらなかった。

 昨晩の電話での小馬鹿にしたような話し口調は跡形もない。ほたるには目の前で優ししそうな笑みを浮かべる少年が別の誰かに思えた。

 ずっと仲良しだった優しい従兄。

 いつの間にか外見以外は別の何かに入れ替わっている。ほたるはその笑顔に仄暗い不気味さを感じたのだった。

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