第16話 遠く離れた仲間たち
「惜しかったね、ほたるちゃん」
午前中にあった水泳教室。もう少しというところでタイムを切れなかったほたるに、詩織は残念がっていた。
強い陽射しが照り付ける中、相変わらず駄菓子屋の店先でアイスをベロベロ舐めながら、ほたると詩織は至福の時間を味わっていた。
「んー、今日は仕方ない。二日も練習しなかったから」
「ねえ、昨日と一昨日何してたの? 私めちゃくちゃ暇だったんだから」
「ごめん。ちょっと大事な用があって忙しかったんだ」
「そうだったの? ねえ、今日、お昼から何して遊ぶ?」
「あ、ごめん。まだちょっと用事の続きが残ってるの。おじいちゃんと市内の病院にお見舞いに行くんだ」
詩織はほたるの忙しかった原因を聞いて、アイスを食べていた手を一旦止めた。
「誰か入院してるの?」
「うん。ちょっと知り合いがね。明日は朝から大丈夫だよ」
「じゃあ、明日だね。また練習しに行く?」
「うん。川でも海でもいいよ」
「じゃあ、このまえ海だったから川ね。私も一応次の進級目指して頑張ろうかな」
海風で髪を揺らしながら次の目標を表明した詩織に、ほたるはグッと腕を伸ばして親指を立てて見せた。
「うん。そうしなよ。ほんで私と一緒に1級目指しなよ」
「いや、それはちょっと無理かな。でもほたるちゃんに私もついて行くよ」
詩織にそう言ってもらえたのが嬉しかったのか、ほたるは足をぶらぶらさせながら、へへへと白い歯を見せた。
「中学は二人で水泳部入ろうね」
「だから、それはまだ決められないんだって」
溶けかけたアイスを今日は上手く食べきったほたるは、真っ白なヘルメットを頭に乗せた。
「詩織ちゃんの家に朝行くから待っててね。あ、そうだ、ビート板の代わりになるもの詩織ちゃんも用意しときなよ」
「ああ、あれね。キックの練習に使うやつだね」
「そう。それとお弁当もね。私もお母さんに作ってもらうから」
「分かった。じゃあ明日ね」
駄菓子屋の前で二人は手を振って分かれた。
そしてほたるは元気よく自転車をこぎ出す。
高い雲が伸びる青い空の下、ほたるの軽快なペダルの踏み込みで疾走する自転車は、ずっとどこまでも走って行けそうだった。
お昼ご飯を家で食べたあと、ほたると源三は軽トラで市内の病院までやって来た。
ロビーを抜けて、ほたると源三はエレベーターに乗った。
ほたるの手にはあの開かないスーツケースがある。
勝手に持ち出してしまったものを返すという当然のことをしているわけだが、ほたるは実際のところ、あの中に何が入っているのかを早く知りたくて、はやる気持ちを抑えられずに急ぎ足になっていた。
いったい宇宙人がたいそう大事にしている物って何なのかしら。
今日、もうすぐそれが分かるのだということに、ほたるはワクワクを隠せていなかった。
そんな孫娘のわかりやすい高揚感は、当然おじいちゃんに見透かされていた。
「どした? えらい興奮してないか?」
「え? わたしが? そう見える?」
「ああ。もう溢れんばかりにな」
エレベーターが開く間際に、源三は見たまんまの印象を言ってやった。
ほたるはへへへと、照れたような笑いを浮かべた。
病室に入ると昨日と全く同じ格好で、テルのお父さんはベッドを少し起こして座っていた。
部屋に顔を見せた二人を、テルの父親は人懐こい笑顔で迎えた。昨日の少し硬かった感じは完全に払拭されていた。
「昨日はありがとう。テルと話せて良かったよ」
「へへへ。ちょっと聴こえ辛かったみたいだけど、なんとか話を出来たみたいで良かった」
そしてカイロンは、ほたるの手にしているスーツケースに目をやる。
「持ってきてくれたんだね。ありがとう」
「あ、はい。お返ししますね」
ほたるはケースを手渡す。
カイロンはそれを受け取ると、自分の腹の上にケースを置いてから、ちらと二人に目をやった。
そのまま三人は沈黙する。
「開けないんですか?」
何も行動を起こさないカイロンに、もう早く開けなさいよというオーラを出しつつ、ほたるは期待感を滲ませている。源三も全く同じ目の輝きで謎のケースに注目している。
痛いぐらいの視線を受けて、カイロンはこの場合どうしたらいいのだろうといった感じで悩み始めた。
「えっと、ほたるちゃん? テルと色々話したんだよね」
「はい。話しました。それが何か?」
「その、どんな話をどのぐらいしたのかなーって思ってね」
「そうですね……」
何となく察して、ほたるは源三の手を取った。
「おじいちゃん、ちょっと」
ほたるはそのまま源三を病室から連れ出した。
源三はほたるの行動に首を傾げつつ、病室の外でほたるに向き合う。
「どうした? あれを開けて見せてくれるんじゃないのか」
「あのさ、おじちゃんには悪いんだけど、これからちょっとプライベートなこと話すから遠慮してくれない?」
「ああ、子供の病気のことか。なら、あんまり聞かん方がええな」
源三は不思議なケースに未練を残しつつ、ロビーにおるからと下に降りて行った。
病室に一人で戻って来たほたるに、カイロンはひと言「すまないね」と謝り、落ち着いた様子で話し始めた。
「君のおじいさんは詳しい事情を知らない様だね」
「おじいちゃんにはテルのことを電話で知り合った友達だって言ってます。銀河コミュニケーションのこととかは話してません」
「そうか……テルのやつ、君にそこまで話したのか……」
微妙な表情をしたテルの父親を気にも留めず、ほたるは好奇心を剝き出しで迫る。
「ねえカイロンさん。ここには何かの調査で来たって聞いたけど、わざわざ銀河の果てのここまで何を調べに来たんですか?」
「私の名前も聞いてるんだね。困ったな……話すわけにはいかないんだがもうテルが色々話してしまってるし、君には色々お世話になってるし……」
カイロンは悩んだ末に、自分なりに整理がついたのか何度か頷いた。
「君はテルに初めてできた大切な友達だ。我々の星では友情は最も尊いものだとされている。テルにしてくれた君の優しさに、遠く離れたテルに代わり私は報いなければならない」
「じゃあ聞かせてくれるんですか」
「君の質問に答えるよ。ただし他言は無用だよ」
念を押してからカイロンは話し始めた。
その内容はいきなり壮大で、一人の少女が宇宙の大きさに思いを馳せる羅針盤の役割を果たした。
「ここからずっと遠い銀河の別の太陽系に我々の星はあるんだ。君の星で建造された燃料を消費して飛ばす宇宙船では、永久にたどり着けない程の遠いところから私は来たんだ。巨大な惑星が作り出す時空間の歪みを利用して移動する方法を我々は使い、君たちの時間の単位で約一年をかけてこの星にやって来た」
カイロンの奇想天外な話を、ほたるは学校では絶対に見せない集中力で聞いていた。
「ここからが君の一番知りたいことなんだよね。我々が一体何を調査しているのか」
「はい。教えてもらいたいです」
そしてカイロンはほたるに少し近くにおいでとを手招きした。
ほたるは言われるままベッドのすぐ近くに来た。
「どうかな、君から見て私は違う星から来た生物に見えるかい?」
「いいえ。普通のおじさんにしか見えないわ」
人見知りをしない、堂々としたほたるの返答に、カイロンはニコニコ笑いながら何度も頷く。
「そうだろうね。どうして私たちはそんなに変わらないのかな。君たちが普段使っている病院で、普通にお医者さんにも不思議がられずに、怪我の治療もしてもらえているのはどういう訳なんだろうね」
「それは……分かりません」
「こういうことさ。君たちと僕たちは全く同じ種族なんだ」
ほたるは首を傾げる。
少女の当然の反応を見て、カイロンは丁寧に説明を続ける。
「ここには我々の生命のルーツがあってね、つまり君たちの祖先と我々の祖先は同じ種なんだってことだよ」
「分かりません。どういうことですか?」
「もともと、宇宙である程度栄えた我々の祖先は、ある時期に自らの星を捨てて未知の星へと旅立っていった。無数に散っていった祖先の入植した星の一つがこの君たちの星であり、また私たちの星でもあるんだ。殆どの星で適応に失敗して絶滅していく中で、我々は何とか住み着いた星に適応し、生きながらえ、君たちもこうしてこの星の環境で上手くやっていっている」
難しい顔で聞いているほたるに、カイロンはどう分かり易く説明しようかと模索しているみたいだ。
「言ってみれば、今は君たちと我々は遠く離れた星に住みついてはいるが、もとは同じ星に住んでいた仲間だったと言えるだろう」
やっとほたるは少し分かったのか何度か頷いた。
「そして私たちは銀河の中ではかなりか弱い生命体なんだ。寿命も短いし怪我もしやすく病気にもなり易い。そのため強い種族の様に厳しい環境に耐えきれず、生き延びていくには余程恵まれた環境の星でないと無理なんだ。そして今、我々はその弱さゆえの危機に瀕している。実は今、宇宙貿易の際に持ち込まれたあるバクテリアが、我々の脅威になって大勢の犠牲者が出はじめているんだ」
カイロンは手元に置いた不思議なケースに目を落とした。
「私はその治療方法を探しにこの星に来た研究者の一人なんだ。放っておけば我々はそれほど遠くない未来に地上から姿を消すだろう」
「そんな……一体どんな病気なんですか?」
「免疫が確立された大人はかからない病気でね、幼少期に発症して成長期を迎えた時に自分の免疫機能が暴走してやがて死んでしまう恐ろしい病気なんだ」
「すごい科学が発達した星なんでしょ。何とかできないんですか?」
「そうだね、もしかしたらこの星で何らかの解決法が見つかるかもしれない。私の他にもあと二人の研究者がこの星の別の地点で、その解決法を探して調査をしているんだ」
その話からこの目の前の宇宙人の他に、少なくともあと二人、地球上に宇宙人が生活していることをほたるは知った。
「他の二人には今連絡がついていない状態だけど、皆頑張ってるよ。私はこのざまだけでどね」
カイロンは足の固定具を指さし、自虐的に言ってみせた。
「早く治して調査の続きをしないと、でも君のおかげで少しはこのベッドでも仕事が出来そうだよ」
カイロンはニコリと笑ってお腹の上のケースに掌を当てた。
一体どう言う仕組みなのか、ケースはぼんやりと一度光り、真ん中からパカリと開いた。
とうとう開かれた不思議なケースの中身を、ほたるはどうなっているのか身を乗り出して覗き込んだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます