第15話 テルの父親

 空調の効いた白壁の部屋。

 一見しただけで病室と分かるこの殺風景な部屋には、少し硬めのベッドが一つあり、薄目を開けた無精ひげの男が一人、仰向けになって寝ころんでいた。

 男の右足は大袈裟すぎるほどの固定具で拘束されており、その上に包帯がしっかりと巻かれていた。そしてさらに念の入ったことに天井の金具からロープで吊るされているというありさま。

 お手洗いにも行けそうにないこの現状では、自分の手の届く狭い範囲だけがこの男の生活スペースなのだろう。

 他にも包帯を巻かれている所があったが、そちらの方はそれほど深刻なものでは無さそうだった。

 片足が吊るされているお陰で、男はその場を動けず、もう五日もここで足止めをくっていた。

 手元に置かれたリモコンを操作して可動式のベッドを少し起こす。

 ウーンという小さなモーター音がして、丁度いいところまで身を起こすと、手の届く範囲に置かれているコップに手を伸ばして、渋いばかりの冷めた緑茶を一口飲んだ。


「ひどい味だな……」


 そう不満を呟いたときだった。


 ノックも無く、普段は音もしない引き戸が勢いよくザアッと音を立てて開いたかと思うと、日焼けした短髪の女の子が飛び込んできた。


「はあ、はあ、はあ」


 走って来たのか、女の子は大きく肩で息をしながら額の汗を腕で拭った。


「鈴木一郎さん!」

「え? 誰!」


 脚を吊ったままの男は、突然現れた弾丸の様な少女に目を丸くした。


「私は熊取ほたる。テルの友達よ!」

「テルの? え? どうゆうこと?」


 当然のことながら、少女の一方的な申告に無精ひげの男は戸惑うばかりだ。

 何にも説明がないまま、こうしてほたるはテルの父親とやっとのことで対面したのだった。



 いきなり病室に現われた見ず知らずの少女から、これまでのいきさつを興奮気味に聞かされ、テルの父、鈴木一郎、本名カイロンはようやく状況を把握し終え、納得したのだった。


「そうだったのか。テルに頼まれて……しかし、よくここまで辿り着けたもんだ」

「まあ色々あったけど、最後に怪我をした人が救急車で市内の病院に運ばれてったって分かって、やっと見つかったわけなの」

「そうだったんだね。いやありがとう。私もテルにどうにかして連絡しないとって悩んでたところなんだ」

「それは私がやっときます。伝言あったら言っといてください」

「取り敢えず無事を伝えといてくれないかい。退院してすぐまた連絡するからって言ってもらえたら、あいつも安心するだろうし」


 そこへ遅れて病室に源三が姿を見せた。


「おいおい。わしを置いていくなよ。逆にこっちがお前を探したぞ」

「あ、ごめん。おじいちゃん見て。とうとう見つかったよ」


 ほたるは大物を釣り上げた漁師のように胸を張ってみせた。


「ああ、初めまして、ほたるの祖父の熊取源三です」

「初めましてテルの父の鈴木一郎です。こんな格好ですみません」


 身動きの取れないカイロンは、ベッドで座ったまま一礼した。

 お互いに自己紹介を終えて、源三もようやく探し終えた相手の姿にほっとしたようだ。


「怪我をしておられるみたいだが、容態はいかがかな?」

「お恥ずかしい。変な骨の折り方をして大袈裟な手術をしてしまったので、しばらくこんな感じです」

「まあ、とにかく無事でよかった。早くてる美ちゃんを安心させてあげないといけませんな」

「てる美って?」


 ほたるは二人の話が噛み合わなくなって慌てだした。


「おじいちゃん、ゆっくり話してる時間ないの。そろそろ戻ってテルからの電話に出ないといけないのよ」

「あ、そうなのか? ずい分バタバタだな」

「ねえ、鈴木さんって携帯持ってます?」

「ああ、前のは事故で駄目になったけどね。新しいプリペイド携帯ならここに」

「ねえ、おじいちゃん、鈴木さんと携帯番号交換してくれない?」

「ああ。分かった」


 携帯番号を交換したあと、すぐにほたるは言い忘れてはいけないことを伝えておいた。


「鈴木さんのあの開かないスーツケース、私が預かってますので必要ならまた持ってきます」

「え? 君が? どうして?」

「まあ、成り行きで……そこのところはまた詳しく話します」

「じゃあ、またお願いしようかな……」

「ではテルと約束してるんで帰ります。明日またお昼から来ますんでよろしく」

「あ、どうもありがとう。テルによろしく伝えて下さいね」

「分かりました。任せて下さい」


 そうしてまた、ほたるはおじいちゃんを連れて風の様に去っていった。

 突然現れ、慌ただしく去っていった元気過ぎる小学生の女の子に、遠い銀河から来た研究者も驚きを隠せなかった。



 これから夕日の沈み行こうとしている遠くの海を眺めながら、ほたるは今か今かと電話機が鳴るのを待ちわびていた。


 リリリリリ。


「ほたるよ!」

「あ、今日はなんだか興奮気味だね」

「まあね。聞いて驚きなさいよ。あんたのお父さん見つけて来たわよ」

「ほんとう? それで、それで今そこにいるの?」

「いや、残念ながらここにはいないの。ちょっと怪我して病院よ」

「怪我? どんな怪我だった?」

「脚の骨折れてた。それ以外は元気そう」

「そうかー。そうだったのかー」


 ほたるの報告に、受話器から心底ほっとしたような声が返って来た。


「ありがとう。お礼しか言えないけど本当にありがとう」

「いいのよ。テルが元気になってくれて私も嬉しいんだ」

「でもごめん。今日も探し回ってくれたんだね」

「まあね。ねえ、テル、ちょっと待ってね」


 ほたるは一度受話器を置いてポケットからおじいちゃんに借りた携帯を出した。そしてあまり慣れない手つきで操作する。


「これでよしっと」


 ほたるは再び受話器を取ると携帯をすぐ近くに寄せた。


「テル。お父さんだよ」


 通話口から声を掛けて携帯のボタンを押す。

 携帯のスピーカーからテルの父親の声が聴こえて来た。


「テル。すまない。心配させたな」

「父さん!」

「ちょっとこちらも聞こえ辛いが、ほたるちゃんの案で、携帯電話のスピーカーを通して話してる。そっちは聞こえてるか?」

「こっちも聞き取り辛いけど大丈夫。元気そうで良かった」

「ああ。脚以外は元気だよ。心配ない」

「ならいいんだ。また治ってからゆっくり電話して」

「ああ、そうするよ。しかしお前、俺の知らない間にこんな可愛いガールフレンドを作ってたとはな」

「え? ああ、うん……」

「今度詳しく話を聞かせろ。楽しみにしてる」

「いや、うん。じゃあ今度ね……」

「ありがとう。ほたるちゃんもういいよ。後は二人で楽しんで」


 親子の短いやり取りの間、受話器と携帯を手に待っていたほたるは、スピーカーごしにテルの父親が、自分のことを可愛いガールフレンドだと言っていたことに戸惑っていた。


「あの……もしもし……」

「あ、話させてくれてありがとう……」


 お互いにさっきの会話を気にしている様で、一気にトーンダウンしてしまっていた。


「なんだかごめんね。きっと父さん僕に友達が出来て、舞い上がってたんだと思う」

「うん、まあいいんじゃない……」

「父さんはほたるを見ることが出来たんだね……」

「うん。そうね。今日会ったし」

「なんだか羨ましいな……」

「な、なによ。そんなに珍しいもんじゃないわよ」

「父さんさ、君のこと可愛いって言ってた……」


 ほたるは受話器を握りしめたまま赤面してしまう。

 女の子として可愛いと言われることなど、滅多にあるもんじゃない。

 免疫のない少女の心をくすぐる魔法の言葉だった。

 ほたるは少し足元をフワフワさせながら、出来るだけいつもの感じを意識して少年に返答した。


「愛想よ、愛想。近くにいたからそう言っただけ。まあ嫌な気はしないけど」

「そうかな。でも父さん、お世辞とか言う人じゃないし……」

「もう、そのことはいいって。他の話をしようよ……」

「あ、そうだ! 今度父さんにほたるの写真撮っといてもらおう」


 突然いいことを思いついた感じで、少年は明るくそう言った。

 さっきまでフワフワしていたほたるは、そのひと言で一気に現実へと戻って来た。


「え? いやそれは……」

「え? 駄目なの?」

「いや、そういうのはまず私に撮っていいか訊いてからでしょ」

「じゃ、撮っていい?」

「やだ」

「え? どうして」

「やだ。あとから言われたから、やだ」

「ねえ頼むよ」

「しつこいわね。しつこくしたから絶対やだ」

「そりゃないよ……」


 最後の方、ほたるはちょっと面白がっていた。

 電話の向こうから聴こえる明るい少年の声。

 沈んでいたテルを自分が明るくしたのだと、ほたるは少し誇らしかったのだ。


 夕日が照らす海沿いの県道。タバコ屋から少し離れた所で源三は軽トラを停めて待っていた。

 白い軽トラの荷台に背をもたせかけて、孫娘の楽しそうに話す顔をおじいちゃんは微笑ましく見つめている。

 波の音を聞きながら煙草の煙をフッと空に吹いて、また孫の顔に目を戻す。


「なんだか逞しくなりよった」


 この二日間、急ぎ足で冒険をした孫娘の姿に、そう源三は呟いたのだった。

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