第13話 触らぬ神に祟りなし

 おじいちゃんの軽トラで、コンビニから一度自宅へと直帰したほたるは、早速自転車でまだ明るい県道を急いだ。

 そして汗で張り付くTシャツを気にしながら、日の沈みかけたタバコ屋の店先で、今日一日の成果を少年に報告していた。


「話を聞き終わったけど信じられない。君のその行動力には言葉もないよ」

「へへへ。まあちょっと頑張っちゃったかな。かなり真相に近づいて来て、あともう一歩というところね」

「ありがとう。それしか言えないよ」

「お礼言ってくれるだけでいいよ。困ったときはお互いさまってね」

「それも何かの言い回し?」

「え? ああ、そうね、言葉通りよ。困ったとき助け助けられで世の中なり立ってるってことを言いたいのよ」

「成る程。それはいい言葉だね。でもごめんね。泳ぎの練習も友達と遊ぶのも出来なかったみたいだね」

「そんなのは気にしなくっていいの。自分が探偵みたいになった気がしてドキドキだったの。いい経験させてもらったかも」

「君は本当に前向きな人だね。昨日も言ったけど尊敬するよ」


 ちょっと持ち上げられて、素直に気分が良くなったほたるは、今日走り回っていた疲れがどこかに飛んで行ってしまった気がした。


「まだまだこれからよ。明日はもっと真相に迫って、いい知らせ持ってくるから」

「明日もまた探してくれるの?」

「勿論。おじいちゃんも味方に付けたし、それにね、決定的な手掛かりを今日最後に掴んだのよ」

「どういうこと?」


 ほたるは少年の関心を誘うかのように、ちょっと焦らしてみせた。


「へへへ。実はね、コンビニでテルのお父さんの写真を撮って、明日この人を知らないかってしらみつぶしに当たってやろうって思ってたんだけど」

「無茶なことするなあ」

「そのコンビニの駐車場で録画されてた映像にいいものが映ってたんだ。何だと思う?」

「えーと、分かんないよ」

「ふふふ。分かんないでしょ。実はね、テルのお父さんタクシーに乗ったのよ。あ、タクシーってね、お金を払って乗せてもらう車のこと」


 そのほたるの説明で、少年はピンと来たようだ。


「そうか。じゃあ」

「そう。タクシー会社に問い合わせて、お父さんを誰がどこに乗せたかを明日調べてみる。きっとまた手掛かりをそこで見つけられるわ」

「すごい。君っていう人は短気でお転婆だけど、行動力は天才だね」

「何ですって!」


 ほたるは瞬間湯沸かし器の様に突然キレた。


「あんたどこに目をつけてんのよ! 私のどこが短気でお転婆なのよ!」

「いや、その、すみません」

「行動力が天才的っていうのは合ってるけど、その他は大間違いよ。まるで私のこと分かってないみたいね」

「いや……ごめんなさい」


 憤慨するほたるの怒りが収まるよう、少年はひたすら謝り続ける。


「余計なこと言うんじゃないわよ。触らぬ神に祟りなしってことわざ知らないの? あ、知らないか」

「え? 触らぬ神に祟りなしって何?」

「もう、めんどくさいわね。つまりね、そのことに触れたら痛い目に会うってことよ。分かった?」

「つまりそのことについては避けて通れってことだね」


 また一つことわざを教えてもらって、少年は素直に感心している。


「そういうこと。女の子は繊細だから、丁寧に扱わないとすぐに傷ついちゃうのよ。あんたのさっきの言動は私の乙女なハートをズタズタに引き裂いたのよ。そこんとこしっかり反省しなさいよね」

「はい。反省します。すみませんでした」

「分かればいいのよ」


 だいぶ罵って少しは気が収まったのか、ほたるは話を元に戻した。


「あのね、ちょと言いにくいんだけど、テルのお父さんの部屋から鞄を拝借してきちゃったんだ」

「父さんの鞄? で中身は?」

「それが開かないの。と、いうか開けられる感じの代物じゃないのよ」

「あ、それパーフェクトケースだよ。大事なものを完璧に守るための鞄なんだ」

「どうやって開けるの?」

「いや開けられないんだ。使用者の遺伝子情報が鍵になっている頑丈なやつなんだ」

「じゃあ、持って帰ってきたけど意味なかったわね」

「うん。父さんが見つかったら返してあげてよ。それまでは、ほたるが持ってて」

「へへへ、失敗しちゃった」

「まあいいよ。ほたるが持っていてくれたら安心だから」


 あの変なスーツケースの正体は分かったものの、中身は謎のままだった。

 ほたるは開かない鞄についてはもう興味を失ったみたいで話題を変えた。


「あれさ、テルの言ってたとおりだった。コンビニのカメラに映ってたお父さんって普通のおじさんだった」

「ね、言ったとおりだったでしょ」

「うん。ねえ、テルってお父さん似なの? それともお母さん?」

「うーん。父さん……ではないかな」

「何だ、ああいう感じじゃないのね」

「まあそうかな。それより君のこと聞いていいかい?」

「え?」

「君がどんな感じの女の子なのか教えて欲しいんだ」

「なによ、急に……」


 ほたるは何故か率直に答えることが出来なかった。

 ありのままを伝えるのを躊躇う自分がいて、相手にどう見て欲しいかと頭の隅で考えてしまっているのに気が付いたからだった。


 そのとき、受話器を持つ手にぽとりと雫が落ちて来た。


 雨だ……。


 薄曇りだった空が暗くなってきている。

 降り出した雨は、ポツポツと途切れることなくほたるを濡らし始めた。


「テル。ごめん。雨降って来た」

「え? そうなの?」

「これから強くなってきそう。また明日ね」

「うん。今日はありがとう。気をつけて帰ってね」

「うん。分かった」


 受話器を置いて、ほたるは空を見上げる。

 まだそれほど強くもない雨。

 人通りのない県道のアスファルトに、点々と黒い染みが広がっていく。

 熱気を孕んだ路面はたちまち雨粒を蒸発させ、空を見上げたままのほたるを、むっとした独特の匂いで包み込んでいく。

 遠くの空が少しだけ明るい。

 家に着くころには、きっと雨は止むだろう。

 ほたるは火照った頬で少しのあいだ空を見上げていた。


「私は痩せっぽちで、日焼けして真っ黒で、髪も短くって、くせっ毛で……」


 ほたるはそこまで呟いたあとに頭を振って自転車に跨った。

 そしてほんの少し涼しくなった小雨の降る道を走り出した。



 お風呂から上がったほたるは、自分の部屋で鏡を見ながら髪を乾かしていた。

 普段あまり丁寧に髪を乾かしたりせず、そのままにしているのだが、今日に限ってはちゃんとヘアブラシを使って髪を整えていた。

 前髪がピッチリ揃っている。

 近所の美容室ではいつもこうされる。今まで特に気にしたことも無かったショートヘアを、ほたるは角度を変えてしげしげと眺める。


 嵐山キララは艶のある長い黒髪だったな……。

 走ったらその髪が綺麗にたなびいてとても綺麗なんだ……。


 ほたるは憧れの少女誌のヒロインと、自分の髪とを比べてしまう。


 癖毛だけど艶はあるわね。思い切って伸ばしたらキララみたいになるかしら。


 ほたるは鏡の前でニッと笑って見せた。

 そしてどうやったら嵐山キララの様な魅力的な笑顔を作れるのだろうかと、しばらく鏡の前で頑張ったのだった。

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