第10話 テルの心配事

 ほたると詩織は毎日のようにどこかで泳ぎの練習していた。

 そして詩織はとうとう平泳ぎのタイムを切って、ほたると同じ3級に上がって来た。

 練習後の駄菓子屋の店先で、詩織の昇級を祝いつつ、相変わらず二人は氷菓子を齧っていた。


「詩織ちゃん、とうとうやったね。これで同じ級に並んだわけだからこれからはライバルだね」

「馬鹿言わないでよ。全くバタフライ泳いだことない私が、ほたるちゃんに敵うわけないじゃない」


 詩織は暑苦しく燃えているほたるの言葉を受け流し、冷たいアイスをサクリと齧る。


「そこは頑張りなよ。私も今日のタイム計測であと一秒まで迫ったからとにかく練習するし、詩織ちゃんも私と頑張ってたらいけるかも知れないよ」

「まあ、私の場合は平泳ぎのタイム切れただけで上出来なんだけど、ほたるちゃんがやるんなら付き合うよ」

「詩織ちゃんには付き合ってもらうわよ。一人じゃつまんないじゃない」


 ほたるは氷菓子の溶けだした辺りをベロベロ舐めながら、ニッと歯を見せて笑った。

 詩織はやる気に満ち溢れたほたるのペースについて行くのに、ちょっと嫌そうな顔でハイハイと返すのだった。



 相変わらず決まった時間になると、ほたるは秘密の友達と電話で話す。

 しかし何だか今日は電話の向こうのテルの様子がおかしい。

 あまり周りのことに気付かない、どちらかと言えば鈍いほたるでも、さっきから元気なく生返事を返すテルに、何かあったのだろうかと気になり始めていた。


「ねえ、どうしたの? なんか元気ないね」

「え? ああ。ちょっとね……」

「悩みごと?」

「うん。まあ、そうかな……」

「私で良ければ聞くわよ。言ったらすっきりするかもだよ」

「うん。そうだね……でもどうしようかな……」


 どうも歯切れの悪いテルに、ほたるの短気が顔を覗かせる。


「いいから言ってみなさいよ!」

「ごめん。実はさ……」


 やっと重い口を開いたテルの話は深刻なものだった。

 先日話で聞いていたテルのお父さんからの連絡が無く、おかしいと思い三日経った時点で会社に問い合わせたのだが、やはり過去同士を繋ぐ恒星間通信では状況が分からないそうなのだ。


「何かあったんじゃないかって心配で……」

「馬鹿! そんな大事なこと、もっと早く言いなさいよ!」

「でも、どうにかできる問題じゃないだろうし」

「そんなの分かんないじゃない。連絡のつかなくなったお父さんを探したいんでしょ。私が探したげる」

「え? 君が? 駄目だよ。そんな簡単なものじゃない」


 少年の消極的なひと言が、ほたるの負けず嫌いに火を点けた。


「あんた私のこと舐めてんの? 私は前に詩織ちゃんの家から脱走した犬を連れ帰った実績だってあるんだから」

「犬か……」

「あんたのお父さんってこの辺りで何かの調査してるって言ってたわよね。こんな人もあんまし住んでない田舎だし、探し回ってれば見つかるかもしれないじゃない」

「そんなに住んでる人少ないの?」

「そうよ。今ちょっとまた馬鹿にした?」

「いや、なら可能性あるかなって思ったんだ」


 わずかに少年の声に希望が混じり始めた。そう感じたほたるは、さらにやる気をみなぎらせる。


「あるある。近所の人もみんな知り合いだし、聞いて回れば何か分かるかも知れないよ。ねえ、あんたのお父さんってどんな感じの人なの?」

「そうだな、無精髭を生やした普通のおじさんだよ」

「体形は?」

「背格好は君らの単位で身長180センチくらい。少しがっちりした体格なんだ」

「フンフン、他には?」

「顔は自分では男前だって言ってる。周りの評価はそこそこ普通だって」

「どうでもいい情報ね。他には?」

「声は少し低め。あっ、そうそう右腕に傷があるんだ。大体5センチ位の傷で、昔調査の時に動物に噛まれた跡なんだ」

「それは大きな手掛かりね。早速明日から探してみる」

「なんだかごめんね。こんなこと頼んじゃって……」

「何言ってるの。友達でしょ」


 電話の向こうの声が詰まる。次の言葉がなかなか出てこないみたいだ。


「ありがとう……」


 少年の声は少し震えていた。


「いいから任しときなさいよ。大船に乗ったつもりで待ってたらいいから」

「大船に乗ったつもりって?」

「まただわ……」


 ため息をつきつつ、安心してたらいいってことだと説明した。


「そういうことか。なんだかほたるは暗号みたいな言葉を時々使うね」

「ことわざって言うんだ。テルの星では使わないの?」

「あんまし馴染み無いな。遠回りな表現をしていたら非効率だし」

「つまらない人達ね。その辺は会話を楽しむのに役立ってるのよ」

「ホントだね。ほたるの言うとおりだよ」


 少し受話器の向こうの声が明るくなったので、ほたるはほっとした。

 いつもほたると話しているときの楽しげな声を、少しは取り戻せたようだ。

 話が一段落したと思ったほたるに、いきなり受話器からハッとするような少年の声が聴こえて来た。


「あ、そうだ!」

「えっ? 何!」

「父さんの名前言ってなかった」

「そういえば。それ一番大事なとこじゃない」


 小学生同士らしい、初歩的なミステイクだった。

 伝え忘れていた少年もたいがいだが、聞き忘れていたほたるも相当なうっかり屋さんだった。

 これから人探しをしようとしているのに、いきなり軽く躓いた二人だった。


「へへへ。ごめん。父さんの名前はカイロン。そっちでは鈴木一郎と名乗ってるって言ってた」

「また安直な名前ね。おかげでもう覚えたわ。使い捨てカイロに、イチローね」

「なんだかまた分からない言葉が出てきたけど、そんな感じだよ」

「了解。任しといて!」


 ほたるは自信に満ちあふれた声で宣言した。

 明るい高らかなその声は可能性に満ちていて、不可能なことなど微塵も想像できない力を感じさせるのだった。

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