第33話 多財善賈
<1854年11月7日 昼下がり>
【楠瀬乙女】
「兄上に紹介したかったのは、商売の話じゃ!
なんぞ珍しいものがあるかもしれん!」
「商売?珍しいものとは?」
「わぁも見とらんがき!」
「はぁっ!?龍馬っ!?」
「まぁまぁ、姉貴なら驚くもん出してくれるっち思うとるでの!」
「…、ハードル上げやがってっ…。
まぁ、皆さんのお眼鏡にかなうかはわかりませんが、買い取っていただきたいものをお持ちしました。」
風呂敷を広げ、スーツケースを開き、商材を並べていく。
「まぁ、『洋服』っていうだけじゃあんまり価値がわからないよね。
同じ品を1着差し上げますので、下に着て一日過ごしてみて。
あぁ、足が冷えるなら足袋の下にこの靴下をはいておくといいよ。」
冷え性の味方、発熱素材の下着だ。
長女の千鶴さんに試供品として一通り渡す。
「で、これは髪飾り。こんな風に使うの。」
プラスチックでできたべっこう模様のカチューシャをつけて見せる。
「こっちは手荒れ用の薬。
あぁ、千鶴さん結構荒れてるね。
これを寝る前にこうやって塗ってみて。
だいぶ改善するはずだから。」
自分の手にクリームを塗る。
「これは時計だね。
1年ぐらいで使えなくなるかもしれないけど、
それまでは結構正確な時間を示してくれる。」
電池式の小さなアナログ式の置時計を置く。
「んで、これは電卓。
こうやって使う。足し算はこの記号、引き算はこの記号…
あぁ、明るいところでしか使えないから注意して。」
「で、つぎはっ…。」
一時の間をおいて一家が一気ににじり寄って、あれやこれやと質問をしてくる。
悪徳訪問販売じゃないんだから、効果・効能をわかってから買ってくれればいいと、質問に答えていく。
【坂本龍馬】
なんじゃこりゃ!
姉貴がごっつい人じゃとは思うとったが、
こりゃ道場で見たポンプよりすごいぜよ!
特に電卓は世を変えるぜ!
計算ができん奴でも、打ち込むだけで結果が出る!
珠算のような修練もいらんとなれば、世の商人が慌てふためく姿が目に浮かぶで!
が、千の位のところに読点がついちゅうが、なんでかの?
万の位でつきゃええがに。
【坂本権平】
想像以上だ!
龍馬は計算機に熱を上げておるが、それ以外も十分素晴らしい!
女子の美への執着は、世を変えるもの。
千鶴の手に潤いが戻ったのは、塗ってすぐにわかった。
これは高く売れる!
【千鶴】
手荒れ用の薬を塗ったとたん、手に潤いが戻ってきた。
『これならば!』と手渡された下着を試着するため、一旦道場の奥に引き込む。
肌触りは滑らかでしっとりとしているが、濡れたりしていない。
改めて着物を着て表へ向かうと、体がポカポカする。
特に冷えた板間を歩いても、冷え性の足はその寒さを感じることがなかった。
【坂本一家】
「「「これはあといくつあるのでっ!?」」」
【坂本権平】
珍しく興奮してしまった。
話を伺うため、夕食を共にしようと提案した。
昨夜は龍馬が世話になったというからには、こちらも歓待せねばならぬ。
あの品々の商談も兼ねてな。
【楠瀬乙女】
…、さすが商人坂本家。
すっかり忘れていたよ。
最後の方の血走った眼をみると、武家とは思えなかったねぇ…。
『坂本龍馬』のあの自由奔放さは、本人の資質もあるだろうが、環境も大きかったのかもしれない。
まぁ、食いついてくれたんだ。
買ってくれるとありがたいね。
【坂本権平】
…。
信じられん。
商談の前の前座として、ふと龍馬との手合わせの話を聞いてみたときだった。
千鶴にいいようにやられておったとはいえ、それは龍馬が幼き頃の話。
結婚し、子供が生まれてからは、千鶴が龍馬と試合うたのはわずかばかりで、
龍馬が元服してからは、鍛錬が不十分な千鶴に本気を出しておらんかったが、
対薙刀はそこらの者より経験があるはず。
しかも、昨年、江戸にて小栗流中伝を頂いておる龍馬が
真面目に何本もやって手も足も出んとは…。
「それほどとは…。
私も手合わせ願いたいものだ。」
正直な感想が漏れる。
「まぁ、私も楽しんでたから、龍馬がどこまで本気だったのか分からないけどね。」
はぐらかされてしまったが、
まだまだ負ける気はないものの、龍馬とは年が離れており、
下り坂の私と、上り調子の龍馬。
試してみたいと武士としての血が騒ぐ。
「まぁ、わぁは兄上にも勝てんからに、えぇ勝負かもしれん!」
こういうところは龍馬らしいが、もう少し武士としての意地を持ってくれれば…。
「そういうことを言っているから、父上もあなたを後継に指名出来ないのです!」
千鶴が代わりに言ってくれるが、本当にそう思う。
「いーやーじゃ!
世は広いんじゃ!
町の道場なんかに収まっとったら、見たいものが見れんくなるきの!
姉貴ともっと世を見て回りたいんじゃ!」
「龍馬っ!」
千鶴が声をあげたときだった。
「お話し中申し訳ありません。
権平殿、父上に夕餉を持っていきました。」
ふと、障子の向こうから声がする。
「…。お手数をおかけいたします、伊予殿。
伊予殿は召し上がられましたか?」
「はい、頂きました。」
「…。ゆっくりお休みください。」
「…はい。」
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