第31話 突撃訪問

<1854年11月6日 朝>

【楠瀬乙女】

「うん、夢じゃないみたいだね」

窓の外に広がる景色を再確認して、現実だと引き戻される。


一方で、ライフラインが確保されているのは僥倖。

医療従事者としては欠かせないことだ。



「しかし、残金が少なすぎやしないか?

 運営資金に少なくとも3000万後半はあったはず。

 そりゃ病院の口座だから違うにしても、

 こんなに貯金がなかったかね?」


改めてみるステータスにため息をつきつつ、

パソコンで『安政南海地震』について詳しく調べていると、

表から荒っぽい物音が聞こえてきた。



『ドンドンドンドン!』

「頼もうー!」

門をたたく音が響いている。


「ったく、そんなに乱暴にしなくても聞こえるっての!

 どこのどいつだっ!」


「頼もうっ!」

「はいはいっ。もう少し穏便にできやしないかね…。」

袴姿の17,8の男の子がこちらに向かってキラキラした視線を送りながら立っていた。


「この道場の主殿はいらっしゃるか!?

 お手合わせを願いたいっ!」


「はぁっ?

 まぁ、わたしはここのあるじだけど、

 なんで手合わせなんか…。」


「なんと!あなたが!

 立派な道場ではございませぬか!

 さぞご高名な方とお見受けいたします!

 せひ一手指南いただきたい!」


「いや、道場はあたしのだけど、わたしゃそんなに強くないよ?」


「ご謙遜を!

 そのたたずまいだけで分かる者には分るもの!

 ぜひっ!」


押しが強い子だね…。

まぁ、自慢の道場を褒めてもらっちゃぁ悪い気がしないがね。

こういう子、嫌いじゃないが、これはこの子の将来の為にも

一回ガツンとしてやった方がいいのかね?


「わかったわかった。

 私なんかじゃ勝負にならないとは思うけど、それでもいいかい?

 それでもいいなら、道場で待っときな。

 こっちも準備してくるから。

 そっちの獲物は刀かい?」


「はい!待っております!」


はぁっ。

わたしはもう年だし、武道からはだいぶ離れてるんだけどねぇ。

ま、後進教育も年寄りの務めだからね!




【????】

中伝目録は頂いたものの、象山先生が捕らえられ、江戸から帰京して数か月。

黒船提督、ペルリの脅威に対して何もできぬまま、すごすご帰ってきたが、

斯様な機会に恵まれるとはっ!

お天道様とはは気儘なものよっ!


数日前、遠目にあった山の景色が急に変わった。

周りは気付いちょらんらしいが、わぁの目から見たら明らか!

先の夕刻、キラリとなんか光こうとった。


で、何事かと今朝方用意をして思ってすんぐ走ってみれば、

山ン中に道場が立っちゅう。

『一夜』ならぬ、『一夜』よ!

がいなことができるのは、よっぽどごっつい人に違いのうはずじゃ!



しっかし、近づいて見てみりゃ、まっこと立派な道場じゃ。

隣は診療所かのぉ?

見たこと無い建物じゃ!

硝子をがいに使おて、金もあるんかのぉ…。

がいな道場、『一夜道場』どころか、江戸を探しても見当たらんで。


こいつぁ一手、指南してもらわにゃいかんやか!

せっかくの中伝目録、試すええ機会じゃ!




【楠瀬乙女】

はぁっ。

この子の格好からして、やっぱり幕末ってのは確からしいね。

たまに出る訛りからして、高知の人間であってる?


ご大層に防具一式用意してきてからに。

…っと、道着に防具つけりゃ何時でも幕末か。



しっかし、この時代はこんなに血の気が多いのかい?

この時代はいろんな流派が存在して、

他流派試合ってのは、流派の看板を掛けて戦う分、

あんまり行われなかったって聞いてるけど…。


舐められてるのか、向こう見ずなだけか。


まぁ、私に背負うものなんてないんだ。

こっちはここ数年の憂さ晴らしを兼ねて、気楽に楽しもうかね。


「天道流 楠瀬乙女。いくよっ!」



【????】

あれは先生のところで聞いた洋服やぁか?

本で見た伴天連や阿蘭陀商人のものとも違うで。


そいに、がいに若い娘が道場主とは思わなんだ。

わぁとそう変わらんで?


が、あの佇まい、落ち着きは本物よ。

相手にとって不足なしじゃ!



相手は薙刀か。

母上、姉上と手合わせしておる分、わぁに優位にならんきの?

しっかし、佇まいというか、なにか判らん気迫が後ろに見えるような気がする…。

ちづ姉が旦那殿と喧嘩をした後のような、なんとも言えん圧じゃ。


「小栗流 !参るっ!」

立ち上がり、わぁが名乗りを上げたところで乙女殿が固まる。

『今だっ!』



【楠瀬乙女】

しまった!!


そのに一瞬戸惑ってしまった!

直柔って言ったら、のことじゃないかい!?


って、合わせらるかっ!?


『~~~っ!』


いけるじゃないか!私っ!!

そう、18になったんだよね!!!

膝も肩も腰も、思うように動く!



【坂本直柔】

合わせられたっ!


奇襲は上手くいかんか!

ならばっ!



【楠瀬乙女】

数合合わせて間合いを取る。

っとにもうっ!

しつこいのは伝承通りか!


についてこなきゃどうなっていたことか!

こちとら気持ちは中年なんだ!

もすこし年上にやさしくできんのかねっ!



「坂本っていったっけ!?

 あんたのことなら知ってるよ!

 もうあんたは勝てない!」

薙刀、私達高知の仮想敵はあんたなんだよ!

散々研究したんだ!

抑えて見せる!



【坂本直柔】

乙女殿が自分に呼びかける。


『?

 わぁがいつからそこまで有名になったかのぉ…。

 けど、通じないはずはないで!

 中伝取得は伊達じゃないと示さねば!』


乙女殿の動静をつぶさに見る。

…っ、言葉通りどこも攻め入れそうにない…。

ならば試してみるまで!




【楠瀬乙女】

「っがっ!」


「これでどうだい!」


「…っ。参りました…。」


何本やったんだか…。

ったく、手ごわかったね。

満足そうに床に大の字になり、笑顔でぐったりとするを見つめる。




<1854年11月6日 夕刻>

【楠瀬乙女】

「で、どこかおかしなところはないかい?」


「ありませぬ。

 お相手いただいたことで活力が漲っておるぐらいです!」


「まぁ、タフだねぇ…。」


「たふ…?」


「『元気だ』ってことさね。

 …っと、日も暮れ始めてるけど、家に帰らなくてもいいのかい?」


「跡継ぎで揉めておりますゆえ、帰らぬ方が良いのです!」


いや、『帰れ』ってつもりで言ったんだけどね…。

まぁ、布団の数組はあるわけだし、

そんな事情ならゆっくりしていってもらおうか。


冷蔵庫にあった食べかけでいっか。

一昨日のだけどちゃんと冷蔵してたし、腐る時期じゃないしね。

まぁ、再加熱はしておこう。

大皿に盛れば鉢盛りで通用するだろう。



<1854年11月7日>

【坂本龍馬(直柔)】

うぅ~む。

がいに気持ちがええのは天国やぁか?

腹も膨れ、曙をおぼえず…。

天女の羽衣とは、これを言うのだろうか?


「…、天女さまぁ…っ、…」

 ったっ!」

この羽衣の主はやさしくない!

まどろむ自分の頭を張り付ける。


「あの世には早すぎんだろ。

 起きたんならさっさと道場の裏に行って顔を洗ってきな!」


「???」

「はい、走るっ!」

体は動くが、なぜ従うのかわからんが。


「押しかけといて、気持ちよさそうに寝てやがって…。

 さて、朝ご飯の用意をしようかね。」



言われるがままに裏に来た。

屋根のついた井桁と思わしきものと、

釣瓶、滑車、水を張った鉄のバケツがある。

桶も新品じゃ。

が、なんじゃこりゃ?

井戸の上に、蓋と一体になった、なんぞ分からん青銅製のからくりらしきもんが据えられちょって、邪魔で仕方ない。


うぅむ…。

気になるが、間から釣瓶を落とすか…、とは言え気になる。

わぁが使えそうやし…、試してみっか!

まぁ、ダメなときは聞いてみればよかっ!


これを上下するんじゃなかろうか?

手応えがないの?

何度かやらんといかんか?


おぉ、手応えが出てきた!

っと!

水じゃ!

大量に出る!


「こりゃぁ便利じゃ!」

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