第2-2節 南海
第30話 常若の国
<2024年4月10日>
【楠瀬乙女】
今日から心機一転。
今日は私の理想郷への引き渡し日。
明後日から自分の医院の稼働日だ。
きれいな部屋に、ピンと張ったシーツ。
そして必要な機材は揃ってる。
すでにシミュレーションも繰り返し、準備が整っているが、
書面上は今日から私の城だ。
山間部で閉院した病院を改装して、開業にこぎ着けた。
閉院してしまったことで、
山を下りて町の大きい病院まで行かなければならなかったそうで、
行政も対応に苦慮していたみたい。
地域のかかりつけ医だったということもあり、
所属していた病院も一緒になって行政に働きかけてくれたおかげで、
かなりの補助金が出て助かった。
閉院間もなかったということで、必要なものは大体揃っていて、
ちょっと古いけどレントゲンや各種検査機器も揃っていた。
古いとは言え、電子化に対応しているんだから
バリバリの現役だ。
まぁ、CTは導入するか迷った。
所属していた病院ではバカスカ使っていたけど、
扱える技師を雇わなきゃいけないし、
ドンドン最新の機種が出る。
そもそもよく考えれば、CT検査が必要になるような病気の疑いなら、
面倒だけど紹介状を書いて、大きな病院に行ってもらった方がいい。
自分一人で何でもできるわけじゃないのは、
先の流行病の教訓。
かかりつけ医、終末医療に集中。
それにしても長かった…。
あの流行り病でスケジュールは大きく狂わされた。
あの3年、自分が罹患するかもしれない恐怖のなかで、
終わらぬ待機患者を見る悪夢。
コロコロ変わる政府の対応に翻弄される日々。
終わったと思えば次々来る波。
気が狂いそうな日々だった。
特効薬も開発され、やっと自分がやりたかったことに専念できる。
隣にある道場は、この4年の余禄としてつけた。
『病は気から』、『健全な精神は健全な肉体に宿る』だ。
とはいえ、ここは現代の医療でもどうにもできない人のための施設でもある。
18歳の裕子ちゃんはその代表…、といったら悪いね。
骨肉腫で、青春期を病院で過ごさざるを得なかった。
正直この先も…。
っと!
そういうのを抜きにして、明るく過ごせる場所を作りたかった!
やっと叶ったわけだ!
明後日には裕子ちゃんも転院してくる。
今日はこんな私についてきてくれた、物好きなスタッフ達と宴会だ!
<1854年11月5日>
「楠瀬乙女。」
頭が痛い…。
飲み過ぎたか…。
けど、宴会に男はいなかったはず。
『医者の不用心』と言われてもいいから、
今日ぐらい自堕落にさせてくれてもいいだろうに…。
「楠瀬乙女!
流行り病に飲まれるとは情けない。」
「あぁん!?」
むかっとして声がするテレビのほうを睨みつける。
すると、テレビには眼鏡をかけた優男が映っている。
「まぁまぁ、落ち着け。
疲れていたのはわかるが、大事なことなんでな。
お前が来たのは嘉永7年11月5日、西暦で言えば1854年か。
これから地震が起きる。
歴史に残る大地震だ。
現世で活動できない私に代わって、民を救って欲しい。」
「はぁっ…?
いやいや、嘉永っていや幕末だろ?
んな突飛な話、信じられやしないし、私の手に余るよ。
自衛隊にでも持って行っておくれ。」
「はぁっ…、そう来るとは思っていたがな。
まぁ、いずれ分かることだ。
助けられるだけの力は授けよう。
『収納』だ。
お前たちの世界で流行っている異世界転生で言えば、
『ストレージ』や『インベントリ』か?。」
こいつ、話が通じてんのかね?
しかし、その単語は聞き覚えがある。
「裕子ちゃんが言ってた『異世界転生』ものかい?
聞いた話じゃ、それだけじゃ無双できるもんじゃなかろうに。」
「まぁまぁ、そう急かすな。
それも含めて、お前の力はスマホに表示できるようにしておく。
そのほかにわからぬことがあるなら、スマホかパソコンで調べるとよい。」
「はぁっ?幕末にネットとか繋がるのかい?」
「そこは私が何とかしている。
対象物に触れて『収納』と念じれば、収納ができる。
出したいものを想像して『取出し』と念じれば、それを取り出すことができる。
詳しいことは試してみよ。
私ができるのはそこまでだ。」
「ちょっとまった!」
理解しきれず、声をかける。
「あぁ、そうそう、お前の寿命は患者にリンクしている。
患者の寿命分、お前は長生きできているが、
逆にお前が死ねば道連れとなる。
これは、お前が自殺したりせんようにするためだ。」
「はぁっ!?」
「まぁ、焦るな。
もちろん、救済措置は用意している。
お前が一人救うごとに、現世のお前の患者達の寿命が1日伸びる。
悪くないだろう?」
「そりゃそうだけどっ!!」
「頼んだぞ!」
画面が途絶え、真っ暗な画面になる。
言いたいことだけ言いやがって…。
まずは酔いを醒ますために水を…。
色々と頭を抱えながら給湯室へ向かう。
頭が痛い。
身体的にもそうだが、精神的にも頭が痛い。
あれは何だったのか。
この数年の疲労が抜けてないのか?
水を汲んだコップに口をつけて一気に飲み干し、
酔いを醒まして、落ち着きを取り戻す。
スタッフのみんながいない。
私だけ酔いつぶれて、皆帰ってしまったのだろうか?
そんなに酒が強い人間も、先に潰れていた人間もいないし、
そんなに薄情なスタッフなら、この理想郷に賛同してくれなかっただろう。
宴会後の道場を一人で片付ける。
結構食べたんだが、ゴミがないことから、
ある程度は片付けていってくれたのだろう。
食べかけは冷蔵庫にしまってあった。
後は長テーブルを片付けるぐらい。
しかし、肌寒い。
4月もまだ初旬とはいえ、桜が散ったこの時期は、
夜でももう少し温かいはず。
鼻をすすりながら、真新しい道場を眺める。
ふと、テーブルに置かれたスマホが目に付く。
患者の裕子ちゃんに勧められて購入したスマホだ。
テレビに映っていた、先の優男のセリフを思い出し、
ロックを解除して操作してみる。
こんな年まで独身で、患者に勧められてやっと購入したスマホ。
ゲームやなんやらは使う暇もないし、やり取りをする相手もいないから、
ホーム画面は1ページしかない。
が、だからこそ見慣れないアイコンがあることに気が付く。
「『ステータス』ね。
どんな
恐る恐る、タップしてみる。
[ステータス]
名前:楠瀬乙女
年齢:18歳
収納:残52/64GB ??? ???
所有:医院、道場
ギフト:加護(医院・道場、一部)
購入可能:剣道薙刀道具
売却可能:衣料品、書籍
残金:1296万円
生命リンク:患者
「これはっ…。
いったい何だい?
18歳っ!?」
ふと、鏡に映った自分の姿が目に入る。
「ん~っ!?」
急いで鏡の前に行く。
「こいつは!若かりし私じゃないかっ!
改めてみると、我ながら別嬪だったんだねぇ~っ。」
鏡の前でニヤニヤとご満悦になる。
と、同時に、
さっきの優男が言った言葉が現実なんじゃないかという思いが沸き立つ。
「もし、もしもだよ、さっきの言葉が真実なら…。」
すっかり酔いが醒めたものの、再度襲ってくる精神的な頭痛をこらえ、パソコンを立ち上げた。
優男が言った言葉が確かなら、今は『嘉永7年』。
つまりは1854年の『安政元年』。
『安政の大地震』の始まりの年。
自分が今いる場所が、タイムスリップする前と同じ高知なら、
『南海地震』が襲ってくる。
そんなはずはないと思っていたが、ツールバーの日付が、
『1854年11月5日 17:23』
となっているのを見て、確信を深めざるを得ない。
『まさかっ』
窓を開けて町の方を見る。
遠くの街に色めき出すはずの街灯の灯りはなく、
夕暮れに染まり切る直前のその景色には、
炊事であろう煙がそこかしこから立ち上っている。
「本当に幕末に来たんだね…。
ってことは、落ち落ちしてられないね。」
パソコンに向き直り、地震について調べる。
「嘉永7年、地震と。」
『安政の大地震』
①特に1855年(安政2年)に発生した安政江戸地震を指すことが多い
②この前年にあたる1854年(安政元年)に発生した南海トラフ巨大地震である安政東海地震および、安政南海地震も含める場合もあり
③さらに飛越地震、安政八戸沖地震、その他伊賀上野地震に始まる安政年間に発生した顕著な被害地震も含める。
「はぁっ!?伊賀上野、東海、南海、豊予海峡!?
いったいどれから・・・、いや、どれだけ対応できるか…。」
パソコンの時刻が正しければ、伊賀上野は終わってる。
が、調べれば南海、豊予海峡の発生間隔は40時間しか猶予がない。
東海、南海に至っては32時間。
受け入れがたい現実を前に、診察室のベッドに倒れ込み、
混乱する頭を整理するため目を瞑ると、もう一度睡眠に誘われていった。
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