弐
朝になったから窓を開ける。
すると、見えるのだ。
通っていた木造の小学校が。
もうなくなってしまう小学校が。
人数が集まらないとのことで廃校。
それに伴い、学年問わず数少ない生徒も先生もこの小学校から卒業するらしい。
「いーやーだー!!!」
卒業式当日。
二階建ての小学校の出入り口の扉にしがみつくのは生徒、ではなく、先生だった。
六十五歳。
小学校と同じ年齢だった。
「いーやーだー!!!私は死ぬまでこの学校で教え続けて、教壇に立ったまま死ぬん、だー!!!」
「先生、往生際悪いよ」
「そんなに先生を続けたかったら違う学校で教えたらいいじゃん」
「そうだよ引く手あまたでしょ」
「いーやーだー!!!」
どっちが先生なんだか。
呆れると同時に抱いていた憧れも消滅しそうだ。
『いつまで経っても卒業しないんだよ、先生は。学校にしがみつく亡霊だから』
そう言って笑った先生はちょっと影を負っていて、とてもかっこよかったのに。
「先生。生徒を困らせないでくださいよ」
「おおお!!!
小学校の近くにある実家から中学、高校、大学に通っていて、よく通勤する先生と顔を見合わせて雑談を交わしていたので、しっかり見知った仲を更新中だ。
「先生。時代の流れに乗ってくださいよ」
「時代の流れに乗ってるよ!だから今こうして抗議してるんだ!」
「まあ確かに、抗議時代という流れには乗っていますけど、これはしょうがないじゃないですか。生徒が集まらないんですから」
「ううううう。俺が子どもをたくさん。そうだな千人くらい産めたら、廃校になんてならなかったのに」
「廃校させないために子どもを産もうとしないでくださいよ」
「愛情いっぱいあるもん!」
「そうですね。供給過多で逃げ出してしまうくらいに」
「神田ひどい!!!」
年を取って涙腺が弱くなったのか。
本泣きする先生を見て、抱いていた憧れが完全に消滅したような気がした。
「先生。ほら。先生なんですからもう少し威厳を保っていてくださいよ」
「ねえ、知っている?先生が威厳なんてなくて頼りないと生徒が自力で成長するって?私の愛用する漫画に載ってた」
「まあ、そうですね。私が間違っていました」
「おお!わかってくれたか。なら」
「署名しませんよ」
「違う。ずっと座ったままで自力で立ち上がれなくなったから手を貸してくれ」
「………」
「止めて。そんな複雑な顔で私を見ないで」
「………」
「ねえ。なんか言って。無言で手を貸さないで。ほら。みんなも真似しないで。無言止めて。ねえ」
「………」
「ねえってば」
「先生はこれからどうするんですか?」
先生がみんなの分まで涙を流したのだろう。
年若い卒業生も年老いた卒業生も晴れ晴れとした顔だった。
今もほら。あちらこちらと笑顔で話している。
かくいう私は、ちょっと、泣きそうだった。
馴染んだ景色の一部だったのだ。
私の一部だったのだ。
これからもずっと在り続けると思っていたのに。
それに。
(先生とも会えないのか)
憧れは消滅したが、親しみが消滅したわけではない。
会えなくなるのは嫌だった。
けれど、連絡先を教えてくださいとは、どうしても言えなかった。
どうしようもないことは、ぽんぽん口から出るのに。
「うん。考え中」
「そうですか」
横に並んでいた私は先生に向かい合って、持っていた紙袋から丸めていた紙を取り出した。
「先生」
「うん」
ああ、まったく。嫌になる。
さっきまでの情けない顔でよかったのに。
そんな顔を見せないでほしい。
「先生。卒業おめでとうございます」
紙を広げて、告げた。
中に書いてある通り。
「卒業、したくなかったなあ」
嫌だ受け取らない。
少しは駄々をこねると思っていたのに。
先生は苦笑して、すんなり卒業証書を受け取った。
ちゃんと、卒業証書の端を片手で掴んで、少しだけ間を置いてまた片手で掴んで、頭を下げて、頭を上げて、ありがとうございましたと言って。
やっぱり、かっこいいかな。
いや、桜効果かな。
ごまかそうとした。
でも無駄だった。
涙腺が決壊した。
小学校がなくなるのは悲しい。
先生に会えなくなるのが、悲しい。
さびしいよ。
三年後。
「先生。何をしてるんですか?」
「え?廃校になった小学校を私立図書館にする準備?」
「私立図書館?」
「うん。館長」
「館長」
「あ。先生のままでいいよ」
「………」
館長と呼んでやろうか。
ふと過った考えはきっとすぐに消滅してしまうのだろう。
(2023.3.8)
料峭たる春風 藤泉都理 @fujitori
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