龍について

一河 吉人

第1話 龍について

 古来より、中原に瑞獣有りと言う。


 宋代の『爾雅翼じがよく』にいわく、角は鹿、頭は駱駝に、目は鬼、首は蛇、腹は蜃、鱗は鯉、爪は鷹、掌は虎、耳は牛に似るとされる。


 これを、『龍』ぐちゃぐちゃと呼ぶ。


 『龍』ぐちゃぐちゃとは、各種の獣の特徴がぐちゃぐちゃと混じり合った存在、の意である。


 「龍」の字の由来も、「なんだかぐちゃぐちゃした感じを表す」とされる。


 首、腕、腰、尾の間の長さは等しく、長髭を蓄え、顎の下に宝珠を持ち、鱗は81枚を数え、『韓非子』によれば喉元に逆鱗を備えるとされる。

 鱗蟲――魚や爬虫類のように鱗を持つ生き物の長であり、鳳・麟・亀と合わせて四瑞しずいとして尊ばれた。


 原始『龍』ぐちゃぐちゃの存在は約6千年前にまで遡ることが出来き、それから長い時間をかけて現在の形へと変化していった。霊獣・神獣であり大変高貴で縁起のよいものとされるが、他方では暴力的な力の象徴でもあり、特に水気と関わりが深く、台風や洪水を起こすとされる。嵐や洪水後の状況=ぐちゃぐちゃであり、それが『龍』ぐちゃぐちゃと重ね合わされたのも必然であろう。また、「ぐちゃぐちゃ」という単語が含む水のイメージとの符号も見逃せない。


 また、『龍』ぐちゃぐちゃは陽の象徴ともされるが、これは当然ぐちゃぐちゃ=わちゃわちゃ、つまりパリピ的側面を象徴するするものである。鱗の数は九陽×九陽、つまり重陽の81枚であるのもこのためである。


 対して陰の象徴とされるのが鯉であり、口をパクパクさせて上から餌が降ってくるのを待つだけの、陰気な存在を表している。

 この鯉がくぐれば龍となれると言われるのが「登竜門」であるが、つまりパリピデビューと言える。成功するのがごく一握りなのは、どちらも同じである。


 さて、長い時間を駆けて各国に広まった『龍』ぐちゃぐちゃだが、本家中国においては皇帝の権威を象徴するのが龍、特に黄龍である。黄は五行思想において中央を司り、つまり中央にいる龍、キング・オブ・パリピである。漢の高祖劉邦は龍の子と言われるが、彼はまさにそのパリピ的な性質を受け継ぎ、人たらしの力で皇帝にまで登りつめた例である。


 また、五行では黄は五日では土曜であり、当然サタデー・ナイト・フィーバーである。ジョン・トラボルタの「トラボルタ」は「ねじ曲がる」の意味で、これはもちろん『龍』ぐちゃぐちゃに由来している。さらに、五虫では裸(ヒト)とされるが、これもやたら脱ぎたがるパリピ的精神の現れである。小学生男児が殊更に龍柄を好むのも、陽の表出である。


 さて、その黄竜と同一視される麒麟が龍の頭と馬の体を持つように、『龍』ぐちゃぐちゃと馬の結びつきは深い。1971年、内蒙古自治区翁牛特旗三星他拉村で、獣の頭と蛇の体を持つ大型の龍玉(龍を模した装飾品)が発掘された。この紀元前3000-3500年頃の出土品を、馬の頭と考える研究者は少なくない。中国北・西部における龍と馬の関係を考え、一歩進んで『龍』ぐちゃぐちゃの原型が馬だと考える専門家もいる。もちろん、中国では馬は陽、牛は陰とされることも無視できないだろう。


 秦の宦官趙高は、「これは龍馬ぐちゃぐちゃばです、角もあるし」と鹿を皇帝に献上した。龍馬ぐちゃぐちゃばとは、梁代の『瑞応図』によれば、長い首や鱗、翼を持つ仁馬である。「鹿では?」と問うた皇帝に趙高は「そのような意味で申し上げたのではない」と答え、後日異を唱えた他の家臣を皆殺しにしたという。これが「馬鹿」の語源である。一説には、殺された者たちは皆ズタズタのぐちゃぐちゃにされたと言われている。


 『龍』ぐちゃぐちゃと馬と言えば、他にも元龍にして三蔵法師の馬となる「玉龍」などが有名だが、本邦においては当然坂本龍馬を想起せずにはいられないだろう。龍馬命名の由来は、母が出産前に見た雲龍奔馬が胎内に飛び込む夢だとも伝わっている。

 龍馬は「日本を今一度洗濯いたし申し候」という有名な言葉を残しているが、この後には「神願ニて候」と続く。実は神様にお願いしていたのだが、一説には龍馬は門弟だった千葉道場の影響を受け妙見信仰に傾倒していたと言われる。妙見菩薩とは北極星の神格化された姿であるが、中国では北極星は帝であり、つまり黄竜である。また北極星は北辰とも呼ばれるが(千葉道場の北辰一刀流は当然これに由来する)、その字の通りに辰、つまり龍でもある。洗濯という言葉ももちろん嵐や洪水を思わせ、容易に龍と結びつく。そして、妙見大菩薩は馬の守護神でもある。やはり、龍と馬とは浅からぬ縁があると言えよう。


 その妙見信仰が本邦には伝わったのは7世紀頃と言われているが、『龍』ぐちゃぐちゃ自体は少なくとも紀元前、弥生時代には伝来していたと考えられている。以降少しずつ名前や形質を変えながら、長く畏敬の対象とされてきた。諏訪地方における『ミシャグジ様』信仰もその代表であり、「ぐちゃぐちゃ」が訛って「みしゃぐじ」になったとされる。御神体が蛇神であることからも、その源泉は明らかである。

 

 他にも、草薙の剣で有名なヤマタノオロチが酒に酔う=ぐでぐで=ぐちゃぐちゃであるなど、とても全ての例を挙げることは出来ないが、日本の神話や信仰において『龍』ぐちゃぐちゃの影響が重大であることは明らかである。

 

 そも、日本列島の形をして龍神と称する本邦は、さしずめ「『龍』ぐちゃぐちゃの国」と言えるだろう。


 

 なお、西洋においては竜(ドラゴン)が『龍』ぐちゃぐちゃと比されるが、こちらの語源は「はっきり見える」を意味するギリシャ語の「dérkomai」に由来していると言われ、「ぐちゃぐちゃ」とは正反対であることが知られている。大変に興味深い対立構造ではあるが、本論ではいささか手の余るところであり、別の研究を待ちたい。



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