第5話 猫の立ち位置に怒る人・Ⅰ


 昼。

 駅前の小さな商店街を二人のOLが歩いている。

 沙也とカオル。二十代中頃。

 事務服姿。


 沙也 「結婚、ためらっちゃうよね~~」

 沙也が溜息をつく。


 沙也 「ちょっとメールを返すのが遅れただけで、

  浮気扱いして怒るのよ。

  そのくせ、自分が友達と飲んでいる時は、

  興醒めするから、絶対にメールしてくるなってさ」

 カオル 「その彼、ダブスタっぽいね」

 沙也が愚痴り、カオルが同情した顔になる。


 沙也 「結婚の話が出た時もさ

  『無職を養うつもりはないから共働きな。

  でも、家事は主婦の仕事だから手を抜くなよ』

  だってさ」

 カオル 「ごめん。

  ちょっとそれ、引くわ」

 カオルが顔をしかめる。


 沙也 「だよねえ~~

  顔と収入はいいんだけどなあ」

 カオル 「私たちもアラサーに入っちゃったし、

  妥協点が難しいよねえ」

 二人はベーカリーショップへと入っていった。


 そこそこ広い店内。

 それなりに混雑している。

 カオル 「日曜日は、混むね~~」

 トレイとトングを持ち、店内を移動する沙也とカオルの耳に、耕平のつぶやきが聞こえた。

 耕平 「塔子はいつものシナモン系で、

  コウタはお気に入りのカツサンド……」


 二人が顔を向ける。

 そこでは、穏やかな表情の耕平が、トレイとトングを手に、棚のパンを吟味しながら小さくつぶやいている。

 耕平 「ヒナはクリームロールかな……。

  でも、たまには違ったものを……」


 カオル (ね、ああいうタイプって、

  旦那にはいいんじゃない?

  人畜無害っぽくて)

 沙也 (ダメダメ。

  頼りなさそうじゃん。

  ちょっとトラブルがあっただけで

  パニクリそう)

 二人はクスクスと笑って囁き合いながら、トングでパンを取る。


 カオル 「あれ、なに?」

 と、カオルは、レジに並ぶ五人ほどの客が、困った顔で出入り口の方向を見ていることに気づいた。

 レジは無人になっている。


 沙也とカオルもつられるように、並ぶ客が見ている、出入り口の方に顔を向けた。


 女性 「いいから、どきなさい!

  まったく、お客さんに、

  何て対応をするのかしら?

  最低の接客ね!」

 入店を阻止しようとする若い女性店員に2名に対して、太って強烈な迫力を持った中年女性が、ヒステリックに文句を言っている。


 店員A 「困ります!」

 店員B 「ペットを連れての入店は

  お断りしているんです!」

 泣きそうな顔で、女性を店に入れまいとする店員。


 女性 「んま! んま!

  ペットだなんて!

  チーコちゃんを、

  その辺りの野良ネコと一緒にしないでくれる。

  チーコちゃんは、私の家族なのよ。

  ね、チーコちゃん」

 女性は一匹のネコを抱いていた。


 ネコが「なーー」と鳴く。


 女性 「とにかくどきなさい。

  買い物に来たお客様なのよ」

 店員A 「お願いです」

 店員B 「他のお客様のご迷惑になります」

 必死で女性を押し返そうとする店員。


 それを見ていた沙也とカオルが眉をひそめる。

 沙也 (うわ、最悪)

 カオル (勘違いおばさんだよね)


 と、レジに並ぶ先頭の客が店員に声をかけた。

 客 「あの、急いでるんですけど」


 店員A 「はい、すいません!」

 店員Aが、慌ててレジへと戻る。


 女性 「ほら、

  あんたもどきなさい!」

 女性が体重差を使って、ボヨンと店員Bを跳ね飛ばした。


 よろめいて後退した店員Bを店内にいた客が後ろから支えた。


 耕平 「エエ加減にしとかんかい!」

 店員Bを支えたのは、耕平であった。


 耕平 「お店の人が、困っとるやないか!

  パンを買いたいんやったら、

  そのネコさんを

  家に置いてから来たらんかい!」

 店員Bを横にどかせた耕平が前に出て、女性の入店を拒むように立つ。


 沙也 (うわ、出ました、関西弁)

 カオル (しかも、さっきと顔が変わってない?)

 二人が成り行きに目を丸くする。


 女性 「んま! なんですか。

  あなた、チーコちゃんに

  失礼なこと言わないでくれません?」

 まったくひるまない女性。


 耕平 「ネコさんに言うてんのと違ゃうわい。

  あんたに言うとんのや」


 女性 「あのね、あなたにも教えてあげるけど、

  チーコちゃんは私の家族なの。

  そりゃ、毎日お風呂に入れて、

  食事も一緒にして、

  私の言うことは何でも理解してくれるの。

  ただのネコじゃなくて

  大事な家族、娘なのよ」

 歌うように言う女性。


 女性 「だから、どきなさいよ!」

 次の瞬間、女性が、右肩からのショルダータックルで耕平を押しのけようとする。


 耕平 「ネ、ネコさんの毛が飛んで、

  パンに入ったらどないするんじゃ。

  こ、困るのは、この店やねんぞ。

  あんた責任取れるんかい、お」

 押し込まれそうになった耕平だが、左腕を曲げて女性の肩を受け止め、力を込めて押し返す。


 女性 「こ、の、バ、カ。

  だから、チーコ、ちゃんは、

  キ、レ、イだって、言っ、てる、で、しょうが」

 女性も渾身の力を込める。


 耕平 「ア、ホ、ぬ、か、せ。

  他人に、とったら、

  ただの、ネコ、さ、ん、に、

  決まっとる、やろう、が」

 耕平も渾身の力を込める。


 と、互いに身を引くと、「ふーー」と荒い息をついた。


 女性 「もういいわ!

  あんた、訴えてやるからね!」

 引き下がった女性が、耕平を指さして捨て台詞を吐く。


 耕平 「勝手にさらせ!」

 怒鳴り返す耕平。


 呆然とした顔で見ている沙也とカオリ。


 ◆◇◆◇◆◇


 商店街。

 ベーカリーショップの袋を持ち、会社に戻る沙也とカオリ。


 沙也 「いや~~

  強烈だったよね」

 カオリ 「あのおじさんの言うこと

  正論なんだけど、怖いと言うか、

  ちょっと引いちっゃたよね」


 沙也 「人畜無害どころか

  切れると豹変するタイプなんだ」

 沙也 「ああ言うのは

  旦那にすると怖そうよね」


 カオリ 「あれ?」

 カオリが前方に目をやった。

 二人の女性が立ち止まり、口論をしている。


 一人はさっきのネコを抱いていた中年の女性。

 もう一人は、若く、派手な化粧と身なりをしたヤンママである。


 ヤンママの後には、小学校三年生ぐらいの生意気そうな男の子が、隠れるように立っている。

 女性 「うちのチーコちゃんに、

  謝りなさいよ!」

 女性は涙目になって怒っている。

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