第2話 気持ちの揺らぎ

 大学2年になって一部対面授業がはじまった。2年生にして初めてのリアルの授業。新入生みたいに緊張した。授業そのものにも緊張したけど、同じ教室に男子がいることが落ち着かない。ずっと女子校だったことの弊害だ。最初の頃は緊張感というか違和感というか、なかなかなれなかったけれど、やがてなんということもなく普通のことと感じられるようになった。


 そして留学に出かけることがきまった。コウタとの恋人関係が8か月くらい続いたときのことだった。留学は高校の頃から目指してきた。まず日本の大学にはいって、それを休学して1年間、イギリスに行きたい、と。いくつかの関連する試験に運よく合格することができたので、大学二年の秋から、イギリスの某大学のコースに入学することが決まった。高校生の頃からの願望がこうしてかなったことは嬉しかった。ただ、わたしの英語のレベルは低すぎて大学での授業に追いつけないと判断された。そのため大学の授業が始まるまえの夏にオンラインで大学の夏季語学コースのカリキュラムをこなすように条件がつけられた。いずれにせよこうして大学二年生の夏に、コウタとは超遠距離恋愛になってしまうことが決定した。


 そんな中でわたしのコウタへの気持ちが何となく揺らいでいることに気づいた。そんな揺らぎはない、と、自分の心の動きから目を背けようと頑張ってる自分も、同時に存在する。いったいコウタに恋愛感情を持てているのだろうか、そんな考えが私の頭やら心やらをぐるぐる駆けめぐる。現在の世界を理解するためには、現在を成り立たしめている過去を知らねばならない、つまり歴史を学ぶ重要性はそこにある、というのは大学の政治学の授業で先生から聞いて心に残った知見のひとつだ。そうか、今の自分の思いを理解するためには、コウタとのこの一年間、わたしが彼にどんな気持ちを抱いて来たかを、改めて今の地点から整理し直してみることが重要なのかもしれない。


 そもそも、私たちはどんな関係をもってきただろうか。どんな時間を共有して来ただろうか。もちろん楽しかった。彼氏ができるということは、本当に楽しいことだと思った。休みの日はいつも一緒に遊びにいける。とりあえず、かわいいとか、きれいとか、その服は似合うね、とか、ほんとうはそうでなくてもそういう言葉を言ってくれる。なんというか、こういうことはわたしにとっては、気持ちの安定というか、自分を大人にしてくれるというか、そういうとても大切なことだった。だからコウタとつきあったことは、わたしにとってはとっても有意義なひと時だったはずだ。

 性欲だってある。肌を重ねあってぎゅっとされることで得られる満たされたものは大きい。コウタがわたしの中に入ったときは、相変わらずいつも鈍い痛みがあった。この点は1年間変わらなかった。潤いが足りないわけではない。いつもシーツが濡れるほどだったので、多過ぎるくらいだろう。でも、コウタが求めて来て、それをわたしが与えられるということで得られる満たされた気持ちは大きかった。わたしが痛くたっていいじゃない。コウタが気持ちよければ、と。求められているだけでも、人間はある種の充足を得られるのかもしれない。たとえそれがセックスであっても。


 あるとき「実は、毎回痛いの」と打ち明けた。「いつも?」「うん」「かなり痛い?」「ううん、鈍い痛み」と。コウタは今まで全く気づいていなかったようで「ごめん。辛かったんだね」と、優しい。色々話し合ってみると、いつもたくさん濡れているし、中に入ったとき、わたしの喘ぎ声が大きくなるので、快感を得ているのだと思っていたようだ。本当は痛みに合わせて声を出していたのに。そうか、わたしの喘ぎ声は、そんなにエロく聞こえていたのか。わたしが挿入でエクスタシーに達しているとさえ、コウタは思い込んでいたらしい。演技したつもりはないのだけど、そう思っていたようだ。「そうじゃないの。コウタのが入っているとき、本当は一度もいってない」とも告白した。正直に。「でも、それでもいつもすごく気持ちよかったよ。」と。そうだ、セックスでエクスタシーに達するってどういうことか、このときは全くわたし自身わかっていなかったのだ。いやエクスタシーというもの自体を、このときまだ体験したことがなかった。そのこともコウタに伝えた。


 こんな告白をして以降、彼は、挿入前に必ず口でしてくれるようになった。これまでも口でしてくれることはあったが、それはいろいろなことの一部であってメインじゃなかった。このときから、口ですることに時間をかけてくれるようになった。わたしがそれで達してしまうまで、たぶんそうしてくれようとしていたのだ。でもその行為で達するまでには、しばらくかかった。そう、そのときは自分の指でさえそういう行為の経験はなかったのだ。自分の指でそうなることができる、というのはもちろん知識としては持っていたし、それに名称がつけられているのも知っていた。でも、なぜかやらなかったのだ。


 コウタとのセックスで初めてエクスタシーに達したのは、コウタが仰向けになり、彼の顔の上にわたしがまたがって、わたしはコウタのものを口に含むという態勢の行為に及んだ時だった。付き合い始めて二か月くらい経った時、大学に入って初めてのクリスマスイヴの時だった。こんなに恥ずかしいことを自分が現実に行うことがあろうとは想像もしていなかったのだけれど、コウタに促されて気がついたらそうしていた。そして衝撃的だったのが、その態勢で達してしまったことだ。初めての経験だった、達しのは。初めての行為で初めてのエクスタシー。なにより、エクスタシーというもの自体わたしにとって生まれて初めての感覚だった。そのときは19歳になっていた。19年目にして未知の感覚をカラダが知ったということになる。そして、たぶん、なにかを漏らしてしまった感触があった、コウタの顔の上に。あまりの羞恥で、そのことには触れることができなかった。と同時に、快感とはこういうものなのか、ということをその時初めて知ったのだ。

 その経験以来、コウタはいつもこの態勢をもう一度しようとわたしを促すようになったが、またあの「なにか」を漏らしては、と思うとそれに応ずることはできなかった。あの快感をまた味わってみたいという気持ちは強かったのだけれど。でも、あの経験以来、コウタが口でしてくれた時は、だいたい「いけ」るようになった。それに中に入ってきてもそれほど痛くなくなった。


 わたしのセックスに対する感覚がちょっと変わったような気がした。つまりいままでは「コウタのために」応ずることのみに喜びを感じていたのだけれど、それ以降、「わたし自身のために」行為に及びたいという、そういう感覚だ。それはコウタにも伝わったのかもしれない。あのクリスマス以降、お正月を過ぎたあたりから、わたしたちはコウタの部屋でばかり会うようになった。部屋に入って、すぐにセックスする。コウタが達した後も、ずっと裸でベッドで絡み合っている。何時間も。夕ご飯の時間になると、シャワーを浴びて服を着て食事の支度をして、ご飯を食べる。そして、またする。ご飯を食べる時以外、何時間も裸でからみあっている。色々な話をしながら。これが、ほぼワンパターンのようになった。行為の内容もワンパターン。なにをどうするかの順番も。


 大学1年の期末試験が終わる頃、ワンパターンになっていたわたしたちのセックスにちょっと変化があった。コウタのすることに新しい内容が加わったのだ。そしてそれに対してわたしは強い違和感を感じた。コウタがわたしの裸を写真に撮りたがるようになったのだ。わたしを壁の前に一人で立たせ、コウタはそこから一メートル半くらい離れたところで座ってみている。「ここでみてるから服を脱いで裸になるところ見せて。」と、コウタ。「どうして?やだよ、恥ずかしいよ」「お願い」とおどけて土下座するので、わたしもできるだけおどけたように、一枚ずつ服を脱いでいった。すると下着だけになった時、コウタがおもむろにスマートフォンを取り出してわたしを撮影した。わたしはとっさにしゃがみ込んだ。「やだよ。なにするのよ。」と少しきつく言ってしまった。高校の時、よく「あなたの下着姿や裸の写真は、誰にも撮らせてはいけません」ということは、ことあるごとに、聞かされてきたということもあるし、それより本能的にただ恥ずかしかったのだ。

 「ユキの下着姿や、裸の姿をいつでも写真で見たいんだよ。一人でいるときに見たいんだよ。誰かに見せるなんてことはないよ。お願い。俺も一緒に脱ぐからさ。あ、俺の写真も撮っていいよ、裸の」と、コウタが言ったのを聞いて、ぶっと吹きだして笑ってしまった。こうして、不本意に場が和んだ。そして撮影を許してしまった。全裸の写真を。

 このとき以降、コウタの撮影要求は毎回のことになった。だんだんエスカレートして、行為中、そういう体位をとっているわたしの姿を映すようになった。まさにその部分と顔とが一緒に写ってる写真なども。大学2年の学期が始まる頃には動画を撮影することも要求するようになっていた。日中の明るい日差しが差し込む室内で。わたしが彼のものを口に入れている様子も毎回写真や動画におさめられた収められていたように思う。「もの」を口に含んで頭を上下する姿を撮影されるのは、なんだかとても惨めな気持ちだった。でもずるずるとしてしまって、断れなかった。コウタとの関係に違和感を感じ始めたのは、こういったことも大きく関係していると思う。


まさにこうしたタイミングでわたしの留学が決まったのだった。




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