第1章10話 『大いなる第一歩』

 落ちてくる。


 彼の肢体が、肉片が、肉塊が、落ちてくる。


 べちゃべちゃと音を立てて目の前に落下した『肉塊それ』を目にした時、ナミハはただ呆然としていた。

 何回遭遇しようと絶対に慣れない状況。


『人の死』である。


 圧倒的暴力による絶対的な非条理。それを行使されたものは、ただ平等に訪れる『死』を待つのみ。

 嫌になった。自分が嫌になった。

 あの時、立ち向かうと決めた。

 何も出来ずに死ぬのは嫌だと思って、駆け出した。

 その人を『邪悪』で『許してはいけない者』と認識したはずだった。


 でも、自分の心は目の前で死んだ谷岡ソイツにすら同情の心を持っていた。中途半端な自分に呆れた。

 あの時、認識したはずの『悪人』が目の前で死んだ時ですら、私の心は悲しいと認識してしまう。


 それは裏切りだ。何もかも決められない優柔不断な自分。

 実に中途半端な人間だと思った。


「……はっ…気持ち悪…」


 それは嘲笑だった。

 でもその嘲笑は目の前で死んだ谷岡でもない、レイに送ったものでも、アカギに対してでもない。


 自分に対してだった。

 不意に出た言葉は心を抉った。自らに対する嘲笑で、自らが傷ついた。訳が分からない。


 ただ立ち尽くす自分に声が掛かるのを感じる。

 気味の悪い視線すらも感じる。

 でも、聞こえなかった。

 そして動こうともしなかった。

 もう、誰にも自分を信じてほしくない。


 あの時、動けなかった自分を変えたい。


 あの時、掴めなかった手を今度は掴んであげたい。


 私の支えになってくれる二人を助けたい。


 もう、全てがどうでもいいと思った。

 だって何一つ叶えられないから。理想でしかないから。

 理想は理想のまま。突きつけられた残酷な現実は私の精神を削り、抉っていった。


 神様が存在するなら私の存在を侮蔑し、嘲笑い、晒しあげることでしょう。


 私は、私が嫌いだ。


 あの日からずっと。

 過去のせいにして、全部逃げてきた。

 全部他人に頼って生きてきたんだ。

 都合の良いように解釈して、自分は幸せなんだって甚だしい勘違いまで起こして。


 そんな中、ふと、心で思ったことがある。


 --もう死ねばいいのにって






 ***






 粉塵が上がる。


 目の前では上空へ飛ばされた谷岡が訳も分からず叫んでいるところだった。


 彼女は勇気を出して、拳銃を持った男にすら立ち向かっ行った。それはまさしく勇気で、光だった。


 昔のように勝気で、明るく、自由奔放な少女が戻ってきてくれたように感じた。この世界に来た時のナミハは、少し暗すぎたような感じがするから。


 記憶を見た。


 二人の兄と手を繋ぎ、目の前にいる金髪の蒼の少女と笑い会う日々。父と母はニコリと笑い、仲良く話している。


 気候が変わり、降り積もった雪で遊んだ日。


 捨て子だった自分を受け入れてくれた家庭。


 自分を『ともだち』と呼んでくれた少女。


 それは今は遠き日の追憶でも、また見たいと思えた。

 そして、その追憶をもう一度取り戻したいと思った。


 あの人はもういないけれど、彼女と笑う日を取り戻したい。


 少年は駆け出していた。

 目の前には触手が飛びかっていて、少女を視認すれば今にも飛びかかって切り刻みそうだった。


(---こんなんじゃダメだ!)


 自分に言い聞かせ、走り出す。

 粉塵によって、視界が狭まり、目に入らないように腕でガードしながら走っていく。


 上から落ちてくるのは鮮血と肉塊。不快な音を立てながら落ちる『それ』を見ても、ナミハは動かなかった。


 動揺も、困惑も、何一つ感じられない。

 心が空虚になってしまった、人形のような女の子。彼女はこちらを向いているはずなのに、虚ろな目はもはやどこを見ているのかすら分からなかった。


 助けてあげなきゃマズイと本能的に感じた。


 砂埃が晴れていく。


「………え?」


 その時、見てしまった。

 ナミハを見つめる二つの眼光。それは巨大で、大口を開きながら獲物を見つめていた。


 巨躯。いびつな形状はまさしく『怪物』と呼ぶのに相応しい姿だった。

 六本の触手をうねらせ、その先端は鋭利な刃物のような形状になって揃えられている。

 触手の先には赤くなっていた。

 それは自分たちの命を狙った【初心者狩りビギナーキラー】のものだった。


 鮮血で赤く染まる触手は狙いを定めている。


 目の前の虚ろな少女に。

 動きもしない獲物をただ、ゆっくりと狩る準備を。


「っ…ナミハさん!!」


 必死に叫ぶも声は届かない。

 今だけでいい、届いてほしい。


 自分のことを真っ直ぐ見つめてくれたあの美しい橙色の瞳。神すら見惚れるであろううるわしい金の髪。


 そんな顔をしないでほしい。


 僕のこれは理想かもしれない。


 本当のナミハはもう自分の思っているナミハとは違うかもしれない。僕と離れ、別の場所で生きるようになったナミハはもう別の性格になっているかもしれない。昔とは違い勝気で明るく、自由奔放な少女では無いかもしれない。


 でも、理想を理想で終わらせるのは嫌だ!!


 叶えたい理想がある、ただそれだけでいい。

 それだけが今の自分を動かす。


 足が壊れてもいい、彼女の為に傷を負ってもいい。

 変わったナミハなんて知らない。ナミハはナミハだから、たとえ変わっていても…思い描く未来のために新しいナミハと新しい思い出を描く。


 あの時、彼女の話を聞いてあげられなかった自分を。


 あの時、彼女にしっかり勇気づけられなかった自分を。


 あの時、彼女の涙を拭えなかった自分を。


 君とまた「ともだち」でいたい

 笑い合う日々を取り戻したい。


 そこに欠けている存在があっても、過去は振り返らない。

 未来のためにただ走る。


 そんな空虚な目をしないでほしい。

 全てを諦めたような顔をしないでほしい。


 今だけは僕を信じてほしい。


 僕は心の中で必死に思い、叫ぶ。


 --生きてほしい、と






 ***






 背後で何かがうごめいているのを感じる。


 もう目の前まで『死』は迫っているのだろうか。


 どうせ死ぬなら布団の上がよかったかも。

 愛する人に見守られて、愛する人の膝の上で、なんて夢物語を描いていた。


 死ぬという事に何も変わらないのだから、何も期待する必要ないんじゃないか。


 死ぬなら死ぬでそれでいい、って。


 その時、身体に衝撃が走った。


「あがっ!?」


 私の身体が無気力に、地を転がっていく。

 全身を地面にぶつけながら、無様に転がっていく。


 --痛い。


 眼前で地面に何かがぶつかった衝撃により、砂埃がまた上がっていた。


 死に損なった。

 そう思った時、


 目の前には少年がいた。

 美しい空色の瞳が、揺れている。


 瞳に涙を溜めながら、私のマフラーごと胸ぐらを掴み上げ、無理やり担いだ。


 レイの額が発汗した。

 汗を流し始めると同時に、走り始める。


 後ろでは轟音が響く。

 何かが暴れている音。

 どうでもいいと振り向かなかった私は、ついに振り向いた。


 後ろには巨大な髑髏どくろがいた。

 いや、髑髏を被ったトカゲのような生物。

 触手を持ち、暴れ回っている。

 脚や腕などは存在せず、地面からその巨大な体を半分だけ覗かせ、ひたすらに暴れている。


 レイはそんな巨大な生物から私を抱えて逃げ回っていた。


「もう、いいの、レイ…」


「………」


「私は、もう誰にも信じられなくていい」


「………っ」


「私を、死なせてよ」


「うるさい黙れ!!」


「…!?」


 突然響き渡った少年の怒号。

 顔には焦燥が浮かんでいる。

『怒髪天を貫く』勢いで叱り付けられた私は口を閉ざしてしまった。


「今、ナミハさんを抱えるだけでも必死なのにっ…走ってるんだぞ!」


「な、ならっ…」


「でも、それがナミハさんを見殺しにする理由になんてならない!! 僕がそれを許さない!!!!」


「な、んで…」


「君に、また笑って、ほしいから…」


 息を切らしながら必死に私を諭しながら走る彼。


 なんで、私なんか助けるの。

 生きることすら諦めた、ろくでもない人間なのに。


 レイが思うほどもう私は誰かに誇れるような人間じゃない。

 レイの思ってる私は違う、それは別の誰かだ。


 でも、私の瞳からは涙が流れる。意味がわからない。

 なんで流れるか分からない涙、疑問だらけの涙。


 でもその涙には明確な意思が存在するように。

 彼の言葉に反応し、流れる。


「なんで、なんで、なんでよぉ…」


「あと、少しですから我慢してください…」


 私を抱えて彼が走る。

 必死な姿だ。女の子を抱えて走るなんて辛いに決まってる。

 でも、汗を流して、焦燥を浮かべながらも、彼は決して『弱音』を私の前で吐かなかった。


 私を助けてくれるその姿は…。

 何故か、その姿はとても頼り甲斐のある『誰か』と被さって見えた感じがした。


「レイ!! こっちだ!!」


 アカギがレイに向かって叫ぶ。

 彼のいる場所は木がたくさん植えてあった。それはうねる六本の触手の斬撃を防ぐには充分な太さ。

 そこに逃げ込めば、多少なり時間は稼げる。

 怪物から逃れ、出口へ逃げ込むほどの時間は。


 でも、怪物がそれを許すはずもなかった。


「ぐあああぁっ!?」


 後ろで響いた爆音と共に何かが飛んできてレイに直撃する。レイが転ぶと同時に、ナミハはそのまま投げ出される。


 頬に傷を負いつつも、顔を上げるとレイが口元から血を流していた。彼の脇腹にナイフが刺さっていた。それは谷岡に向かっていった私が落としたもの。


 深く刺さっており、内臓をも傷つける勢い。

 血を吐き、彼が苦しむ、もがいている。


「あぁ…もう、やめてよ…」


 私の顔が再び絶望に染まる。

 その時、アカギの顔もまた、蒼白になっていた。


「そんな…出口が…」


 目をみやると、爆発のような音と共に、出口も吹き飛ばされていた。それは希望の光が絶えた瞬間だった。


 自分を助けてくれた人が倒れ、今も死を目の前にしているかもしれない。


 そんな中、また自分は動けないの?

 私はまた、私を侮蔑する。


「ナミハ…さん…」


 彼が口を開く。血を吐きながらも、私に語りかける。

 空虚になっていく私を見かねてその苦しい状態だというのに、彼は言葉を伝えてきた。


「僕は、いいから…アカギと、逃げてください…」


 それは少年の願いだった。

 もう彼のいう理想が叶わないかもしれないと思った瞬間、彼は目の前の理想より、一人の少女が確実に生きれる未来を選んだ。自分の命を切り捨ててまでも、少女を生かそうと。

 アカギならきっと彼女のみを助けてくれる選択を取ってくれるはずだと。願いをその空色の瞳に浮かべる。


 その姿はまるで、自分たちにずっと気を遣い続け、無惨にも道化師に殺された武人の姿。義兄の姿と同じだった。


 --もう、そんな真似は二度とさせない


 橙色の瞳に決意が宿る。信念が燃える。

 怪物はわらう。目の前で死に絶えるべき少年を、確実に殺し、喰らうために。


「やめ、ろ…」


 少女の声が、中庭にポツリと、落とされる。


「彼に…触るな…」


 怪物の触手が、レイを殺そうと近づいていく。

 それは速度を上げるためにキリキリと音を立てて、引いていく。四方から突き刺し、少年を素早く殺すために。


 ナミハの怒りの声が、響く。


「レイに…」


 ナミハの腕が、蒼く光り始める。

 それは眼底までくらませるようなくらいの強い光。

 水のように透き通った色が、光に宿る。


 怪物が触手の動きを止めた、警戒をする。

 目の前の死にゆく少年よりも、目の前で光り輝く少女に狙いを切り替える。


「ナミ、ハ…さん?」


 少年の目が見開かれる。

 その光は見たことがあった。その腕の光には見覚えがあった。

 自分たちを守ってくれた青年と同じ光。

 レイは、その青年が言っていた言葉を思い出す。


(--『特別な力』が発現した際に、その紋章は輝きを放つ。最初に発現する時に、その紋章は大きく輝く。)


 それはナミハは強い覚悟を決めたことにより、発現した。

 ナミハの覚悟は、他の人間とは違う。

 自分が無力だと自覚した上で、誰かを助けたいと願う…強い想い。強大な想いは、強大な力をもたらす。


 それは不相応な力かもしれない。

 それは常人に扱うのは難しいかもしれない。

 だが、力は、力を持つべきものに渡る。

 彼女にもたらされるものは『祝福』

 自分を乗り越え、他人の為に、立ち上がれる強い力。


 彼女に渡る力は、奇跡だ。


【想いは力に変わる。その力はやがて強大なものとなる。】


(--俺はこの力の事を…【神力ギフト】と呼んでいる。)


 青年は、【神力ギフト】をその身に宿していた。

 その力もまた、強力。


 だが、彼女にもたらされる【神力ギフト】は…


 まさしく、神にも等しい力。

 使い手と共に成長し、使い手に相応しくあろうとする力。

 過去にその力を手に入れることが出来た人物は…


 --たった一人。


 その時、ナミハが無意識に手を構える。

 人差し指を前に突き出し、構える右手を左手で掴む。固定された砲台のようなその形は、怪物の動きを一瞬止めるも、止めただけに過ぎなかった。


『ゴオオオオオオオオオオオオオオオオ!!』


 咆哮をあげながら、怪物は触手を操り、少女を八つ裂きにしようとする。


 しかし、その手から放たれた蒼い光は。


 怪物の触手を跡形もなく、吹き飛ばした。

 彼女に迫った二本の触手は無惨に吹き飛ばされ、残された触手の動脈からはピューピューと血が吹き出る。


『ウガァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!?』


 今まで味わったことのない痛みに怪物が叫ぶ。

 人語ではない咆哮。しかし、それは確実に悲鳴だと伝わる。


 ナミハは衝撃のあまり後方に吹き飛んでいたものの、すぐに服から埃を払い、手をつき、立ち上がる。


 過去にその力を得て、共に成長し、覚醒できた者はただ一人。


五大属性サンクアトリビュート


 その中でも、【神力ギフト】としての最大出力は限界がなく、バランスがとれて、扱いやすい【神力ギフト


五大属性サンクアトリビュート】--【ウォーター


 彼女の中で輝く蒼の光。

 その美しさにレイやアカギは目を奪われる。

 武器を呆気なく吹き飛ばされた怪物は警戒を露わにする。


 怪物の触手は再生を始めている。

 目の前の生物を強者と捉え、今にも臨戦態勢に入る。

 圧倒的強者による蹂躙ではなく、純粋な戦闘を。

 獲物ではなく、明確な敵と。


(--レイの状態が心配…はやく倒さないと)


 強大な力を身につけた少女は決して慢心しない。

 目の前の敵が、かつてない強敵であることを、無力だった頃の彼女が知覚している。


「私たちは生き残る。 だから、怪物は…」


 彼女の指先がまた光り輝く。

 右手を構え、標準を怪物に合わせる。


 --生きるための殺し合いが、幕を開ける


「全部、倒すわ」

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