第1章7話 『思い出したのは、彼方の追憶】
(-----痛い…。)
身体に鈍い痛みが広がっていく。目の前は真っ暗だ。意識は無いのだろうか…。
あの時の事を後悔していた。自分があそこで動けていれば、サクラの手を掴む事が出来れば。もし、サクラやタツヤが私と離れて、その先で最悪の『運命』が待ち受けているとするなら?
--それは最悪だ。
レイは真っ直ぐな正義感を持ち、どうしようも無い相手に立ち向かって行った。それは無謀とも言えるものであったが、駆け出し、そして足を止めた私なんかとは比べるまでもなかった。
私は…屑だ。眼前の恐怖に屈し、自分たちを助け、守ってきてくれた一人の男の為に勇気を出すことも出来なかった。
いや、出した。偽物の勇気は。それは滑稽で、笑えるようなもので、自嘲したくなるくらい醜いものだった。
駆け出した足は、強大な恐怖の前に止まり、そこでただ震えていることしか出来なかった。そんな事になるなら、最早動かない方が幾分マシだった。
遠くから声が聞こえる。真っ暗な世界で、聞き覚えのある声が響き続ける。誰だろうと疑問を寄せる前に、
--私の意識は覚醒した。
***
「ナミハさん!!」
目の前で意識を失っている同郷の少女に対し、島崎レイはひたすら声を掛け続けていた。
『アンノウン』によって行使された
辛うじて手を掴んだ、
重力による落下衝撃などは存在せず、空中に投げ出された衝撃で意識を失っていたレイとアカギはすぐさま目を覚ました。
しかし、大量に血を垂れ流し、腹からは
そして、同郷の少女であるナミハは涙で顔を汚しながら、未だに意識を失ったままだった。
(--お願いだ! 目覚めてくれ!!)
アカギが龍崎への応急処置へ専念している間に、レイは未だ眠るナミハに声を掛け続けていた。
彼らが飛ばされたのは、寂れたコンクリートの巨大な校舎とは打って変わって、広大な中庭を持ち合わせていた木造の校舎だった。薄汚れていて、建てられてから何十年経ったか分からないその校舎は、薄気味悪い雰囲気を
(----『怪物』が…いるかもしれない…。)
それはこの世界へ来たばかりの彼らへ迫った恐怖の象徴だった。人間を容易く殺し、その血肉を喰らう化け物。
『Dark Side』の「洗礼」を浴びせられた彼らは、もう龍崎に頼ることが出来ない、そして無力のまま、未知の世界へ投げ出されたことに再び恐怖を感じていた。
「…………ん……。」
「……あっ!!」
その時、レイの前で意識を失っていたナミハの目がゆっくりと開かれた。少年は安堵と驚きの声を漏らす。微かな呼吸と共に目覚めた彼女はまだ現状を把握出来ていなかった。
しかし、目覚めた直後にも彼女は感じたのだろう。この異様な雰囲気を。
「--ここは…どこ?」
「ナミハさん、目覚めたんですか!!」
「島崎!! 潮風が起きたのか? はやくこっちへ来い!!」
「は、はいっ!!」
まだフラフラするナミハさんに肩を貸しながら、レイはアカギに呼ばれ、龍崎の元へと駆け寄る。彼は今にも、死に瀕していた。ゆっくりと呼吸をするも、激痛に苦しめられている。
しかし、喋る事もままならないような彼が、口を開いた。
「……ナミハ…そしてレイ……。最期に…聞いてほしい事がある……。」
「…………。」
全身を駆け巡る激痛に苦しみながら、口から血を溢れるほど零れさせる彼は口を開く。それはまるで何かを託そうとしているかのように、最期の最期に言葉を振り絞りはじめた。
「--やっと…思い出せた……。」
***
「シオンおにいちゃーん!!」
「久しぶりだな、ナミハ!!」
俺には可愛い、妹のような存在の子がいた。
『潮風 ナミハ』。最近、誕生日を迎えたばかりで、三歳になった。喋れるようにもなり、そこら辺の子供よりもあまりにも流暢に話すので自分なりにも驚いた。
そして、ナミハが自分の元へ来ていたのには理由があった。
「シオンにいちゃ!! ナミハだけ、構っちゃやあ!!!」
可愛い弟がいた。いや、正確にいえば、我が家へ迎え入れられた養子だ。つまり、最近出来た弟だ。血は繋がってはいないが、それでも弟だと思い、目一杯可愛がった。
『島崎レイ』。弟の名前だった。名前だけしか無かったその子は、捨て子だった。理由も分からない、だが、見兼ねた俺が拾い、家族に必死になって懇願した。
その懇願が実を結んだのか、父の方が先に折れた。晴れて、容姿へ迎え入れられたわけだ。
そして、家族になったレイには、友達がいた。ナミハがその友達で、父繋がりでよく家に遊びに来ていた。
「レイーー!! あっちで遊ぶぞー、どぅわっ!!」
「うぎゃーーーっ!!」
自由奔放で明るく、元気なナミハにレイはいつも振り回されていた。一個上の少女に振り回される少年は情けなく感じたが、子供らしさとその天使のような二人の笑顔に、常に癒しを感じさせられていた。
そして、俺にはもう一人、弟がいた。
「レオン、お前どこをほっつき歩いていたんだ。」
「ごめぇ〜ん、兄さん!! 自分の知らない広い世界をこの足で…!!」
「言い訳はいいから、ナミハたちが来てるから遊んでやれ。」
『島崎 レオン』。俺と血の繋がった…実の弟だった。
レオンは昔から好奇心が旺盛で、興味のあったことに余計に首を突っ込んでしまう傾向にあった。そのせいで、危ない目にもあったことがある。こっぴどく、父に怒られた時は流石に涙を浮かべていたくらいだ。
その分、れおんは学園では人気者だった。容姿端麗で、額の上で分けられた美しい額は多くの女性を魅了した。
レオンは毛程も恋愛に興味がなかった。興味があったのは、自分の心を駆り立てる未知の何か。
しかし、家族や可愛い子供たちには優しく接し、彼も同じ島崎家の人間だった。大切な弟だった。
その光景を見守る背後から声がした。
「シオンくん、お世話になってるよ。」
「いえいえ、レイを可愛がってくれて、こちらこそありがとうございます…『潮風』さん。」
「ははは、苗字で呼ばれるのは未だに慣れないなあ。名前で呼んでくれてもいいのに。 少し堅苦しくてね。」
「……すいません。」
「そーいうところだぞっ。」
彼はナミハの父親だった。男でも見惚れるくらいの金色の髪、爽やかで、聡明な人だった。彼は、皆んなから尊敬されていた。
だからこそ、彼を名前で呼ぶことはできなかった。
彼は正体の明かすことの出来ない仕事をしている。自分の不用意な発言で、もし、彼の正体がバレるようであればナミハに不幸が降りかかるかもしれない。それを危惧したからだ。
十五歳にしては、自分はよくできているなと思った。
「パパー! ママはぁーーー!!」
「はは、ごめんよナミハ。 ママは今日もお留守番みたいだ。」
彼は苦い笑みを浮かべながら、ナミハにそう伝える。
彼の妻であり、ナミハの母であるその人は、持病を患っていた。
持病の影響で、ナミハの母は長い闘病生活を送っている。ナミハは母に会えない寂しさを、せめてここで埋めてほしいと、そう願って彼は、ナミハの父はレイたちと遊ばせていた。
「すまないね、シオンくん。君たちの所に世話になるような感じになってしまって。」
「大丈夫ですよ、レイに、レオンも楽しそうにしています。」
「……それなら、良かったよ。」
彼は真っ直ぐな目で空を見つめる。夕陽が沈んでゆき、夜を迎えようとしていた。世界が暗くなる前に、彼は俺たちに別れを告げて、ナミハを連れて帰って行った。
「ま、ま……また! 遊ぼうね!!」
「うん!!」
寂しそうな表情をするナミハに、レイは肩に手をポンポンと置きながら心地よく返事をした。
「うちの子以上の自由っぷりに、困り果てちゃうね。」
腰に手を当てながら。そう呟くレオンはその顔を泥で汚していた。誇らしい顔なんてどう考えても出来るはずないのに、誇らしい顔をしていた。
「顔、洗った方がいいぞ。」
「ふふんっ、『英雄ごっこ』は楽しかったからいいのさ。ごっこ遊びほど楽しいものは未知以外、存在しない。」
顔を洗い流しながら、意味のわからないことをほざくレオンを諭しながら、帰路へついた。その日、レオンは少しやる事があるからと言い、自分の元を離れていった。笑顔で駆け出していく彼を見て、また興味本位で変な事に手を出さないか心配だったが、大丈夫だろうと信じて、そのまま彼の行方を見届けた。
--それが、最後にレオンを見た姿だった。
レオンは次の日も、その次の日も帰ってくる事はなかった。
初めは何か、また変なことをしでかしたのでは無いかと大した心配はしていなかった。人に迷惑はかけても、心配はかけさせない。島崎レオンはそういう男だったからだ。
だが、それが間違いだった。
俺はそれ以降、レオンに会うことは出来なかった。
そして、死の間際まで『本当のレオン』に会うことは叶わなかった。
そして、『龍崎 シオン』…。いや、『島崎 シオン』としての記憶はそこで途絶えていた。
***
「……俺が思い出せたのはこれだけだ。」
涙を零しながら彼の方に手を乗せるナミハとレイ、その光景にシオンもまた、微笑んでいた。
「大きくなったなって…思ったよ。なんで、忘れてたんだろうなぁ…。 大事な記憶だったのに……。」
「……違う、違うよっ……。 私達も忘れてたもん、だから、シオン兄さんだけじゃないから、自分を責めないで…。」
ひたすらに涙を流しながら、ナミハはシオンへ語りかける。声を荒らげ、ただただ必死に…。目の前の瀕死の男に対し、語りかけていた。
「この空間で、俺が起こしたのは…。『記憶の混濁と消失』。死の間際で、ようやく思い出せるようになるんだろう。」
シオンが、この世界に来たのは十七歳の時だった。最愛の弟であるレオンを失い、彼はただ自らの意思でその行方を追い続けた。そして、記憶を辿り、彼の進む方向へ足を進め…。そのまま、意識を失ったのだ。
気づけば、そこは地獄。怪物が巣食い、人が死んでいく残酷な世界。彼は生きる為に、何でもした。そんな地獄の日々を送るうちに、彼は自分の中に起きた些細な変化に気づくことが出来ないまま、少しずつ記憶を失った。
「ナミハ、レイ……。君たちの記憶は間違いなく失っていた。でも、レオンの記憶だけはいつも有り続けた。きっと、それが俺をつなぎ止めていた【何か】だと思う……。」
「でも、レオン兄さんは……。」
レイの言葉に対し、シオンが苦い表情を浮かべる。同時にナミハは、怒りの感情に駆られていた。
行方不明になった『島崎 レオン』。でも、彼は恐らく行方不明なんかじゃなかった。『神隠し事件』に巻き込まれ、ここへ来た。そして---。
「でも、私の知ってるレオン兄さんは……あんな邪悪じゃないっ……!!」
私は先刻の記憶の男に対して、怒りを込めてそう言い放つ。
『アンノウン」と名乗ったその男は、間違いなく島崎レオンと同じ姿をしていた。記憶の彼と違ったのは、彼もまた成長していて、独特のヘアバンドを巻いていたことだけ。変化と取れるものはそれだけだった。
「……俺は…ここに来てから一度だけ、奴にあった事がある…。その時は仮面を付けていたせいで分からなかった。だから俺は全力で奴と戦い、追い詰めた。」
シオンはまるで後悔しているかのような口振りでその過去を話し始める。過去にアンノウンと名乗る男と対峙した記憶を。
「俺が奴にトドメを刺す一撃の前に、その仮面が割れた。その目に写ったのは、自分が今まで探し出してきた実の弟。弟の顔だった…。」
過去の記憶を語る彼の呼吸が乱れてきた。もう、限界が近い。彼の命の灯火は今にも消えようとしている。
「もう、もう…。大丈夫ですから、シオン兄さん。」
「いや……。自分の身体のことは、自分が一番よく分かる……。このまま喋らせてくれ。」
ナミハが彼の言葉を
--もう、シオンがこの世に入れる時間はもう残されていなかったからだ。
「この場所は俺がよく知っている…。 旧校舎だ…。 旧校舎の地下を探せ、そこにお前たちを助けてくれる人がいるはずだ。 俺の名前を出せば、きっと受け入れてくれる…。」
その時、龍崎の腹から流れ出てる血が弱まるのが見えてきた。目から光が失われていき、言葉もか細くなっていく。そんな状況になっても、島崎シオンはただひたすらに、目の前の希望という存在に対して全てを託していった。
「意地悪な人だけど、きっと助けてくれるさ……。」
「……うぅっ…ぐうぅぅっ……。」
「シオン…兄さん……。」
二人は涙を流していた。ただひたすらに、思い出すことが出来なかった後悔に。遠き日の思い出に。
「二人とも小さかったから……。 今まで、伝えられなかったよな…この言葉は…。」
シオンが天を仰ぐ。灰色の空は未だに変わることがなく、昼夜が存在しない空間の空を見つめた。そして、二人の傍にいるナミハとレイを見つめ、言葉を発した。
「--俺は、皆のことを愛していた。」
その言葉以降、シオンが言葉を発することはなかった。
それはナミハたちがこの世界へ来て初めて経験する、近しい存在の死だった…。
「…………ぐぅぅぅ…。」
ナミハが歯を食いしばる。口元からは血がこぼれる。それは義兄を失った悲しみを抑えたためだった。今、ここで泣き叫ぼうものなら『怪物』が来るかもしれないという予感がしたからだ。必死に、声を抑え、そしてすすり泣く。今すぐにも吐露したい感情を抑え、ただ静かに。
レイもまた同じように、静かに涙を流した。それは今まで自分を愛してくれた兄を弔うように。ただ、静寂に。
二人の様子を見守っていたアカギは静かに拳に力を入れた。あの時の自分の無力さを呪い、怒りを覚えたからだ。強く握られた拳からは血が
そして、それぞれが『島崎 シオン』の弔いを終えたあと、彼の遺言に従って三人で歩みを進めた。
ここから無事に生き残ること。
託された思いを胸に、彼等彼女等は歩み始める。
島崎シオンの亡骸を抱え、ただひたすらにゆっくりと。
--各々が様々な想いを胸に抱き、共に進んで行った。
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