第1章6話 『GOOD BYE EVERYONE』

「………。」


 地面が赤黒く染まっていく。

 龍崎の肉の欠片が飛び散り、今まで嗅いだことのないような異様な臭いを放っていく。それは残酷にも、ただ『絶望』という存在を突きつけていくには、無力な私たちにはそれだけで充分だった。


「………………………………………………がふっ…。」


「……しぶといなぁ、お前も。」


 地に伏し、口から多量の血を零し、吐き出し、今にも目の前に迫る【死】という存在に藻掻もがいている彼に対し、無情にもあの道化男アンノウンは、その足掻きに対し、唾棄する。その行動は、もしその場で彼に抵抗出来る者が存在するのならば今にも飛びかかって殴りつけるような事をしていただろう。


 --だが、私たちは無力だった。


 力が無いゆえに、抵抗する気力がないゆえに、危険を顧みるのが怖いがゆえに、眼前の恐怖を超克する勇気がないがゆえに、奴に抵抗する事も、その行動に対し怒ることすら出来なかった。出来なかったはずだった。


「はぁ……。 まぁ、いいや。 放って置いても死ぬ命だけど…トドメを刺しておくことに越したことはない。」


「…………がぁ………ぐっ……………………。」


 アンノウンが龍崎さんの頭上で手を振り上げる。その手の形は、今の今まで龍崎を追い詰めてきた、あの手刀と同じだった。奴は確実に、命を刈り取るために。


 その時だった。

 私の身体は勝手に動いていた。まるで意思に反するかのように、目の前の存在が見えていない節穴の少女の如く。


「ああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあ!!」


 必死に叫び声を上げながら、アンノウンへ接近する。サクラは怯えている、アカギはただ一点を見つめながら独り言を言い続けている。タツヤは未だに意識を失ったまま。レイくんは、私を見てその目を大きくしていた。そして、残りの。震えながら、ただ死を待つ人々は私を見て、きっとこう思うだろう。


(--哀れだ、と。)


 私にも、何故自分がアンノウンに逆らってまで龍崎さんを助けようとしたのか分からない。でも、私の本能が、私の思考が彼を助けようと、その無力な身体を突き動かしたのだった。


 無謀だった。

 助けられるはずない。

 だって、今まで助けられていたのに。


 それほどに、目の前の存在は大きく、強大で、恐怖を纏い、私たち弱者を簡単に捻り潰せるような、そんな存在だった。目の前で頼りにしていた『龍崎 シオン』は、心を砕かれ、彼は私たちの目の前で今にも死にそうになっている。


 そんな相手に何が出来る?

 こんな行動、無謀でしかない。


 今の私たちは『絶望することだけが救い』。

 どうしようも無い現状に抗う必要なんてない。今の、今まで逃げてきたから…。だから、今回も、もう諦めよう。


 --私の足は、そこで止まった。


 本能が、意思に負けた瞬間だった。張り巡らせた思考は私の身体を、足を、勇気を止めるには充分だった。


「何だァ…? あいつは?? 叫ぶだけ叫んで、何がしたかったのか理解できないな、本当に。」


「…………………………あっ。」


「『哀れ』とでも言っておこうか。」


 私の行動に疑問を抱き、そして、途中でその行動すら止めた私に対し、奴は一言そう呟いた。それは罵倒の言葉だった。奴は、醜悪な笑みを浮かべていた。龍崎と対話していた時のように、他人を嘲笑あざわらうピエロのように。


 その時、後ろから翔ける音が聞こえた。


「ナミハさん! 足を止めないで!! あの人を!! 龍崎さんを助けるんじゃないんですか!!??」


「………えっ…………あっ………………レイくん?」


『島崎 レイ』はその空色の瞳に、強い信念を燃やしていた。彼の行動には、迷いがなかった。ただ、ひとつ。目の前で命の灯火を消そうとしている龍崎の命を救うために。


 助かるか、助からないか、そんな前提は全て捨ておき、ただ一つの事のために彼は駆け出す。


「はやく!! ナミハさん!!!!」


「…レっ………レイくん、私は…………私はっ………。」


 ナミハは、そんな彼を見ても動けなかった。滑稽だった。惨めだった。誰かの為に動く、彼を見て。ただ、自分の為だけに足を止めてしまったナミハ自身に対し、呪いたくなるくらいに。


 --私は、弱い。


 目の前で金色の髪をなびかせ、横を過ぎ去っていったレイは、私とは対局の存在だった。


「龍崎さんから…離れろぉぉぉぉおおおおおおおおお!!」


「もう一匹ぃ!! 哀れな雑魚は居たみたいだなぁ!!!」


 アンノウンは眼前に迫る新たなる獲物に対し、敵意を剥き出しにした。龍崎が守り、そして導いてきた弱者。その一人が、自分に対し、抵抗の意志を見せ襲いかかってきた。


「いつ見ても思う!! この世界に来たばかりの、イキイキした弱者が一番輝いて見えるんだ、俺はァ!!!!」


 アンノウンは、今まで同じような光景を見てきたと言わんばかりの、そんな言葉を口にしていた。目の前に走ってくる、金色の少年。唇を噛み締め、血を流し、龍崎を救うためだけに、それだけの為にひたすら走り続ける。


 そして、龍崎へと手を伸ばした瞬間。


「おい、ガキ。 俺を無視とはいい度胸じゃねぇか。」


 彼の真横で声がする。少年は迂闊うかつだった、迂闊というより間抜けだった。彼は目の前の目標に囚われるばかりに、本来、龍崎を打ち下したアンノウンの存在を視野に入れる事が出来なかった。彼の真っ直ぐな正義感は、その正義感ゆえに盲目になってしまった。


「………………あ。」


 呟きが零れる。それは、死を覚悟した声音だった。

 その直後、鈍い音がした。それはアンノウンの手が彼を貫いた音なんかではなく、


「…ぐあっ!? て、てめぇっ!!!!」


「………手は………出させないっ…!!」


 地面に倒れ、今にも死にそうになっていた龍崎による意識外の攻撃だった。そのあまりにも予想外の攻撃に、アンノウンは反応を遅らせ、鉛玉によって胴体を貫かれた。


武器変質ウェポンチェンジャー』。それは龍崎 シオンの【神力ギフト】だった。両腕を失った彼には、正確に武器を変化させたとしても抵抗のしようがない。その油断こそが、アンノウンの判断を鈍らせるには充分だった。


「……がっ!!」


 胴体を貫かれたことにより、血を吐き出すアンノウン。

 意識外からの攻撃で、完全な無防備状態。それは正確にも人間の弱点を貫き、アンノウンに対して深刻なダメージを与えた。


 龍崎は自らの【神力】を使い、足を散弾銃ショットガンへ変貌させた。眼前に迫っているレイには当たる可能性があっても、死ぬ可能性は限りなく無かった。何より、今ここで撃たないと遅かれ早かれレイは死んでしまうと思った彼は、迷いを捨てて銃を撃った。


 足を曲げ、背に着くくらいに散弾銃を構えた龍崎は、その不格好な姿で奴の胴体を貫くことに成功した。そして、彼の横を過ぎ去って行った弾丸は、レイに当たることはなかった。


「龍崎さん!!」


「…………ぐっ…。」


 激痛と、血が垂れ流しの状態となっている龍崎はその肌を青白く染め、今にも死にそうになっていた。目は生気を失いつつあり、皮膚は血の気を引いていっている。


 レイは龍崎の元へと駆け寄り、彼の作った時間を無駄にしないために彼を背負い、今にもその場を離れようとした。


「……逃がしや…しねぇ……。」


「……なっ!?」


「…………くそっ…アンノウン……。」


 絶対に逃がさないと言わんばかりに二人の前へ立ち塞がる道化、レイと龍崎は彼の異常なまでの執着に、その身を震わせた。彼の目に宿る憎悪は、何もかも闇に染め上げてしまいそうだったからだ。


「残念ながら、てめぇが命を賭けた不意打ちは……認めてやる……。だが、ガキ共だけは、この空間で…。」


「………まさか…!? やめ…ろ、それ……だけは…!!!」


「いいや…やめねぇ……。言っただろう、逃がさねえって…。」


「…………!!!」


 アンノウンの発言に、龍崎の表情が凍り、そして彼は焦りを見せた。その死の淵で、彼の見せた焦りは、まるで以前その行動自体に覚えがあるようだった。


 --その瞬間、屋上が、揺れた。


「な、なんだ!?」「何これ!?」周囲からは困惑の声が上がる。屋上で経験したのは、重力。だが、そんな重力でも、更にやばいものが迫っている感じがした。


反転反立超越世界ゼロ・グラビティ


 彼がそう呟くと、屋上を取り巻く全てが上へ持ち上がっていった。割れた地面の欠片は宙へ浮き、地面は引き裂かれ、ただ一つの瓦礫と化す。


「く…そ…。やられた………。」


「龍崎さん!!」


 私たちの無事な訳がなく、彼の能力により上へ持ち上げられていく。抵抗すらままならない状態で、ただひたすらに上へ持ち上げられる。失った重力に逆らうことは出来ず、ひたすら上へ、上へと、突き上げられていく。


 サクラは手を伸ばした、先に上へ飛ばされた私へ掴まるために。私は必死に、手を伸ばした。彼女の手を取れるように。


 しかし、私の差し伸べた手は空を切った。瞬間、私の身体は更に上へ持ち上がった。サクラは横から飛ばされた他の人にぶつかり、空中にも関わらず、飛ばされて行った。


「ナミハーーーーーーーーーーッ!!」


「サクラァァァァァァァァァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」


 私は声が千切れるくらいに叫ぶ。必ず生き残ると、心の中で勝手ながらにそう誓った彼女の、守るべき友が、仲間が無情にもナミハの元から消えていくからだ。


「…あぁ……あぁぁぁ……。」


 過酷の連続。突然の日常の崩壊。怪物の襲撃。龍崎を死の淵まで追い込んだ存在の絶望感。そして、目の前で飛ばされていった友。その姿を見て、ナミハは『絶望』していった。


 無力な少女の心をへし折るには、有り余る絶望だった。

 彼女は涙を浮かべ、そして流していく。自ら動けなかった無力感、そして友を助けることができなかった自分への失望。


 --潮風 ナミハは『希望』を捨てようとした。


「ナミハさん!! 掴まって!!!」


「はやくしろ!! 潮風!!」


 その考えは直ぐに放棄された。ナミハに声を掛ける、二つの声が聞こえたからだ。目の前には二人の男子がいた。一人は自分を鼓舞した島崎 レイ、そして二人目はサクラと親しくしていたアカギだった。手を繋ぎ、そして無力な自分にすら手を差し伸べる。


 ナミハに対して、差し伸べるレイの反対の手にはアカギの手が繋がれ、そのアカギの脇で、血を流し続けている龍崎が担がれていた。手を掴み、更には成人男性一人を担ぐアカギの顔には、余裕なんて何一つなく、顔からは汗が吹き出していた。


「はやく!!!!」


 自分を叱責する声に、俯瞰ふかんする暇すら失い、彼女は咄嗟に目の前の手を掴む。重力に抗い、彼の手を掴んだとほぼ同時に彼等彼女等は飛ばされて行った。


 --そして、私たちの意識はそこで途絶えた。






 ***






「--よっと。」


 瓦礫にだらけのその場所を、一人の男は駆け下り、一息ついた。怪物だらけの空間を、男はひたすら歩き続ける。


「……この仮面にも、飽きた。」


 腹から血を流しながらも悠然に歩くその男の姿を、もし人間が目撃したら間違いなく怪物だと思うだろう。口から血を流しながらも、それを気にすることなく、ぶつぶつとただ独り言を喋っていく。


「それにしても、名演技だったよなぁ、俺。声を荒らげるなんて、性格に合わないじゃないか。 道化の仮面を被ったんじゃなかったのか?」


 怪物に対し、彼は語りかける。

 無論、言葉など通じるはずなく、彼の言葉は無視される。溜息をつくも、それ以上の対話を求めることはなく、彼は長い回廊をひたすらに歩き続ける。血と、臓物と、獣に溢れたその空間を、顔色一つ変えることなく歩いていく。


「おい。」


 その時、彼の背後から声がした。

 それは、少年のように高い声であり、彼の知覚している声と同じものであった為、笑顔で振り向いた。


「やあやあ、久しぶりだね、支配人マスター♪」


 笑顔でその声の主に対応する男は、目の前の存在を支配人マスターと呼んだ。


 この男、支配人こそ、この『Dark Side』の空間を広げている張本人であり、ナミハやレイたちをこの世界へ連れてきた元凶そのものであった。


 支配人と呼ばれた男は、仮面に近い被り物をしており、その被り物には笑顔の顔文字が書かれていた。実にふざけた格好であった。青いパーカーの軽装をした彼は、そのまま血塗れの男へ話しかける。


「派手にやりすぎだ、アンノウン。 どういうつもりだ。」


「どういうつもりも何も、君の望んでいた通りに『シオン』を始末した。 それの代償みたいなものかな。」


「『龍崎 シオン』が確実に死ぬところを見たのか…?」


「いいや、見てないさ。 ただ、あの致命傷じゃ、どっちみちもう命は長くないと思うし、良かったじゃないか。 これで君の未来は安泰だね。」


「見ていないならそれは失敗も同義じゃないか…? 俺が密かに差し向けた手駒の【神力】を使って、そのザマか? それに、ヤツが引き連れていたわっぱ達はどうしたんだ。」


「君の要望を全て聞くのは難しいんだ。 その子どもたちならきっと今頃、散り散りになって怪物の餌食にでもなってるさ、よっぽど運の良い子じゃない限り、死ぬだろうね…。」


「憶測の未来に興味は無い。 まあ、いい。不安を取り除けたなら、それでいい。」


 支配人と男の会話は進んでいく。

 その悪魔のような計画の全容を、ただひたすらに。


 支配人にとって、『龍崎 シオン』という存在は異端であり、邪魔な存在であった。怪物を瞬時に殺し、彼を襲撃した刺客全てを迎撃し、追い払ってきた彼は、この空間での『遊戯ショー』には邪魔でしかなかった。


 この世界に来たとある男は依頼を受けた。それは彼に直接、能力を授けた男によるものだった。借りを返せと彼を半ば脅し、無理矢理行動に移させた。


『アンノウン』は支配人マスターの刺客だった。この世界に「自ら来た男」は、支配人から受けた恩義を返すように、今回の依頼を受託した。


 アンノウンはひたすら龍崎シオンの行動を監視していた。この世界に来たばかりの弱者を連れて、隙を見せるその時まで、気配と能力を隠し、彼と彼を取り巻く全てを見張っていた。そして、屋上に着いたと同時に襲撃をかけ、彼の四肢の一つを奪い、手駒の【神力】をかけさせる。


『龍崎 シオン』を倒すには、その全てのうち、一つでも欠落していたなら、勝機は大幅に減っていた。


「賛辞を送ろう、『ジョーカー』。今後、君には一切関与しない事を約束しよう。」


「んん…、あぁ〜、それはやめてくれ。今、俺は『アンノウン』なんだ。」


「お前はいつまでそのくだらない道化ピエロごっこをするつもりだ…。」


「俺は飽きっぽいからね。それに、ごっこじゃなく、俺は本当に道化だからね、偽仮面の君と一緒にしないでくれ。」


「……好きに言え。」


 他愛もない会話を済ませた『アンノウン』と『支配人』はその長い回廊で別々の方向へ進んでいく。そして、互いに背を向けあった彼等は、歩みを進める。その時、アンノウンが支配人へ一つ、言葉を投げた。


「君は一切関与しないと言ったけれど、少し面白そうなものが見れそうだから、俺はもう少し滞在させてもらうよ。」


「……どういう事だ。」


「まあまあ、そのうち分かるって。Good night♪」


 別れの言葉を告げると、疑問を浮かべた支配人を放置し、アンノウンは再び歩を進める。彼の顔には、あの時ナミハたちに見せた醜悪な笑みとは別に、期待に胸を高ぶらせる、少年のような顔をしていた。それはまた別の仮面を被った、誰かのようであった。


「クフッ…アハハ…ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!!!!」


 --道化の笑い声が、回廊に響き続けた。

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