第1章5話 『武人と道化』

「うぁぁあっ!?」


 黒と白の光がぶつかる…。

 周りにいたナミハや他の人間は、二人がぶつかった衝撃だけで吹き飛ばされた。そして吹き飛ばされてようやく理解した。今まで自分たちを苦しめていた重力から解放されていたことに。


 片腕を失った龍崎は、迫り来る悪魔を迎撃せんとばかりに防戦一方を強いられている。


 龍崎の腕を奪った男は『アンノウン』と呼ばれていた。

 奴こそが、私たちや龍崎に『重力』を掛け続けていた張本人。頬が引き裂けそうなほどの醜悪の笑みを見せながら、奴は龍崎に接近する。


 ドス黒い闇、それが垣間見えるかのように黒い手刀を振るい続ける。上下左右、様々な方向から飛んでくる二本の鎌は、一発一発が確実に命を奪えるかのような威力。上から下へ突きつけられた手刀は、空を切り、地面へ直撃する。


(--地が割れた)


 アンノウンの攻撃を交わし、そして腕を変形させ即座に飛んでくる攻撃を受け流す。片腕を失った龍崎は、まさに背水の陣だった。


「おいおいおい? 拍子抜けだなぁ!! シオン!!」


「お前の汚い口で…。 その顔で…俺の名を呼ぶなァァァァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」


 奴の言葉に対し、龍崎は憤りを感じさせ、怒声を上げる。

 その顔は激しい憎悪が乗り、今までナミハたちと接した優しい好青年と同じ人物とは思えないほどだった。


「【重力グラビティ】…。」


「ぐぅあぁっ!!」


 アンノウンがそう言い放つと、龍崎の立っている地面にひびが入る。ナミハたちや龍崎にかけられていた重力が、再び彼に掛けられたのだ。思いがけない攻撃に油断していたのか、龍崎は足を掬われ、片膝を地面に着けてしまう。


 --その一瞬を、アンノウンは見逃さなかった。


 地を蹴り、轟雷のように発進する。醜悪な笑みは更に頬を引き裂き、彼の異常さを見せていた。傷を負った獲物を飢えた捕食者は決して逃さない。アンノウンは弱った龍崎を確実に、ノーリスクに仕留める瞬間を狙っていた。


 それが、油断だった。警戒すべきだったのだ。傷を負った獲物は、目の前にある死に抗うために、命を賭すことを--。


 死にゆく者の目をしていた筈の龍崎が、接近したアンノウンに対して一気に振り向く。その目には、信念が宿っていた。


「な、なにっ!?」


 そう声を荒らげるアンノウン、理由は簡単だった。迫り来る奴の顔に対して、龍崎が口に含んだ血を吐き出したのだ。奴の視界は防がれ、トドメを刺すはずだった獲物を見失う。


「恥ずかしくねぇのか、テメェはぁっ!!」


「生き死にを賭けた戦いに、恥も矜恃も!必要ない!!」


 その瞬間、重力を掛けられているはずの龍崎は、まるで上からの圧力など無下にするかの如く、変形させた腕を、その長刀で奴を薙ぎ払った。


 視界を失ったアンノウンは警戒を見せ、後ろへ後退する。その一瞬の隙、今度は龍崎が見逃さなかった。


 地面に長刀を叩きつけ、彼の眼前に割れた地面の欠片が浮かび上がる。浮かび上がったその岩石に対し、長刀で思い切り飛ばし、残った脚で旋風を起こし、奴に岩石の弾丸をお見舞した。


「なっ…!?」


「返してもらうぞ、腕の代償は。」


「テメェっ…!!」


 語彙を濁すアンノウンは明らかに焦りを見せていた。龍崎への迎撃を諦め、目の前に迫る大量の自然武器ナチュラルウェポンの対応に切り替える。奴は【重力】でその弾丸全てを叩き落とした。


「飛び道具で俺を殺れると思うな!!死に損ないがァ!!」


 奴は取り繕っていた余裕を全て捨て、眼前の龍崎に対し、罵声を浴びせた。しかし、眼前にその男はもう居なかった。


(--まさか…!?)


 その瞬間、アンノウンの顔から汗が流れた。背後からとてつもない殺気を感じたからだ。そして、彼は直ぐに理解した。それは自分の狙っていた獲物によるものだったからだ。


「クソっ!!トラップか!!??」


「--大正解だ、クソ野郎」


 凄まじい殺気に対して、アンノウンはすぐさまお得意の手刀で敵を薙ぎ払おうとした。しかし、彼の手刀は空を斬った。

 手刀が飛んでくるという前提で前屈みの状態で、構えをとっていた龍崎がいたからだ。彼は一発で龍崎を仕留めようとしたアンノウンの慢心を利用した。


「がっ…!!」


「--死ね。」


 高速の刺突が飛ぶ。空間を裂くような、その速すぎる閃光のような突きは手刀の勢いで体勢を崩したアンノウンの胸部を狙い、一撃で終わらせようとした。


 しかし、体勢を崩した奴はこの窮地を切り抜けるために策を張り巡らせた。そして、奴は自傷覚悟で【重力】を自らに掛け、窮地を脱した。彼の心臓を狙った刺突は彼の左肩を貫き、失敗に終わってしまった。


 ただ、成果はあった。


「--左腕が死んだ…。」


「これでお前と対等だな。」


 奴の左肩を貫いた龍崎の渾身の刺突は、彼の左腕を行使させる権限を奪い去った。それは奴の顔に浮かべた笑みをかき消し、無情にさせるほどであった。しかし、元よりは命を刈りとるはずだった一撃。龍崎の呼吸は荒くなる。


(身体が…軋む。壊れそうだ。)


 彼のみの一点に掛けられた重力は、少なからず彼の体力を奪う。そして、彼に掛けられたもう一つの神力は彼の速さを低下させ、本領を発揮させないようにしている。

 身体が震え、恐らく重力下で無理な動きをしたがために骨にヒビが入っている可能性がある。彼の傷つけられた身体は苦痛により、不意にも口から血を漏らすくらいには大怪我を負っている。正直、危ない。


「シオン…。もう諦めろ。あの時、あの瞬間、俺を仕留められなかった時点でテメェの負けだ。」


「何を諦めろと? お前の左肩は貰った。 それが想定していない一撃だと言っても、俺とお前は対等だ。俺がお前を斬る、それだけだ。」


「何の強がりだ…テメェ! 能力低下デバフを食らっている時点で俺とお前は対等じゃねェ!! ただ一方的に、これから行われるのはテメェに対する俺の蹂躙、そして殺戮!! それだけだ!!!!」


 今まで余裕の笑みを見せてきたアンノウンは、まるで道化のように被っていた仮面が剥がれるかのように、目の前で自分と対等だと言い張る龍崎に対して、怒りを露わにしていた。


 彼の左腕から放たれる黒色の光は、彼のオーラのように纏われ、それはナミハたちにも見えるくらいに可視化された。

 龍崎の言葉は彼の導火線に火をつけ、怒りを爆発させた。歯をギリギリと鳴らしながら、怒りを露わにするその男はもはや、先刻の余裕など気にしている様子ではなかった。


(--少なくとも、奴は今…冷静さをかいている)


 アンノウンから燃えたぎるような怒りを受けた彼は、逆に冷静になれた。激情に駆られ、今にもこちらに迫ってきそうな漆黒の影は、隙だらけだった。


「テメェのような…テメェのようなスカした野郎が…一番嫌いなんだよ!!!」


 刹那、アンノウンが風を切り裂き、龍崎への眼前へと駆け出す。怒りで我を忘れ、策を巡らせながらも追い詰められた相手に、自分に対して酷評を突きつけられた奴はもはや、眼前の存在の抹殺にしか集中していなかった。


「死ねよ。」


 腰からククリナイフを取り出した奴は、実に単調な攻撃だった。上からの攻撃、それを龍崎は簡単に交わし、ガラ空きの奴の身体に斬撃を繰り出そうとした。


 そして、その斬撃は奴の身体を捉えたはずだった。


 その言葉が屋上に木霊するその時までは…。

 奴が、笑みを浮かべるその時までは。


「【無重力アンチ・グラビティ】。」


 瞬間、アンノウンの身体が宙へ浮き、龍崎の左肩に奴の右腕が触れた。一瞬の自分への神力の付与。龍崎は初めて見る彼の行動を予測することが出来なかった。


「この技を使うのは、初めてだったな。シオン…。」


「……なっ!?」


「俺は、道化だ。勝つためにならいくらでも仮面を被る。」


無重力アンチグラビティ】。アンノウンの【神力ギフト】である、重力の反転技であり、相手に降りかかる重力を無くし、空中へ無慈悲にも吊り上げたあとに叩き落とすことで葬る。まさしく、不意の一撃ともいうその技を自分に使ったのだ。


 彼が…アンノウンが自身に使った理由。それは【神力】のオンオフを彼自身のみが自由に制御できるということ。つまり、彼が使った目的は攻撃からの緊急回避。のみではなかった。


 宙へ浮き、龍崎の肩を掴んだ彼はそのまま、空中で身体を捻り、強烈な蹴りを龍崎の負傷している右腕へ繰り出した。


 予測できなかった攻撃、そして腕が無くなったことによる激痛に喘いでいた傷口への更なる追い討ち。


「がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああらああああああああああああああああああああああああ!!!!」


 龍崎はあまりの激痛に声を上げる。右腕から神経を伝い、彼の全身を駆け巡るその痛みは、彼の行動を数秒間停止させた。


 そのうちに、アンノウンの追撃が来る…と思ったが。それは違っていた。またもや彼の予測は外れた。


 アンノウンは目の前で動けない獲物にトドメを刺す訳ではなく、あまりの光景に動けなくなっているナミハたちを狙い始めた。アンノウンが私たちに向かって駆け出す。


 その様子を見た龍崎は苦悶の表情を浮かべ、激痛に抗い、その身体を動かしながら、叫び、奴を追う。


「貴様ァ……貴様ァァァァァ…お前という男はァァァァァァァァァァァァァアアアアアアアアアアアアアアア!!!!」


「ヒャハハハハハハハ!!もっと怒れよ!シオンンンン!!」


 薄汚い笑みを浮かべるアンノウンに対し、また彼は激しい怒りを見せる。起伏する感情、脳でも理解が追いつかないくらいの奴の行動に、彼は再び憎悪を刻んだ。


 目の前で苦痛に倒れている強敵を差し置いて、恐怖で動けなくなっている弱者を狙い始めた奴の行動が許せないからだ。


「い、いやぁ…。来ないでぇ……。」


 アンノウンは腰から抜き出した二本目の武器「小太刀」で私たちの命を刈り取ろうと襲いかかろうとした。瞬間だった。


 間一髪、奴の後ろをとった龍崎さんが、その武器が振り下ろされる寸前に小太刀を蹴りで真上へ吹き飛ばした。


 吹き飛ばされた小太刀は上空を舞う。

 私たちは助かった…。


「お前の…計算もここまでだ…!」


「へぇ…。」


 必死に息を切らしながらも、調子を取り戻した龍崎は彼へ戦闘の再開という挑戦状を突きつける。アンノウンはさっきまでの笑みを失い、非常につまらなそうな、そんな表情をしていた。


「何が…ここまでだって…?」


「お前の姑息な手も…二本目の武器を失った以上は接近でやるしかない…。その片手でな。」


「はぁ……。」


 アンノウンが溜息をついた。それは目の前の存在に対してであり、同時に何も出来ないナミハたちに対しても、ついた溜息だったかもしれない。


「お前はもうつまらない…。」


「何だと…?」


「姑息な手? 二本目の武器を失った?」


 その時、奴が呟くように声を出す。その瞬間、龍崎の顔が歪んだ。それは彼の眼前の存在が放った言葉に対してだった。


「--もう終わっているだろう。【重力グラビティ】。」


 瞬間、上空の存在に対して無防備であった龍崎は、彼の攻撃の餌食となった。再びナミハたちの目の前に鮮血が飛び散る。そして、また。黒いコードの袖と共に、腕が飛んできた。


 その瞬間、龍崎の左肩から噴水のように血が吹きでる。左肩から下の腕を失ってしまった龍崎は、絶望するかのように、ただ呆然としてしまった。彼の顔には、噴水のように飛び散る血がぽつぽつと付き、彼にその損失を味合わせた。


 --それは残酷な程に、目の前の希望である『龍崎 シオン』の敗北を確信させるには、充分すぎるものだった。


「言ったはずだろう、俺は道化だって。」


「………ぁ……は?」


「勝ちの為なら、仮面を被り、何でもする。」


 彼は油断してしまったのだ。私たちを襲い、彼に武器を上空まで飛ばさせるのが。武器を振り下ろす奴の目の前にはナミハたちがいた。かといって横に武器を蹴り飛ばすようなことをしてみれば、万が一交わされた時、それが終わりになってしまうから、その選択も潰えた。龍崎には、彼には、真上へ武器を蹴り飛ばす不意の一撃しか、方法が残されてなかったのだ。


 そして、上へ蹴り飛ばされた小太刀は、アンノウンが唱えた【重力】の影響を受けて、とてつもない速さで立ち塞がる全ての物を切り裂き、地面に目掛けて突き刺さった。


 全てはアンノウンの掌の上だった。

 彼が計算した行動に当てはめられてしまったが故だった。


「ぐぅ……ぁあ……。」


 流れる血に龍崎がふらつく、限界を迎え始めている。両腕を失い、無力の状態と化している彼を、アンノウンはただ物寂しそうに見つめる。彼に対する仕打ちをしたのは、奴自身だというのに。しかし、まだ龍崎は諦めてはいなかった。


 ふらつきながらも、彼は脚を武器に変形させる。アンノウンはただひたすらに足掻く彼を見続ける。


「いい加減に死ねよ、亡霊が。」


「ここで……俺の命にかえても…お前を消す。」


 龍崎が強い執念をその目に宿す。その黒い目は、まるで炎のような執念を燃やし続け、目の前にある存在を絶対に許さない、揺るぎない覚悟を見せていた。


 アンノウンは動かなくなった片腕を放置し、残った腕を目の前に突き出し、構えの体勢をとる。


 屋上には風が吹いた。それは決着を告げる微風の…神のお告げでもあるかのように。


 その瞬間、同時に動き出す。片方の脚で地を蹴り、空中で身体を捻り、彼に攻撃を仕掛ける龍崎。


 同じく地面が吹き飛ぶくらいの踏み込みを見せ、轟音と共に龍崎の元へとアンノウンが駆け出す。残る命、全てを刈り取ると言わんばかりにその手を前方へ突き出す。


 --決着は一瞬だった。


 龍崎さんの鳩尾みぞおちが貫かれ、アンノウンは片耳を落とした程度の負傷しかしてなかった。能力低下デバフに、大量の出血、そしてヒビの入った骨や重力の下に晒され、傷つくまで傷ついた身体が、限界まで龍崎さんの動きを鈍らせた。


 彼と相対するアンノウンとの負傷の差が、この一騎打ちに全て表れてしまった。


「------ッ……クソッ……。」


「……龍崎……さん……?」


 無念の言葉を口にする龍崎、その様子を見てナミハが呟く。その異常な光景を見て弱き少女は呟く。


 直後、口から赤い液体を撒き散らし、アンノウンによって貫かれた鳩尾みぞおちからは臓腑ぞうふを零れさせ、彼によって負わされた負傷からは命を零し続ける。


 両膝を付き、とうとう龍崎が前のめりに倒れる。

 それは今度こそ、間違いなく、彼らを守ると誓った好青年の…『龍崎 シオン』の完全敗北だった。


「あぁ…ぁぁぁ…あぁぁぁぁ……。」


 絶望が、希望を潰された瞬間を目にした少女は、悲痛の声を零し始める。


「シオン。お前が今までこの地獄で歩んできた5年間は…。」


 アンノウンが倒れる彼に対して、声を投げかける。それは死闘を繰り広げた相手への、賛辞の言葉何でものではなく、


「無駄に、なっちゃいましたぁ。」


 罵倒の言葉だった。そして、その光景を目の当たりにし、怒りなんかよりも湧いてきたその感情に、私は…私は……。


「龍崎さぁぁぁぁぁぁぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああん!!!!」


 彼女の、潮風ナミハの絶望と悲痛の声が、屋上に響いた。


 今、彼女の心は、砕かれた。--

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