第1章2話 『非日常』

 —理解不能


 ここはどこ?私は誰?

 そんな思考を放棄した状態に陥りかねないほど、今まで生きてきた数十年の中で初めて自分はありえない状況に到達している。


 考えてみても理解できない。

 突然飛ばされた異空間。集められた少年少女。

 一体、何が起こるか分からない状況。

 理性など吹き飛ぶくらいの恐怖に襲われる。

 そして、絶望しか残らないこの状況で残された人間たちはそれぞれ疑っていた。これは夢だと。これは現実ではない。早く目を覚ましてくれと。


 しかし、いくら何をしようと覚めることはなかった。

 何しろこれこそ、この目の前にある光景そのものが現実であり、今見ている夢なんて…もとよりないからである。

 肌に感じる寒気。そして、何よりも今、私の目の前に起こっている状況こそがこれは夢でも非現実の仮想空間でもない。

 自分たちの身体そのものに起こっているということがありうべからざる「現実リアル」ということを証明してしまっている。


 そのとき、静寂を突き破り、か細い弱音が吐き出された。


「ナ、ナミハ…? 夢を見てるんだよね? 私たち…」


 その質問に対して私は口を閉ざすしか無かった。

「夢を見てる」という意志を尊重し、彼女に慰めの言葉をかけてあげようとするも、私自身の口は硬く閉ざされたままだった。


 なぜなら、私たちが見ているのは、夢なんかじゃない。


 あまりにも非現実的すぎる。

 夢だと信じたいが、身に起こる全てが夢ではないことを証明している。

 これが、体験型バーチャルリアリティの仮想空間ならまだ夢だと思えるかもしれない。

 だが、私たちは異様な男によって意識を失わされている。

 その上、知らない人間まで周りに…。

 そんな非現実的な状況に巻き込まれた上に、どこか分からない場所。

 もはや収拾がつかない。

 そうやって頭を抱えながら周りを見渡すと、見慣れた顔が一人いることに気づいた。


「あなたは…」


 そう話しかけると、青年は反応した。


「あなたは…ナミハさんですか?」


 私の名前を知っている。

 つまり、間違いないと断定した。

 男の背丈は170CMほどあり、黄金色の髪に、女性と見間違うようなほど綺麗な空色の目。麗しいという言葉がとても似合う美男子である。


「久しぶりだね、レイくん。何年ぶり?」


「お久しぶりですっ、ナミハさんっ! 小さいとき遊んでもらった以来ですっ、懐かしいですっ!」


 まさかの再会だった。ナミハは微笑を浮かべながら青年に語りかける、対して青年は微笑を上回る笑みを口元から零し、目に見えるほどの喜びを挙動で示しながら言葉を返す。

 思い出に浸るような感覚だ。まさかこんな場所で昔の友達に出会えるとは思ってもいなかった。

 彼の名前は『島崎しまざき レイ』。私の元に父と母という偉大な存在がまだいた頃に仲良く遊んでいた友達だった。


 この時のナミハは知りもしなかった。知り得ることもなかった。偶然と思えた彼との邂逅が。

 この再会が、私の運命を大きく変えることになるとは。青年は私にとって。私の人生が——。


 「——っるせぇんだよ! ダボが! さっさと出せや!」


 そう怒鳴りつけるような声の出る方向を見ると、一人の男が叫んでいるのが見えた。目付きが悪く、角刈りのような頭をしている。行動と見た目で判断するのはよくないと思っているけど、あれはヤンキーだ。不良だ。


「どけって言ってるだろうが!殺すぞ!!」


「落ち着け!! まだ何があったかみんな理解出来ていないだろ!」


 赤髪の好青年が彼をなだめるように制止する。

 三白眼で力強そうな目をしている。


「俺ァよぉ!! これから東都制覇するためにまた憎き宿敵ライバル銀河望月コスモスと戦争するはずだったんじゃあ!!」


 銀河望月コスモスという名は東都にいる人なら知っている。

 東都で勢力を拡大する暴走族で、海内無双と噂されるくらい、強大な暴走族だと。でも最近はあまり噂を聞かなくなっている。昔は嫌という程、耳にしたというのに。


 その時、鈍い音と共に、赤髪の青年が吹き飛ばされてきた。殴られたのだろう。頬は腫れ、口からは多少なり出血をしていた。こう心では思いつつも私は動揺し、心配したサクラはすぐさまその人の元へ駆け寄った。


「だ、大丈夫ぅ!?」


 サクラが慌ただしく彼にそう言葉をかけると、


「弱音は恥…です。殴られた事に関しては心配に及びません、慣れてます」


 口元を切り、鮮血を滴らせている彼は冷静にもそういった。よく見ると、彼の背中には竹刀袋のようなものがあった。


「ほんとの本当に大丈夫なのぉ!?」


「大丈夫だって言ってるじゃないですか! 過剰な心配は『おせっかい』って呼ばれるんですよ!!」


 彼の有様を目にし、心配しすぎたサクラがあたふたしながらも言葉を投げかける。

 でも確かにそれは彼の言うようにお節介だった。心配していた人物に注意されてしまったサクラはしょんぼりとしつつも、彼に問いを投げかけた。


「名前を教えなさい!!」


「な、何なんですかその聞き方は…。俺は『木隠 アカギ』です。こんな状況でいきなりよろしくなんて、不安も多少なりありますけどね。しかも、寄りにもよってあなたみたいな心配の権化のような人に…。」


「よろしく! アカギ!!」


「………」


 強気そうな青年は、目の前で目を泳がせながらも自分のことを心配してくる少女に対して困惑していた。その時、またもさっきと同じような鈍い音が鳴った。


「タツヤ!!」


 私の目の前にタツヤが吹き飛ばされ、転がりながらうめいている。原因はもちろん、あの暴君だろう。

 暴れるだけ暴れて迷惑をかけている。協調性の欠片も感じられない彼に、理性や倫理など垂れても無駄だと思った。

 唇を噛み締めた。こんな状況下、皆んなで協力し合わないといけないというのに。


「暴れるあの人を止めなきゃ、混乱がさらに広まるだけだよ…」


 私は動けずにいるレイと、サクラに肩を貸されながらもヤンキーを睨みつけるアカギにそう言った。その時、アカギの顔色が変わった途端に、彼方から悲鳴が聞こえた。


「ぐっ…うぎゃぁぁぁぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」






 ***






 ——畜生! ムカつく! イライラが止まらねぇ…!!


 そう、心の中で怒りを露わにする男の名は「城ヶ崎 カツヤ」といった。愛偽怒メギドという暴走族を率いて東都で暴れていた彼らは悪名を振りまき、地域で恐れられていた。しかし、銀河望月コスモスという正義の暴走族を名乗る集団により、彼らは他の族との抗争中に追撃を掛けられ、両暴走族諸共組織を瓦解させられ、数少ない仲間と悪さを続けていた。


 だが、彼の心は満たされなかった。

 他人を傷つけ、不幸にし、泣き面や自分に対して謝罪の意を込め、必死に許しを乞う姿を見た時に、その多幸感を忘れることが出来なくなっていた。欲求不満になっていた。暴力の欲求は彼にとっては、三大欲求よりも尊く、最上のものであった。


(俺の邪魔をすんじゃねえ!!)


 目の前で邪魔をしてきたやつは全員殴り飛ばしてきた。蹴って、吹き飛ばし、その醜い顔をさらに醜悪なものに作りかえてやった。不細工が不細工になり、涙と鼻水と血で顔を汚すだけ汚した姿は最高だった。


「やめてくれぇ…もう許してくれぇ…」


 こんな声を聞くのが快感で仕方がなかった。

 ……なのに、この有様はなんだ?この体たらくはなんだ?


 ——理解ができない。


 俺は生まれるべくして、生まれた食物連鎖の頂点だと自覚している。あの時、俺の輝いたチームを潰し、見下してきたゴミカスの「獅子野郎」。あいつに復讐し、地べたに引きずり下ろすまでは絶対に誰にも見下すことも、俺を倒すことも許されない。


「『遊戯ショー』の準備は出来た」


 なのに、あの時、俺に与えられた恐怖はなんなんだ?

 唐突に現れたあの仮面の男は何をしてきたんだ?

 許せない、俺に恐怖を与える人間は何人足りとも必要ない。俺を邪魔するやつは破壊すると決めた。


 俺の邪魔をしてきた赤髪のムカつく顔をしたやつは殴り飛ばしてやった。女に格好つけたいのか分からない銀髪のガキは思いっきり腹に前蹴りを決めてやった。苦しみ、涎を垂らしながら傷ついた腹を抱える姿はお笑いもんだった。だがこの苛立ちは決して収まらない。


「俺の邪魔をすんじゃねぇぇぇぇぇえええええええ!!」


 邪魔するやつは殴り飛ばす、蹴り飛ばす、暴力で分からせる。

 分からせて、それでも理解出来ないようなやつは尊厳をへし折ってやる。そこまでしても理解できないやつは、殺す。


 死に関する恐怖を思い出させ、それで顔に一生忘れられないよう記憶を刻む。


「いい加減に暴れるのをやめろ! もう皆んなが怖がってるじゃないか!!」


「邪魔をすんな! コロスぞ!! てめぇにも忘れられね——」


 その時、暴れる彼の目の前で「ナニカ」がうごめいた。

 それは異形ともいえるものであり、今まで見た事も聞いたこともないような…。


「——ぁえ?」


 その「ナニカ」は有り得ないスピードで彼の隣を横切った。

 一瞬だった。彼とその遠くで叱責していた1人を除いては、その瞬間に気づけなかった。


「——ぁ?」


 ——彼の左足は無くなっていた。周りに赤い鮮血に飛び散り、彼の身体は糸が切れた人形のような地面にひれ伏した。


「あ、あぐぅ…うぎゃぁぁぁああああああ!! あああああああぁぁぁぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」


 焼き切れるような痛みに、力を持った彼ですら叫び声をあげた。苦しみに悶え、その声に、周りの者が振り向いた。






 ***






 叫び声のする方向を振り向くと、有り得ない生物がそこに存在していた。この世で見た事も聞いた事のないような…「怪物」だった。


 球体の形を帯びた巨体の体高は10M(メートル)を超えていた。そんな単純な身体からは私たちと同じように、手足が生えていた。しかし、私たちと違っていたのはその巨体に巨大とのいえる単眼を持ち、その下部には大きく広げられた口があった。その口元は血で染まっていた。


 理由は単純だった。今まで暴れていた災害のような男が今はもがくように血にまみれているその膝から下が無い左足を抑え、その化け物に背を向け、必死に地を這いずりまわっている。


「う、く、来るなぁ…来るなぁぁぁああ!来んじゃねえええええええええええええええ!!」


 私は理解出来なかった。目の前に怪物が現れたと思いきや、いきなり人を襲いはじめていた。ただでさえ、何も知らないような場所に連れてこられたというのに、今度は何も知らないようなバケモノと対峙させられている。


「な、なに…これ……?」


 私は愕然とする。突然の出来事に誰もが呆気に取られていた。バケモノと対峙しているたった1人の男を除いては。


「い、嫌だ…く、くんじゃねえよ…来るな…来るなぁ…ぁ…」


 迫り来る巨体に、男がおののく。だらだらと流し続ける左足を必死に引きずりつづけ、バケモノから逃げていく。


 だが、無情にもその距離は縮まっていく。獲物を逃がさないかの如く、狩りをする肉食獣ハンターの如く。じわじわと、傷をつけた弱者を逃がすつもりは一切ない。


「——あがっ」


 必死に足掻いてみせるも、遂にはバケモノに右足を掴まれてしまった。口元に血化粧を施す怪物は、その化粧が落ちるほどのよだれを垂らし続けながらも、彼の右足を握りつぶしていく。


「グオオオオオオオオオオオ」


「あ、ぁぁぁぁああぁぁああああああああ、あ、あ、!!」


 咆哮と悲鳴が鳴り響く。

 彼は握りつぶされ、骨が砕ける音と共に悲痛の声を上げ続ける。自分の運命を悟る暇もなく、彼の足は砕かれる。

 怪物の咆哮は、まるで笑い声のように聞こえた。


 その時、ブンっという音とともに彼が地面に叩きつけられた。鼻骨が砕け、瞼からは血が流れ出る。顔の穴から血を流している彼は自分の身に何が起きたか理解出来ていない様子だった。


「あ、あぁぁ——」


 次の叫び声をあげる間もなくまた地面に叩きつけた。骨の砕ける音が空間に木霊こだました。体内で折れた骨が臓腑ぞうふに刺さったのだろうか。彼は口から大量の血を吐き出し、その顔からは血の気が引いていく。まるでどんどん「命」という色が鮮やかさを失っていくかのように。


「—————————。」


 恐らく、七度叩きつけられた頃だろうか。彼の手足は異様な方向に曲がり、身体からは折れた骨が数本突き出た状態で、動かぬ人形のようになっていた。もう彼は、呼吸をしていなかった。怪物に散々、命を弄ばれ、殺された。


「あ、あれ…なにこれ…夢?」


 私は思考することを放棄していた。目の前で起きたありうべからざる現実に対して、目を背けたくなった。いや、受け入れたくなかったからだ。『突然、謎の場所に飛ばされたかと思ったらそこは怪物の住処で人を平気で殺すようなやつばかり住んでいる』なんて昔の私が聞いたら、鼻で笑って、軽蔑しそうな内容の話だが、全て目の前で起こっている「現実」である。


「あ、あ、は…あはは…はやく帰らなきゃ、帰らなきゃあ」


 壊れた。私の心は壊れ——


 パンっと音が鳴り響いた。

 頬がヒリヒリと痛む感じがする。目の前を見るとレイくんが私の肩をその両手で揺さぶりながら、大声で叫んだ。


「ナミハさん! 何笑ってるんだよ! はやく逃げなきゃ…はやく逃げなきゃ…っ!!」


「レイ…くん…?」


 意識が戻された。目の前では肉が引きちぎられ、骨が砕かれ、今まさに目の前であの暴れていた彼が怪物に捕食されている所だった。あまりの光景に吐き気が込み上げ、その場に吐瀉物を出してしまった。ほか数名も私と同じような状態に陥っていた。苦しい。


 けど、ここで立ち止まってたらダメだと気づかせてくれた。

 レイくんがいなきゃ、私はとっくにダメになっている。


 覚悟を決めた。


「うん…逃げよう。あの校舎の中に!!」


 私は、そこで散った一つの命に対して背を向け、逃げ出した。罪悪感と嫌悪感が私の体を蝕んでいく。しかし、立ち止まるは死と同義である。こんな理不尽な世界、存在しちゃいけない。けど、存在する以上は受け入れなきゃいけない。


 目の前で起きた光景は夢じゃないのだから。

 その時、背後で続いていた「不快な音」が止まったのを感じた。背筋が凍る感覚に貫かれた。怪物が馳走を平らげたのだ。


 その時、巨体の走る音で地面が軋み、地響きと共に背後から気配が迫ってくる。体格に似合わぬ速さで先に逃げ出していた私たちに今も追いつかんとしている。


「逃げろぉぉおおおおおおおおお!!!!」


「うあああああああああああああ!!!!」


 多くの人間が、必死に走った。普段走り慣れない者まで、今は文字通り命を賭けて走っている。止まるは死も同義だからだ。

 大声をあげながら、破裂しそうなくらい痛む脚を必死に動かし、校舎の中へ走る人達は続々と飛び込んでいく。


「入れ!! はやくしないとアイツが来るぞ!!」


「すいません、失礼します!!」


「アカギくんも私はいいからもう先に入ってて!!」


 先に逃げ出した人達に遅れて、アカギ、レイ、私の順番で校舎に到着していく。後ろの地響きの音はもう間近だ。恐らく正面玄関を閉めている時間もない。

 案の定、正面玄関は怪力により破られ、その破片が私たちを襲う。腕、顔、脚に、硝子の破片が刺さり、真っ赤な血を飛び散らせる。


「ぐううううううううううううう!!!!」


「グオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」


「あっ……!! レイ!! 避けて!!!!」


 咆哮をあげながら、怪物はレイに飛びかかろうとした。その巨大な手を彼の美顔を辱めようと、伸ばしてきた。


 ——しかし、その手が彼の顔に届くことは無かった。

 ゴトッと重い音と共に腕が落ちた。それは紛れもなく怪物のものだ。怪物の血が噴水のように腕から吹き出る。耳にさわるような叫び声をあげながら、腕を振るう怪物の動きは滅茶苦茶であり、レイの逃げる時間を稼ぐことが出来た。


 その時、ようやく気づくことが出来た。

『怪物の腕を落とした正体』を。その刀から滴る紫色の血は紛れもなく怪物のものだった。いや、それは刀だったのかすら分からない。彼の手元にある刀は、間違いなく彼の腕が変形して伸びているような感じだったからだ。彼は怪物の上に頬杖を着きながら座っていた。そこにいることにすら気づけなかった。


「…お前ら怪物はなんで欲の為にしか生きられないんだ」


「グガァァァァアア……。」


 冷酷な視線で怪物に語りかける彼に、怪物は小さな咆哮をあげながら抵抗する。振るえなくなった腕を未だ振り回し、獣の頭上に乗る「その男」に対して必死の抵抗を見せる。


「今回も怪物との意思疎通が不可能か」


「グオオオオオオオオ——」


 淡々と彼はつぶやく。まるで今までそうしてきたかのように。彼はタンッと軽い音を立てて怪物の頭上から空中へ移動すると、その長刀を携えた右腕を真下に思いっきり振り、斬撃を放つ。その瞬間、怪物の巨体が真っ二つに割れた。


「アガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!」


 血と臓物をその場に撒き散らしながら、怪物は咆哮と共に息絶えた。その場にいた者の数名はまた嗚咽を漏らしながら口元を強くおさえた。彼は長刀にこびりついた怪物の血液を払い、私たちに言い放った。


「聞け、こどもたち」


「…?」


 彼の言葉により正面玄関前は静寂に包まれた。圧倒的な力を持つ強者の言葉の前に、何も出来ない弱者はその身を震わせながら、ただ言葉を聞くことのみしか出来なかった。


「この世界での生き残り方を教えてやる。」

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