第2話 皿洗いマニタ と 清拭魔術キムワイプ

次からから次へと、洗い場に大量の皿が運ばれてくる。


オレは、さえない中年のオッサンと一緒に、無心で皿を洗っていた。


中世ヨーロッパ風の寂れた村、そこの宿屋に隣接した酒場である。


気を失っているうちに、オレは、このさえないオッサンに運ばれ、宿で介抱を受けたらしい。


未だに状況はよく分からないが、今夜は泊めてくれるとのこと。無一文のオレは、一宿一飯の恩を、労働で返さなければならない。


しかし、一緒に働くこのオッサンの仕事が、どうにも雑でイライラする。


「おい、オッサン。それまだ汚れが落ちてねえじゃねえかよ!」


ようやく自分の声にも慣れ、口の悪さも戻ってきた。よく考えれば、イケボも悪くない。否、オレはきっと、もともとイケボだったんだ。


「そうですか?」


素っ頓狂な声ですっとぼけるこの中年男の名はマニタ。


いい歳して皿洗いもまともにできないのだから、ろくな人間じゃないだろう。


こういう人間はほんっとどこに行ってもダメ。


――こういう人間は……。


ふと――、こういう人間を、オレは知っている気がした。元の世界の記憶だろうか。


「だいたい、なんだよこの汚れ。どの皿もベトベト、ベトベト……」


「油淋鶏が名物なんですよ、ここ」


「ユーリンチー?」


――ゆーりんちーのみんなー! こんりんちぃー!


記憶が逆流するような感覚、目眩に、オレはフラついてテーブルに手をつく。


「大丈夫ですか?」


心配そうに、マニタがオレの顔を覗き込む。


「ブッコローさんは休んでいて下さい。残りは私が洗います」


――お前が洗えてねえからオレが苦労してんだっつーの!


しかし、手を休めているオレを非難することなく、恩着せがましくもなく、不器用に皿を洗い続ける男の背中に、オレはまた、助けられた気がした。


――ありがとう、オッサン。


明日には村を出て行こうと思う。元の世界に戻る方法を探すのだ。


そうだ。あの少女にもお礼を言わなくては。


「あの子――、あの赤毛の女の子は、マニタさんの娘さんかい?」


「いえいえ、あの子は、もっと家柄の良いところのお嬢さんです」


そうだろうな。薄汚れてはいたが、あのドレスは、このボロい宿には似合わない。


「あの子、綺麗なガラスのペンを持ってたんだ」


「家宝のペンらしいですよ。不思議な力を秘めているんだとか」


「へえ」


――不思議な力か。


ふと、視線の先にある、大量の汚れた皿の山に意識が向かう。


何だろう。


オレは――、知っている気がする。


もっと賢いやり方を。


オレは――、できる気がする。


もっと不思議なやり方で。


気がつけば、汚れた皿の山の前に立っていた。


「ブッコローさん?」


マニタが不思議そうにオレを見ている。


元の世界の記憶のカケラが、ガラスのプリズムをすり抜け、魔法の光子となって、オレの身体から溢れ出す。そんなイメージ。


湧き上がる光子を両手に集めて、鍵となる記憶のスペルを、オレは唱えた。


――清拭魔術〈キムワイプ〉


両手から滑り出すいくつもの平面状の光子群。


それらが皿という皿の間を駆け抜け、全ての料理汚れが光と共に消滅した。


あんぐりと口を開けて驚くマニタ。当然だろう。オレもビビり散らかしている。


「ブッコローさん……、あなた、契約したんですね」


「契約?」


「ガラスペンで書いた名前を、あの方に捧げましたね?」


「あの方?」


「すみません、どうやらあなたには、もう少し、この村にいてもらわなければならないようです」


「ちょっと、待ってくれよオッサン……。ん? うわぁ!!!」


振り向けば、厨房にいたコックや、酒場で飲んでいた大勢の客たちが、各々に槍だの斧だの包丁だのを構えて、オレとマニタを包囲していた。


つまり、この酒場にいる全員がグルで、オレの様子を窺っていたってことか。


「マニタ、てめえ!!!」


「ブッコローさん、我々と一緒に来てもらいます」


マニタは優しそうに微笑んだが、目の奥は笑っていなかった。

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