第1話 異世界少女 と ガラスのペン

心地よい風が頬を撫でた。


まぶたを差す陽光が眩しくて、思わず手をかざす。


その違和感に、オレはようやく目を開けた。


――手?


人間の手。霊長類の手だ。


あの雄々しくも美しい、鳥類の王、ミミズクの、オレの翼はどこだ?


いや――、それよりも、オレの馬券どこォーーーーーー!?


勢いよく身体を起こした。


そこは、森に囲まれた、シロツメクサが一面に生い茂る草原。


遮るものなく、どこまでも広がる見知らぬ空。


遠くには、中世ヨーロッパ風の城と城下町が見えた。


――オレは、競馬場にいたはずでは?


よく思い出せない。


とにかくバケンを探さないと。


――バケン?


バケンって何だっけ?


この身体。人間の身体だ。人間の――。


ボロ布のような服を着ていて、靴は履いていない。裸足――、人間の足。


オレは――、人間だったっけ?


混乱している。自分の存在がバラバラになりそうだ。


――カリカリ、シャッ、カリカリカリ。


――何の音だ?


見上げると、丘の上に少女がひとり座っていた。


「あの、すみません」


絞り出した声は、いつもより低い。イケボだが、こんなのオレの声じゃない。


聴こえていないのか、少女に反応はない。


立ち上がり、慣れない人間の足で、少女の元まで歩いた。


そして、その姿に、息を飲む。


人形のように美しい少女だった。


年の頃は十歳くらいだろうか。高貴なドレスは薄汚れているが、この草原には妙にマッチしている。赤毛の髪をひとつに束ね、何かに没頭しているようだった。


――カリカリカリ、シャッ、カリカリ。


それは少女の手元から聴こえる音。


世にも美しいガラスのペンで、手紙を書く音だった。


陽光を受けて煌めくプリズムが一瞬の記憶を呼び起こす。


オレは、このペンを知っている。


否――、このペンは、オレを知っている?


突然、力が抜けて、膝をついた。


その音に、少女が振り向く。


「あなた、誰?」


警戒する幼くも力強い眼差しに、冷や汗を浮かべ、精一杯の笑顔を作る。


「オレはR. B.……、R.……、B.……」


自分の名前が、記憶から溢れ落ちていく。


その記憶を手放さないように、オレは、無意識に手を伸ばした。


何かを察してくれたのか、少女は、オレの伸ばした手に、美しいガラスのペンをそっと握らせて、白紙の便箋を差し出す。


オレは――。


オレの名前は――。


願いを込めてガラスのペンを握る。


――ガラスのペンよ、教えてくれ。オレの名前を!


最後の力を振り絞って、それを便箋に書き殴る。


視界が霞んで、もはや文字も読めない。


震える手で、なんとかその便箋を、少女に渡した。


少女は首を傾げてじっとそれを読み、オレに向き直ると、ようやく笑顔を見せた。


「ごきげんよう。R. B. ブッコローさん」


美しい笑顔、瞬くプリズムの光、繋がるガラスの記憶。


そうだ。オレはR. B. ブッコロー。


競馬好きのミミズクにして、人としてこの異世界に転生したイケボ。


バケンのために、否、家族のために、元の世界に帰らなければ。


ようやく自分を取り戻した安堵で、オレは、再び気を失った。

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