第7話 大阪での仕事もラストスパート
その週は怒涛のように過ぎていき、毎日帰宅が夜9時を回っていた。さすがに新生活について考えを巡らす時間もなく、自宅と職場の往復で終わってしまった。
土曜日になったが、疲れで昼過ぎまで寝て、部屋を少し片付けたらもう夜になった。引っ越しの荷造りのために、明日引っ越し業者に部屋を見てもらうことにして、その日はすぐ寝ることにした。
荷造りといっても、Kは家電や衣類など、生活に必要な最低限度のものしか持っていなかった。以前、家賃の支払いに困ったときに本やゲームはすべてオークションに出してしまったからだ。
日曜日、この日は朝早くに目が覚めたので、引っ越し業者が来るまで近所を散歩した。1年住んだので、天神橋筋商店街にも知り合いができて、なじみ深くなっていた。そんなことをしみじみと感じながら、朝の散策でリフレッシュした。
昼前に業者が見に来て、荷物の少なさに驚いたが、引っ越しを3月29日の午後2時に決めた。Kは5個のダンボールを受け取り、荷造りは引っ越しの前日にしようと考えた。
その後は通い慣れた難波の場外馬券売り場に行った。この日のKは全て外れたが、競馬は5年以上やっているので、大当たりしたことも何度がある。毎週末、ここで馬券を買っていると、職場や今までの嫌なこともわすれられた。大阪での1番の思い出の場所だ。
馬券売り場をあとにして、吉本新喜劇の劇場近くの居酒屋を飲み歩いた。ここらあたりも大阪のお気に入りの場所だ。Kはここ数年、飲む・打つ・買うをたしなんでいたが、今日は「買う」はする気にならずに、夜遅くまで飲み歩いた。
月曜日からはまた多忙な日々であった。火曜日には仕事をすべて終えて、久しぶりに定刻で退勤した。残すはあと1日、終業式だけである。
水曜日。終業式で退職や異動をする先生達と一緒に全校児童にあいさつをした。1年間勤務したので、話しているあいだに思わず目頭が熱くなった。約3分のスピーチのあと、代表の児童から花束を受け取ったとき、ここで仕事をしてよかったと思った。次もいい仕事ができますように。
職員室に戻ると、先生方からねぎらいの言葉をかけてもらい、歳の近い先生とは握手をした。校長、教頭からもはなむけの言葉をもらい、金一封までいただいた。事務主任からはただ、「お疲れ様」とだけ言われたが、彼女らしくてむしろ嬉しかった。
こうしてKの大阪での仕事は幕を閉じた。テレポートまであと4日と迫っていたのである。
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