第2話


 例年より早く桜が満開となった土曜日の夕暮れ時、伊勢佐木町に住むメガネっ子女子高生・丘咲おかざきヒロコは、ゆったりしたベージュのカーディガンに白のピンストライプシャツ、サックスブルーのロングデニムスカートという春の陽気にピッタリないで立ちで、しかし心は梅雨空といわんばかりのしょんぼり顔して、ザキの目抜き通り「イセザキモール」を一人トボトボと歩いていた。


 彼女は今日、ユニークな雑貨販売が人気の「ビレッヂワンガード横浜店」のアルバイト採用面接に落ちてしまったのだった。



   ☆ ☆ ☆ ☆ ☆



 小さいころから文房具が大好きだったヒロコには、将来の夢があった。ステキに可愛くてミョーチクリンに面白い文房具をたくさん集めた、自分のお店を持つ。そのささやかな夢を実現するため、ヒロコはビレッヂワンガード横浜店のアルバイトとして仕入れや接客の経験を積みながら、コツコツお金を貯めようと考えたのだ。


 ところがヒロコ、こともあろうに面接の時間をすっぽかしてしまう。原因は、ちょっぴり度の過ぎたヒロコの「文房具愛」である。こと文房具となると、さながらマタタビ嗅いだ子猫のように、「うにゃー!」とたやすく忘我してしまう悪癖がヒロコにはあった。


 見た目がカワイイ、あるいは珍しい機能がついている、そんな文房具を好む「自称文房具マニア」は珍しくもない。しかしヒロコの愛はそれだけに留まらず、ボールペンの最新ノック機構やペン先切削技術など、四十年続いた流浪の番組でしか取り扱わないような機械工学技術にまで及んだ。アイドルオタクが推しのライブを見て「尊い……ッ!」と悶絶するように、シャーペン替え芯の硬度加工を見て「細い……ッ!」と悶絶できるのが、オカザキヒロコなのである。


 そんな真の文房具オタク少女は、面接前に働くお店の様子をしっかり確認しておこうと、約束の一時間前に店へ到着したのだが、それが災いした。店内に入った途端、目の前に広がるのは、カワイイ雑貨やオモチロイ文房具の数々。「あらやだステキ」とチョロさ爆発させたヒロコは、メガネをランランに輝かせると、あとはもうマタタビ嗅いだ子猫ちゃん。我に返った時はすでに面接時間を一時間オーバーしていた。ヒロコは慌てて店員に取次ぎを頼むも、採用担当者から「時間を守れない人は、社会人失格です」なんてアリガタイお説教まで頂戴して門前払いを食らったのだった。



   ☆ ☆ ☆ ☆ ☆



(ほんと、自分がヤになるなぁ……)


 冷蔵庫の奥でしなびたたくあんみたいにシナシナになったヒロコは、多くの人が行き交うイセザキモールで立ち止まると、肩に掛けたトートバッグがずり落ちそうなくらいがっくり肩を落とし、力なく自嘲した。と、突然ヒロコの耳に、どこからか自分を呼びかける密やかな、なんだかボイスチェンジャーでエフェクトをかけたような甲高い声が聞こえた。


(……えますか……。きこえますか……。今、あなたの心に、直接呼びかけています……)


「え?」


 SNSあたりでさんざん擦られすぎて、「今さら面白いと思ってこれ使う奴はマジでクソサムイ」といえるまで定番化したネタ台詞に、ヒロコはいぶかしげに顔を上げる。しかしヒロコに話しかける人は見当たらない。ヒロコは少し周囲を見回す。友隣堂本店の古びた建物が見えた。


(……え? マジで聞こえちゃってるの⁉︎)


 再びテレビの覆面インタビューを受ける犯罪者みたいな甲高い、しかし今度は心底びっくりしたような声が聞こえたもんだから、ヒロコはしょぼしょぼになっていた目をかっと見開き驚いた。


「え? ちょっ、え?」


 ヒロコは人目を気にしながら、もう一度辺りをキョロキョロ見回す。しかし、自分に話しかけている人はいない。ヒロコはにわかに狼狽え始める。


(……おいおいマジかよ! オレの声聞こえてんじゃーん! もうヤケになってチョーつまんないネットネタで遊んでみたけど、なにが功を奏するかわかんないねぇ人生。いや鳥生とりせい? これがサイオーガウマってやつ? ディープのラストクロップの?)


「普通の人は聞こえちゃいけない妖精さんの声」にハイテンションでまくし立てられたヒロコは、今「何かよくないことが起こっている」という恐怖心から「あうあう」とパニックに陥る。


(あー、怖がらせたのならごめんなさい。まあそりゃ驚きますよねー。実際ボクも百万馬券当てたみたいなこと起こったんでね、取り乱しました。申し訳ない。あの、別に取って食おうとかじゃないんで、ご安心を)


 声はヒロコを落ち着かせようと試みるが、ヒロコは挙動不審の万引き犯みたいに周囲をキョロキョロ見回している。


(……まあ、そりゃそうか。とりあえず、このままじゃ埒明かないんで、一回こっちに来てもらいますね)


「来てもらうって……」


 そう呟くや否や、ヒロコはなんの脈絡もなくいきなり意識を失った。その刹那、ヒロコは自分の脳裏に、「YURINDO」と書かれた黒エプロンが浮かんだ気がした。



   ☆ ☆ ☆ ☆ ☆



「オカザキヒロコ、一六歳。志望動機は、『文房具が大好きで……』と、なるほどねぇ……」


 ボイスチェンジャーで加工された声が聞こえ、ヒロコは目を覚ます。


 どういうわけか自分は今、ぼんやりと薄明るく照らされている場所の、リノリウム床みたいな地べたにうつぶせで倒れているらしい。ヒロコは「うんしょ」と両手をついて上半身を起こした。


「……え、ここドコ……?」


 ヒロコの胸に、ザワザワとした不安の影が忍び寄る。


 目の前に広がるのは、自分がいたはずのイセザキモールとは全く異なる、どこまでも果てがないようなガランとした空間だった。慌てて立ち上がったヒロコは辺りを見回す。と、振り返ったヒロコのちょうど目線の高さの中空に、むぎゅっとフワフワなフクロウのぬいぐるみが、ふわりと浮かんでいた。


 体長六〇センチ程度のぬいぐるみは、宙に浮かんだ体をピョコピョコ揺らしながら「ふむふむ」と独り言ち、ヒロコがトートバッグに入れていた履歴書を片側の羽根で器用につかんでじっくり読んでいる。


 いきなり見知らぬ場所に連れさらわれ、挙句目の前では空中に浮かんだぬいぐるみがしゃべっているというホラーシチュエーション。女子高生でなくとも「キャーッ!」と悲鳴をあげておかしくない。実際、ヒロコも一瞬「キャッ」と言いかけた。


 のだが、パイルの立ったホテルタオルみたいにふかふかで、ポヨンと丸っこいフォルムをしているフクロウは、ぎょろりとした白目がちの両目をしているものの、それはむしろトボけた愛嬌があり、おまけに頭には虹色の猫耳みたいなものがぴょこんと付いてる。


「カワイイ」


 ヒロコは思わず呟いてしまった。


 当のフクロウはヒロコの言葉に無反応のまま、彼女の履歴書を熟読している。自分のリアクションが無視されたヒロコは、なんだか気恥ずかしくなってもじもじ黙ってしまった。ただ、フクロウのどこか抜けたルックスのおかげで、ヒロコの恐怖心はだいぶ薄らいでいた。


「よし、合格!」


 ややあって、突然フクロウが大きな声を上げたもんだから、ヒロコは「ヒッ!」と声をあげる。


「それじゃあザキさん、ボクと契約して、友隣堂の社員(※非正規)になってよ!」


「……はい?」


 普段友達からは「ヒロコ」や「ヒロ」と呼ばれているヒロコは、これまたどこかで聞いたことがあるような台詞と、しかし一向に訳が分からない状況に、ただ困惑するしかなかった。

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