第12話 真相
「藤木さん。もしかしてちょっと睡眠不足ですか?」
「え? あぁ……えぇ、分かります?」
先日と同様に天子の退屈な話を欠伸しながら聞いていたところ、比津地に指摘されてしまった。
そりゃそうだ。仮眠を挟んだとはいえ、昨日はあれだけのハードスケジュールをこなした上に、実質的な睡眠時間は三時間未満。目に見えて疲労は溜まる。
「なら、今日はちょっと予定を変更しましょうか。そのまま無理に動いてしまって、倒れてしまったら元も子もない」
「い、いえいえ。そんな……」
それはそれでこちらも困る。この天国の扉に滞在できるのはあと二日しか残っていないんだ。その限られた時間でネタを集めるのが俺の仕事。これでも、若い時は四十八時間ぶっ続けで張り込みをしたことがある。その時に比べたら、まだ休憩の時間が取れるだけマシというものだ。
「大丈夫。負担が少ないだけで、こちらもちゃんとした活動ですから」
「は、はぁ……」
比津地に案内されたのは瞑想の間と呼ばれている場所だった。座禅を組み、この世界を俯瞰することで天の国と交信するのが目的──とのことらしい。ただ目を瞑って座るだけでいいとはなんと楽な修行だろうか。半分眠りながら、朦朧とした意識の中で時は過ぎていった。
その後、降誕祭を前日に控えているということもあり、準備を手伝うことになった。と言っても、そこまで大層なものでもない。多少、いつもより食事が豪華になるらしく、その仕込みの手伝いだ。同じく調理係の信者の者たちと情報収集を兼ねて交流しながら、三日目の業務は終わった。
そして──ついに、高橋との約束の時間が迫った。
現在時刻は深夜の十一時を回ったところ。体力的にも、昨日よりは少し早めに抜け出した方がいいだろう。
「……行くか」
頃合いを見て、部屋を出る。
二度目ということもあり、多少は手慣れた動作で門を飛び越え、再び脱出に成功した。そして、月明かりを頼りに住宅街までのルートを走る。
「ハァッ……ハァッ……」
十二月ということもあり、夜風は心地よいとは呼べないほどの冷気だった。しかし、なぜだろうか。俺の体の奥底からは熱が溢れ、むしろ暑いくらいだ。
理由は──分かっている。あと少しで、あの暗号の謎が解けるからだ。一体、どのような意味が込められているのだろうか。高橋は優秀な男だ。一晩もあれば、きっと調べてくれる。
まるでサンタからのプレゼントを待つ子どものような気分で、俺は電話ボックスへと向かった。
そして、一時間後──到着した。
「着いた……」
少し飛ばし過ぎたせいで、完全に息が切れていた。途中見かけた自販機で購入したお茶を一気に飲んで、水分を補給する。
「ふーっ……」
一分程度時間をかけて、呼吸を整える。よし、心の準備はできた。
電話ボックスに入り、百円玉を投入する。そして、ゆっくりと、丁寧に、ボタンを押す。
プルルルル
コール音が鳴り響く。口内にはいつもより唾液が分泌されており、思わず唾を呑み込む。あと数秒だ。数秒にも満たない未来に──全てが分かる。
プツッ
『おう。藤木か。時間通りだな』
「た、高橋……分かったか? 昨日の暗号」
『まあ……一通りはな。時間がなかったってこともあって、完璧とは言えないが、大まかには解読できたと思うぞ』
あぁ、やはり、高橋は優秀だ。持つべきものは教授の友人だな。
「そ、それで……どういう意味だったんだ? あの数字は」
「…………」
俺の問いに対して、高橋は意味深な沈黙をした。
「高橋? どうした?」
『いや……まあ……ちょっと言いにくいんだが……』
明らかに彼は言葉を濁している。「言いにくい」とはどういう意味だ。
「あまり時間がないんだ。早く教えてくれ」
『あぁ……単刀直入に言うと、この数字にはある共通点がある。お前も察してるとは思うが、これは西暦を指している。つまり、ここに記されている一九七八年から二〇〇〇年までに、ある事件が起こっているんだ』
「事件……?」
俺の予想は的中していた。
だが、問題はここからだ。一体、その年に何が起こっていたのか。やっと知ることができる。
「それで、その共通事項ってのはなんだ?」
『……ちょっと言いにくいんだが』
高橋は少し声のトーンを落とす。
それはまるで、周囲に聞かれてはまずいような話をするように聞こえた。だが、この数秒後──俺はなぜ、彼がここまで話すのを躊躇っていたのかを知ることになる。
『……集団自殺だよ』
「……は?」
『だから、この数字の年に、宗教団体が集団自殺事件を起こしているんだよ。オカルトライターのお前なら知ってるだろ。一九七八年といえば……“あの事件”が起きた年だ』
「──ッ!?」
ここで、俺はようやく思い出した。ずっと抱えていた既視感の正体は──これだ。
一九七八年、南米で発生した集団自殺事件。新興宗教団体の教祖が信者たちを扇動し、一斉に九百人を超える信者が服毒自殺をした歴史的な大惨事だ。あぁ、これで全て合点がいく。そうか──俺は──最初から天国の扉とあの団体をどこか重ねていたんだ。だから、すぐにあの数字に何か察するものがあったのか。クソ、どうしてあと一歩、思い出せなかった。
自分の間抜けさに腹が立つ。こんな重要なことを忘れて、何が記者だ。一人前を気取っていた自分の愚かさに腸が煮えくり返る。
『おい、大丈夫か?』
電話の向こうの異変に察したのか、高橋が心配そうに語りかける。
「あぁ……続けてくれ」
今は自戒している場合ではないだろう。時間が惜しい。先に全てを知るのが先決だ。
『さっきも言ったが、ここに書いてある数字は宗教によって集団自殺事件が発生した年だ。まあ、中には自殺なのか殺人なのか議論されているものもあるが、宗教が関連して多数の死者が出てるってのは変わらないな』
「それで……記号の意味は分かったか?」
『いや、それに関してはちょっと分からないな。マルとバツってことは何らかの“成功”か“失敗”を指すと思うんだが……宗派も国もバラバラで、集団自殺ってことくらいしか共通事項がない』
「……成功か失敗、か」
なぜ、この書き起こしが天子の部屋にあったんだ。まさか──最悪の可能性が脳裏を過る。
『それで、次は漢字の方なんだが……』
整理が追い付かないまま、高橋は話を続ける。
『これに関しては検索してもほぼ情報が出てこなかったな。ただ、一点だけ……この「
「幽霊……文字?」
聞き慣れない単語が出てきた。
『お前でも知らなくても無理はない。これはオカルトってより、どっちかと言うと日本語学の話になってくるからな。一九七八年……何の偶然か知らんが、あの事件と同じ年だな。ちょうどその年に、コンピューターで取り扱う日本の漢字をまとめようってことで「JIS C 6226」って規格が制定されたんだよ。要するに、デジタル上の漢字辞典だな』
「それが……幽霊と何の関係があるんだ?」
『その規格の中に、どこにも出典がない漢字が紛れ込んでいたんだ。存在しないはずなのに、なぜかデータ上に存在する文字、これを幽霊文字と呼ぶらしい。“彁”はその幽霊文字の一つだ』
「……っ」
成程。幽霊文字とはよく言ったものだ。確かに存在するが、誰もその意味を知らない文字。まさしく、幽霊の名を持つに相応しいだろう。
『まあ、こんなミスが発生した原因はただの誤写とは言われているがな。それでも“十二文字”が今でも幽霊文字として記録されている。分かったのはこんぐらいだな。この……便宜上は
「……そうか」
集団自殺。幽霊文字。クソッ、どうなってやがる。謎を解明するどころか、余計に増えてないか。頭が痛くなってきたぞ。
『……なぁ、藤木。お前、今、カルトの取材してんだろ? 悪いことは言わないから、今すぐ逃げた方がいいぞ。とてもじゃないが、まともな集団とは思えない』
「……あぁ、分かっている」
ちょうど俺も、これからのことを考えていたところだ。果たして、このまま教団に戻っていいのか。十二月、降誕祭、集団自殺、彁混神──嫌な予感がしてきた。
「すまん、ここで切る。ありがとな。色々調べてもらって」
『おう。今度の飲みはお前の奢りってことで許してやる。もう俺たちも若くないんだから、あんま無茶すんなよ』
「そう……だな。じゃあな」
受話器を戻し、俺は頭を抱える。
「どうする……これから……」
確証はない。しかし、俺の記者としての──いや、生物としての防衛本能が警鐘を鳴らしていた。これ以上は関わらない方がいい。逃げろと。
一体、天子が何を企んでいるかは知らないが、既に一般人の俺が足を踏み入れていい領域を超えている。このまま教団に戻ってしまえば、何が起こるか分からない。生命の危機を脅かされる可能性まである。過去にカルトに関わり、命を落としたジャーナリストを──俺は何人も知っている。
「…………っ」
しかし、しかしだ。ここで引き上げてしまったら真実は永遠に闇の中だ。今、ここで天国の扉が何をするのか見届けられるのは世界中でただ一人、俺だけだ。この仕事は俺にしかやり遂げることはできない。
意を決し、電話ボックスの扉を開ける。そして、俺は──教団本部に向かって走り始めた。直接、この件を天子に問い質す必要がある。その仕事を遂行するまでは帰れない。
夜明け前ということもあり、周囲は更に漆黒の闇に覆われていた。昨晩と比べても、どこか影が濃くなっているように思える。俺にはそれが“天国の扉”へと続く道標のように見えてしまった。
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