第11話 電話

「はぁっ……はぁっ……」


 教団を抜け出してから、現在一時間が経過していた。その間、ペースを抑えていたとはいえ、ずっと走りっぱなしだ。さすがに体力が尽きてきた。こりゃ、帰りは更にきついな。だが、その成果もあって、比較的早めに住宅街に到着することができた。あとは公衆電話を探すだけだ。

 最も設置されている確率が高いのはバスの停留所周辺だろう。しかし、土地勘のない俺ではどこにその場所があるのか分からない。こればっかりはしらみつぶしに探すしかない。道路沿いをよく観察しながら、時刻表の看板を探す。

 五分程度で、最初の停留所を発見することができた。


「……ハズレか」


 しかし、周辺に公衆電話は確認できない。次の停留所を求めて捜索を続ける。


「……あった!」


 そして、更にニ十分近くが経過し、三つ目の停留所を発見したところで──ようやく、公衆電話が設置されているボックスに辿り着いた。やはり、俺は運がいい。あと十分探して見つからなければ、引き返すことも視野に入れていた。

 急いで電話ボックス内に入り、財布の中から百円玉を投入する。番号はうろ覚えではあったが、ちゃんと覚えている。深夜の一時を回っているが“あいつ”なら恐らく起きているだろう。ボタンを押し、電話をかける。


 プルルルル プルルルル


 よし、通じた。少し自信がなかったが、番号は合っていた。頼む。出てくれよ。


 プツッ


 コールが四回鳴った直後、通話に成功した合図である機械音が鳴る。


『もしもし?』


「あぁ、よかった。通じた。俺だ。藤木だ」


『藤木……? おいおい、なんで非通知からかけてんだ?』


「こっちにも色々事情があってな。時間がないから、要件だけ伝えるぞ」


 電話先の相手である“高橋”は若干困惑している様子だった。そりゃそうか。こんな深夜に、いきなり非通知で突然連絡が来たら、対応に困るはずだ。

 今回、俺が頼ることにしたこの電話先の男の名は高橋。本名は高橋秀樹といい、学生時代の旧友だ。俺と同年代ではあるが、彼は民俗学を専攻し、この若さで大学の教授にまで上り詰めている優秀な男だった。その専門知識の高さから、俺も取材の際にはたびたび彼の力を借りているほどだ。


「今、紙とペンはあるか? 今から俺が言う数字と記号をメモしてくれ」


『はぁ……? どういうことだ?』


「いいから、時間がないんだよ」


『はいはい、分かったよ。ちょっと待ってな』


 十数秒程度、電話先からはガサゴソと物色する音が聴こえた。


『ほら、いいぞ。早く言え』


「あぁ、まずは一、九、七、八……」


 俺はメモ帳に記した数字を淡々と読み上げる。


「──で、最後は二、〇、〇、〇。これにバツの記号だ」


『……なんだこれ。何かの暗号か?』


「次は漢字だ。まず弓偏に、可能の「可」を二つ書いてくれ。そして、混沌の「混」に、神様の「神」だ」


 数字を読み終わり、彁混神の説明へと移る。


「高橋。その単語に見覚えはないか? どっかの土着信仰の神とか」


『……いや。ないな。ところでいい加減、これが何なのか教えてほしいんだが』


 やはり、高橋も知らないか。ここで正体が分かれば楽になったが、仕方ない。


「実は今、天国の扉ってカルト宗教に潜入取材しててな。これはそこで見つけた資料だ」


『はぁっ⁉ お前、そんな危ないことしてんの⁉』


「お前にはその数字と「彁混神」って神が何者なのか、調べてほしい。できれば今日中に」


「いや急だな! 俺だって大学の仕事があるんだぞ!」


「頼む。お前もこの手の分野には興味はあるだろ?」


「……って言ってもなぁ」


 数十秒間、高橋は沈黙する。

 無茶な頼み事だというのは分かっている。しかし、彼もまた、こっち側の人間だ。沸き上がった好奇心には逆らえない。


『……いつまでだ』


「二十四時間以内だ。明日のこの時間に、また連絡する」


『はぁ~仕方ねえなぁ。分かったよ。一応、やってみるさ』


 やはり、高橋なら引き受けてくれると信じていた。


「じゃあ時間がないから俺はここで。頼んだぞ」


『はいはい。お前も死ぬなよ』


 あまり冗談に聞こえない冗談を高橋は放ち、通話を切る。


「……ふう」


 一仕事を終え、無意識に俺の口からは溜息混じりの呼吸が漏れ出る。

 あとは帰るだけ──しかし、調査を依頼したことで新たな問題に直面してしまった。


「また明日も……ここに来るのか」


 最初から想定していたことではあるが、二十四時間後、高橋から報告結果を聞くためにまた脱走劇をする必要がある。一度ならともかく、深夜に連日となると、さすがに体力的に不安があるというのもまた事実だ。


「……まあ、やるしかないよな」



 それからまた二時間程度を労して、天使の故郷へと戻った。

 時刻は既に四時を回っている。まだ太陽は昇っていないが、熱心な信者は朝礼の準備でもう起床している可能性がある。ここにきて見つかったら洒落にならんぞ。


「…………っ!」


 周囲に人影がないことを確認し、前回と同じ要領で門をよじ登る。

 そして、今度は慎重に着地音がしないように飛び降りる。さて、どうだ。

 周囲を警戒するが──誰もこちらに来る気配はない。成功だ。何とか──成し遂げた。そのまま教団の敷地内に入る。ここまできたら、誰かとすれ違ったとしてもトイレだの散歩だのいくらでも言い訳ができる。堂々としていればいい。

 しかし、そこから先も誰ともすれ違うことなく、俺は宿直室に辿り着くことができた。部屋の扉を開け、ベッドに寝転ぶ。


「……フッ」


 しばらく放心状態のように天井を眺めていたが、不意に笑みが零れてしまった。


「ハハッ。ハハハハ」


 あぁ、まさか、こんな簡単に成功するとは思わなかった。いや、正直なところ──どこかで障害が発生し、結局失敗になるのではないかと思っていたのだ。いくら何でも、無茶な計画だった。

 しかし、無事に遂行することができた。さすがの俺も、感情を抑えることができなかった。ここまで嬉しいのは大学受験以来だ。脳内麻薬エンドルフィンが湧き出ているのを身に染みて実感する。

 それから日が昇るまで、俺は内に秘める興奮を抑えながら、迫りくる朝礼に向けて仮眠を取ることにした。

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