第5話 夢

「……いらない心配だったな」


 十分後、俺はベッドに寝転び、天井の染みを眺めながら呟いた。

 結論から言うと、他の信者との共同スペースに放り込まれるという事態は回避できた。当然と言えば当然か。一応、俺は、まだ見学に来ただけの部外者なんだからな。言わば来客に近い立場。そんな客人に、信者と同じ扱いをするのはさすがにないか。

 教団が用意した部屋は恐らく学校の教員が寝泊まりをする際に使用されていたと思われる宿直室を改築したものだった。広さは六畳より少しスペースがある程度。格安ホテルに比べたらだいぶ上等な部類だろう。文句はない。だが──ちょっとした問題が発生した。


「……やっぱ、携帯は没収されるわな」


 そう。今、俺の手にはスマートフォンがない。比津地によって取り上げられ、どこか別の場所に保管されてしまったのだ。

 本人曰く、機械の部類はここでは誰も持ち歩いておらず、文明社会から離れて自分を見つめ直すチャンスとのことだが──まあ十中八九、外部からの連絡を防ぐのと、写真や音声といった物的証拠を残されるのはまずいという判断だろう。これに限っては予想通りだ。こちらも最初から、期待はしていない。

 ならば対策として、サブ端末を用意することも最初は考えたが、見つかった時のリスクが大きすぎる。取材は信頼関係で成り立つものだ。途中で中止なんて事態に陥ってしまえば、元も子もない。幸いなことに、メモ帳とペンは没収されることはなかった。これだけあれば、仕事には十分だろう。


「あー……疲れた」


 時刻は夕方の五時を回っている。駅に着いたのが正午付近だったことから、既に天国の扉に来てから数時間が経過していた。やはり、潜入取材というのは神経を使う。これでまだ初日だと思うと、津波のような疲労感が肩に覆いかぶさる感覚を覚える。


「ちょっと……寝るか」


 ここでの夕食は七時から始まるそうだ。その時間になると、比津地が部屋まで呼びにきてくれる。それまでは空き時間、明日からの予定を考えると、多少は大目に休息をとった方がいいだろう。

 そう判断した俺はすぐに夢の中の世界へと旅立った。



 俺がこの業界に入るきっかけは──“あの事件”だったと思う。

 そう、世紀末に差し掛かり、世間がどこか陰鬱な雰囲気に漂っていた頃に例の新興宗教団体が起こした歴史的なテロ事件だ。

 やはり、九十年代というのは世界的に見てもどこかおかしい年代だったようだ。旧世紀が終わり、新世紀が始まる。それは期待感以上に、人々に不安感を与えたのだろう。そして、その不安はカルトが介入する絶好の機会だった。


 当時、まだ子どもだった俺はその事件に衝撃を受けた。今まで、宗教というのは自分に縁がないものだと思い込んでいた。教会や神社といった施設も、公園のような公共施設と何ら変わらない。映画に出てくるシスターのように、宗教の信者というものは優しく、人に危害を加えることは決してない──そう思っていた。

 しかし、その事件の時に初めて、俺はカルトという存在を知った。小汚い中年を救世主だと信じ、テロ行為まで行う奇妙な集団。少し、不謹慎に聞こえるかもしれないが──俺には彼らがとても興味深い存在に見えてしまった。元々、オカルト関連が好きだったということもあり、俺は徐々に、例の事件の文献や記事を読み漁り、カルトという存在に対して知見を深めていった。


 そして、大学生になった俺に転機が訪れる。なんと、俺はカルトに接触する機会を得たのだ。

 当時、俺は大学内で貼り出される新聞系のサークルに所属していた。所属する仲間も俺と似たようなジャーナリストの卵に憧れる者たちばかりで、楽しい時を過ごしていたと思う。しかし、そんな日常を送っていた最中、とある事件が発生する。

 発端は──ある後輩からだった。何やら、部内で怪しいセミナーが流行しており、既に数十万円近く使い込んでいる部員がいるらしいとのことで、どうにか止めてほしいという相談を受けたのだ。

 そのセミナーの正体は当時流行していたとある新興宗教団体を母体として行われていたマルチ商法だった。まさか、自分が通う大学内にまでカルトの魔の手が及んでいるとは思わなかった。いや、入学当初は怪しげな勧誘に注意という警告は何度も耳にしていのだが、それでもどこかカルトという存在はテレビや記事の向こう側の存在、一般人の手に届かない場所にいるとどこかで思っていた。しかし、彼らの脅威は既に社会に浸透し、すぐ傍まで迫っていたのだ。

 それからはマルチ派と反対派で部内が分裂してしまった。大学側にも何とかしてもらおうと相談はしたのだが、やはり宗教が絡んでいると臆してしまう。結局、彼らと和解することなく、マルチ派はサークルを去ることになった。その際に残した言葉が──なぜか、俺の心にずっと残っている。


「お前らは本当の友達じゃない」


 本当の友達とはいったい何なのか。確かに、俺や部内の仲間は彼らの身を案じて行動していたはず。しかし、その想いは届くことはなかった。

 彼らにとって真の友とはマルチを操る新興宗教団体なのか。それが本当に正しい友情と言えるのだろうか。その後、マルチ派は揃って大学を中退してしまったため、現在の行方は分からない。

 俺は──正しい行いを実行できたのだろうか。答えはまだ、見つかっていない。

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