第6話 朝礼
「──藤木さん。夕食の時間ですよ」
「……んっ」
扉から聞こえる比津地の声で、俺は目が覚めた。
あぁ、二十年近く前の懐かしい夢を見てしまった。寝起きは最悪だ。急いで身支度をして、部屋の外に出る。
「あぁ、よかった。反応がないので、何かあったのかと」
「すみません……ちょっと眠ってしまって」
「ははは。やはり、初日は色々疲れますよね。では、夕食に向かいましょうか」
比津地と共に、食堂へと向かう。食堂に到着すると、そこには既に多くの信者が集っており、黙々と食事を進めていた。
「藤木さん。食事はこちらのカウンターから受け取ってください」
「分かりました」
目の前で食事を受け取る比津地の動作をまねて、俺もカウンターから夕食を受け取る。どれどれ、メニューは──お粥、山菜のおひたし、みそ汁、そして、寒天のような謎のデザート。
予想はしていたが、味気ない質素な食事だった。教団の生活から、肉や魚の類は入っていないことは覚悟していたが、これでは入院食と何ら変わりない。毎食、よくこんなメニューで農作業ができるものだと感心するくらいだ。
「では、いただきましょうか」
空いている席に着くと、比津地は十字を切るような動作をして、食前の祈りを始めた。
「父よ。母よ。あなた方の慈しみに感謝して、この食事をいただきます。今日も我らは天の国へと一歩近づきました。我が命はあなた方と共に。アーメン」
「ア、アーメン」
一応、俺も祈っておいた方がいいだろう。長ったらしい前説を省略して、最後の祈りの言葉だけを唱える。そして、まずはお粥を口に運んだ。
まあ、味気ないただのお粥だ。うん。山菜も多少の塩味を感じるが、それだけ。一番マシなのはみそ汁だ。寒天もどきに至っては一瞬吐きそうになるぐらいに未知の味がした。どんな工程を踏めばこんなまずいものができるのかと、心の中で愚痴を吐きながら水で流し込む。
結局、十分もしないうちに完食してしまった。とてもうまいと言える代物ではなかったが、空腹には抗えない。だが、これでも腹八分目どころか、五分目がいいところだろう。外の食事と比較すると、圧倒的に量が不足していた。この食事をあと三日分、か。失敗したな。何か菓子でも持ってくればよかった。
「お口に合いましたか?」
「え? え、えぇ。まあ……」
「ははは。無理はしないでいいですよ。外の食事と比べると、味が薄いでしょう。でも、じきに慣れますよ」
自覚があるなら調味料のひとつでも用意してほしいんだがな。と思いながら、三杯目の水を胃に流し込む。これで多少は腹が膨れた。
「それで、夕食の後には何か予定はあるんですか?」
「いえ、基本的には陽が沈むと、そこで仕事は終わりです。あとは朝まで体を休める時間なので、今日は藤木さんも休息を取ってください」
「そう……ですか」
残念だな。信者と交流を図る機会があると思ったんだが、明日に持ち越しか。まあ、時間はある。焦らずにゆっくり行くか。
「では、明日は朝の六時にお迎えに上がります。お風呂は部屋に備え付けられているシャワー室を使ってくださいね。今日はゆっくり休んでください」
「分かりました。今日はありがとうございました」
比津地に一度別れを告げ、俺は自室へと戻った。
ベッドに腰を降ろすと、大きな溜息を吐く。何とか一日目は乗り切った。初日にしては成果も上出来だろう。その後は流れるようにシャワーを浴びて、就寝の準備をする。
「……さて」
後は今日の取材記録を書き残すだけだが、その前に確認しておくことがある。それは──誰かに“監視”されていないか、確かめるということだ。
まあ、さすがにそこまではしていないとは思うが、相手はカルトだ。反社会的な思想を持っているということは常に意識しておかなくてはならない。常識が通用する相手ではないのだ。
仕掛けやすい場所は大体こちらも把握している。角度を意識しながら、一か所ずつしらみつぶしにカメラと盗聴器がないかチェックする。二十分程度で、作業は終わった。
「……ま、さすがに考えすぎか」
結論から言うと、どこにも俺を監視するような機器はなかった。これでこの空間は誰にも干渉されない唯一の場所だということが証明された。ようやく本当の意味で緊張が解けた実感がある。
その後、二時間程度で本日の取材の成果を書き残し、就寝した。明日からは本格的にこの天国の扉での活動が始まる。多少は面白い記事になる出来事が起こることを若干期待しながら、俺は再び夢の世界に旅立った。
「んっ……今、何時だ」
慣れない寝床ということもあり、二日目の朝は比較的に早く起きた。
部屋に備え付けられた時計を確認すると、朝の五時半。朝の集会まで、まだ三十分近くある。中途半端な時間に目が覚めてしまったな。しかし、二度寝をするわけにもいかない。ゆっくりと身支度をしながら、時が過ぎるのを待っていた。
『藤木さん、起きてますか?』
「えぇ、今行きます」
前日はかなりの睡眠をとったことにより、体力はほぼ満タンだ。懸念することがあるなら、あの食事量で一日が持つかどうかという不安だろう。腹の虫を抑えながら、俺は比津地と共に集いの場である体育館へと向かった。
「……これは」
到着すると、まずその人の多さに驚かされた。
軽く百人は超えている。まさか、信者が全員集まっているのかと疑うほどに、人々がごった返していた。
「これ、ここで暮らす人が全員集まっているんですか?」
「全員、というわけではありませんよ。でも、九割近くはいますね」
いや、ほぼ全員だろ。こんな朝方から、わざわざ天子の顔を見るためにご苦労なことだ。
その信仰心に感服しながら、空いている椅子に着席する。俺たちの位置は壇上からはだいぶ遠い。じきに挨拶が始まるということもあり、少々出遅れてしまったようだ。
「あの、この席の順番って早いもの勝ちなんですか?」
「えぇ。そうですね。熱心な人は夜明け前から場所を確保してますよ」
扱いがアイドルのそれと同じだな。あの美貌なら頷けるが、それにしても、こんな朝っぱらからこれだけの人数が集まるのは異常だろう。周囲を見回すと、子どもを連れている親らしき人物もいる。比津地の言う通り、九割の人間が集まっているのは事実のようだ。
「あ、もうすぐ始まりますよ」
壇上に数人の信者が立ち、何やら準備をしているようだった。そして、その数十秒後──天子が現れた。
「おおおおおおおっ」
瞬間、周囲からどよめきが発生する。お前ら、毎朝この集会に来てんだろ。今更そんな騒ぐ必要あるのか。
「静粛に! これより、天子様のお言葉を授ける!」
そして、その騒ぎを収めるように、壇上の信者が声を張り上げる。すると、先程までの騒ぎが嘘のように、静寂な空間が訪れた。
まるでよくしつけをされている犬のようだと思いながら、俺もその様子を見守る。
「皆さん。おはようございます。今日も今日という日を迎えられたのも、皆さんの信仰が天の国に届いたおかげでしょう」
そして、天子のスピーチが始まった。ここから十分程度、話は続いたわけだが──実のところ、彼女が何を言っているのか、俺にはよく理解ができなかった。
いや、言わんとしていることは分かる。天国の扉の特徴として、信仰にやや過激な終末論が組み込まれているということが挙げられる。この手のカルトにはあるあるだ。近い将来に世界は滅ぶなどとノストラダムスの大予言やハルマゲドンをパクった話をでっち上げ、信者たちの恐怖を煽り、より信仰心を結託させるのが目的のものだろう。しかし、それにしては──具体的な例が出てこないのだ。
要するに、どこか話が安っぽいというか、主体性がない。天子は近いうちに世界は滅びの道をたどることになると言っているが、どうなるかまでは語らない。そのためには天国の扉を開け、向こう側にいるすべての人間にとっての真のお父さまとお母さまの力を借りるしかないとも言っているが、その二人がどのような名前と姿なのかも言及していなかった。
何か──少し、違和感を覚える。だって、おかしくないか。信仰をする神の名前すらも出てこないというのは。思えば、最初から疑問には思っていた。この天国の扉は何を信仰し、崇め奉っているのか。その全貌が一切見えてこないのだ。まるで、隠蔽をしようとしているのではないかとさえ感じてしまう。
「──では、今日もお父さまとお母さまに向けて、祈りを捧げましょう」
そうこうしているうちに、話は終わり、祈りの時間へと移行していた。慌てて俺も周囲の人間に合わせて、手を組む。
「お父さま。お母さま。我が身を御身に捧げます。アーメン」
「アーメン」
しかし、これも不気味な祈りだな。まるで、人間に食われることに感謝する家畜のようだ。
天子は丁寧にお辞儀をすると、壇上から去り、どこか裏口へと姿消した。これで集会は終わったようで、周囲の人々も続々と出口へと向かう。
「では、私たちも朝食に行きましょうか」
「え、えぇ。分かりました」
一瞬、比津地に先程のスピーチの疑問をぶつけようとしたが──留まった。
俺の記者としての勘が告げていたのだ。それはデッドラインだ、やめておけ、と。ここは大人しく、その警告に従うことにした。
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