第3話 天子
「着きましたよ」
「ここが……天使の故郷、ですか」
比津地の言う通り、駅から二十分程度で、カルト教団“天国の扉”の本部である“天使の故郷”へと辿り着いた。パンフレットにも写っていたが、間近で見ると、外観はかなり小学校の面影が残っている。何も説明もないと、ここが宗教施設とは思わないだろう。
ちゃんと駐車場も用意されており、何台かの車も停車している。一応、完全な自給自足の生活をしているらしいが、多少は街から生活必需品を調達しているらしい。ちらりとだが、窓から大量のトイレットペーパーが積まれているのが見えた。
「では、これから“
「……はい」
さて、いよいよこの天国の扉の教祖様とのご対面だ。と言っても、既に資料で顔はもう把握しているがな。だが、この目で確認しないと、少し信じられないのは確かだ。
比津地に連れられ、校内へと足を踏み入れる。外観と同様に、内装もあまり変わっていないようだ。ふと、通っていた小学校のことを思い出し、懐かしい気分になる。このどこか親しみを覚えてしまう精神作用も、洗脳に利用されているのではないかと勘繰ってしまう。
「ここです。では」
ある一室の前で比津地は止まり、扉にノックをする。
「比津地です。藤木様をお連れしました」
『どうぞ。入ってきてください』
扉からは──まるで小鳥が囀るような、可憐な女の声が響いた。
あぁ、やっぱり、マジであいつが教祖なのか。これはたまげたな。教祖の許可が下りたことにより、比津地は戸を開ける。
「初めまして。藤木さん。今日はよくおいでくださりました。私がここの代表を務めている“
「……どうも。藤木です」
目の前に現れた天国の扉の教祖は──十代と見間違うほど若々しい姿をした女性だった。
人種としては西洋人の血が混じっているのだろうか。純日本人には見えない。まるで人形のように整った顔立ちをしており、恐ろしいほどの美人だ。髪は腰にかかるほどの長髪で、色はどこかアルビノが入っているようなベージュ色。白いワンピースのような修道服を身にまとっており、神秘的な雰囲気を醸し出している。
この“天子”と名乗る女が、天国の扉の親玉である教祖だ。とてもじゃないが信じられないな。
一般的には教祖という存在は男性のイメージが強いが、実は教祖が女性というのはあまり珍しい事例でもない。有名な女性占い師が立宗し、客をカルトの信者へと変える例も存在する。しかし、この天子という女の場合は──明らかに不自然だ。あまりにも教祖としては若すぎる。
天国の扉が生まれたのは十年前のはず。仮に天子の現在の年齢が二十代後半だと仮定しても、十代の頃に宗教を立ち上げたということになる。果たして、そのようなことがありえるのだろうか。いや、絶対にありえない。何か、裏があるはずだ。
考えられる可能性はひとつ。天子は“傀儡教祖”だということだ。彼女はあくまで表舞台用の客引き。裏で誰かが実質的な支配権を握っているはず。
「おや。どうかしましたか?」
「……いえ」
天子の言葉に、俺はわずかに動揺する。
まずい。思い浮かんだ疑念がそのまま態度に出てしまったか。いや、これは当然の反応だろう。俺が記者だということを抜きにしても、このような若い女の教祖が存在するということに多少は怪しく思っても不思議ではない。つまり、ここは隠さずに正直に言うのが正解だ。
「実は……ちょっと驚きました。こんなに若い人が、代表をしているなんて。女性に年齢を聞くのは失礼だと百も承知ですが、おいくつですか……?」
「ふふっ……よく言われます。今年で二十六歳になります。これでも、四捨五入すると三十路ですよ?」
ってことは十六歳で新興宗教を立ち上げたのか。いやいや、あり得ないだろ。どうなってやがる。
「藤木さん。気持ちはわかりますよ。私も初めて天子様に会ったときは同じことを思いましたから」
困惑する俺をフォローするように、比津地が声をかけてきた。
「ですが、天子様の力は本物です。彼女の力の前では年齢なんて些細な問題なんですよ」
「は、はぁ……」
俺が気になっているのはそこじゃない。まだ十代の小娘が宗教を立ち上げるって経歴の不気味さに対してだよ、この馬鹿。もういい。少々不自然かもしれないが、ここは正直に問い詰めた方がいいだろう。このまま見過ごすのは俺の記者魂が耐えられそうにない。
「あの……パンフレットにはこの天国の扉は十年前に設立されたって書いてありましたよね? つまり、天子さんは……十六歳の時にここの代表になったんですか?」
「えぇ。そうですね」
「す、すごいですね。まだ高校生なのに」
「ふふっ──そんなに、私のことが気になりますか?」
その瞬間、俺は背筋に嫌な気配を感じた。
「……っ」
なんだ。今の感触は──氷柱で背中を撫でられたような悪寒が全身を駆け巡る。その発信源は間違いなく、目の前の女、天子から発せられたものだ。
まずいな。少し深入りしすぎたか。怪しまれてしまったのかもしれない。
俺も一応、記者の端くれ。この業界には二十年近くいる。コンビニに立ち並ぶ雑誌の中でも、端に置かれている誰が買うのかわからないオカルト雑誌の記者ではあるが、取材という分野に関しては大手の出版社の記者にも負けない自信はある。
その経験から言うなら、取材をするときには必ず守らなくてはいけない“デッドライン”が存在するのだ。取材相手に聞いてはいけない事項。プライバシーや倫理的な面で、相手に不快感を与えしまうことは業界では絶対にNGな行為だ。
今──軽く、そのラインを踏み外してしまった感触が確かにあった。
「まあ……そうですね。話すとちょっと長くなりますし、お茶でも飲みながら話しましょうか。比津地さん、あなたは外で待機していてください。私と藤木さんで二人きりのお話をします」
「はい。分かりました」
天子の言葉に従い、比津地は退室する。
まさか、こんなに早く教祖と二人で話せるとは思わなかった。
「はい、どうぞ。藤木さん」
俺の警戒心を解くように、天子はお茶を差し出す。
カルトから差し出されたお茶、か。どこかで聞いたことがあったな。とある教団が一般人の来客に薬物が入った飲み物を差し出して、そのまま神秘体験と称して幻覚を見せるって話を。
しかし──そんな可能性を考えても無駄だ。今の状態で飲まないという選択肢は存在しない。意を決し、湯呑を口元に運ぶ。
「……んっ」
味は──普通の緑茶だった。
「どうですか? そのお茶はここで栽培した葉を使用しているんですよ」
「え、えぇ……おいしい、です」
「ふふっ。それはよかったです」
天子は軽く微笑みながら、目を合わせる。そのビー玉のようにきれいな目に一瞬吸い込まれそうになり、俺は目線を外す。
あぁ、この女の美貌は本物だ。蠱惑的、とでも言えばいいのだろうか。間違いなく、人を惑わす力がある。恐らく、芸能人にでもなっていればテレビでは見ない日がないほどの売れっ子になっていたに違いない。一般人とはオーラが違う。
過去から現在において、カルトの教祖が例外なく所持している才能がある。それは“カリスマ性”だ。彼ら、彼女らの一挙手一投足、そして、その口から放たれる言葉には謎の魔力が宿っている。神託を告げる預言者のように、人々はなぜか惹きつけられてしまう。
天子は──その才能を持っている。しかも、俺の経験から言わせてもらうなら、その中でもトップクラス、指導者として天賦の才だ。ここまでのカリスマ性を持った者は歴史上でもなかなか見ないのではなかろうか。成程、この若さでこれだけの人間が付いてくるのにも納得する。
「それで、何の話でしたっけ……あぁ、そうそう。私がなぜ、この天国の扉を立ち上げたのか……でしたね」
天子もお茶を口元へと運び、一息つく。
「えぇ。確かに、不自然な話ですよね。まだ高校生の女の子が、宗教を開くなんて、とても信じられない話です。実は私……孤児院で育ったんですよね。どこかで捨てられていたところを保護されたみたいで、それからは親を知らずに施設の人に育てられました」
天子は淡々と、自身の過去について語り始めた。
「ですが、ある時……突然、声が聴こえたんです。忘れもしません。それは十六歳の誕生日でした」
「声、ですか?」
「えぇ。部屋でこれから眠ろうとしていた瞬間、どこからか声が聴こえたんです。当然、部屋の中には私ひとりだけ……しかも、脳内に直接響くような声が。その声はこう言っていました。天子、あなたはこれから人々を導き、天の国の扉を開け、多くの人々を救済する役目があると。そこで、私はこの世界には更に上の次元の世界。天の国と呼ばれる場所があることを知りました。そして、その声の持ち主は我々を作り出した真のお父さまとお母さまであり、私はふたりに選ばれた使者であると」
天子は胸元で手を重ね、当時の光景を思い出すように語っている。その真剣な表情から放たれる言葉には確かに重みがあり、信じる者がいてもおかしくはないだろう。
しかし──なぜだろうか。俺はどこか、彼女の話は“嘘”が混じっていると直感してしまった。
いや、神からお告げがあったというのが真実ではないというのは百も承知だ。そういう意味ではなく、何か、このエピソード自体が教団設立とは無関係なのではないかと感じている。
つまり、どこか後付けのようなイメージがあるのだ。根拠は何もない。俺の直感だ。ただ、仕事上、俺もよく身分を偽ることが多くあり、同胞(うそつき)の匂いはなんとなくだが嗅ぎ分けることができる。
その経験から言うなら、天子は──間違いなく、嘘をついている。
「最初は本当に小さな集会だったんです。ですが、徐々に私の意見に賛同してくれる人たちが集まってくれて。ここまで教団が大きくなったのも、皆さんのおかげですよ」
「それは……大変な道のりでしたね」
一体、天子は何を隠している。その真相は気になるが──これ以上詮索するのはさすがに怪しすぎるだろう。ここは素直に引き下がるしかないか。
「あぁ、もうこんな時間ですか。少しおしゃべりしすぎてしまいましたね。時間は有限です。藤木さんにはまだ色々見てもらいたいものがあるんですよ。では、後は比津地に任せますね」
「えぇ。貴重なお話、ありがとうございました」
収穫はあった。まだ初日にもかかわらず、予想以上の成果だ。この天使の故郷にはまだあと四日滞在できる。それまでに、何か大きな特ダネを持ち帰ることができるはずだと、俺は確信していた。
「あぁ、そうそう。藤木さん」
ふと、部屋から出ようとしていたまさにその時、天子に呼び止められる。
「藤木さんは……“因果”という言葉を信じますか?」
「……因果、ですか?」
どういう、意味だ。因果、つまり──物事には原因と結果が繋がっているということか。何の意図があって、そんな質問をしている。
「……さぁ。よく、分からないですね」
俺はありのままの心情を天子に伝えた。
「ふふっ。そうですよね。突然言われても、何のことか分かりませんよね。要するに、私と藤木さんが出会ったのも……予め決められた因果律の結果かもしれない、ということです」
「……はぁ?」
「いえ、気にしないでください。ではまた、お会いしましょう」
天子は笑みを浮かべながら、手を振り、別れの挨拶をする。この時、俺は彼女のある癖に気が付いた。
彼女には時折、鼻で笑う癖がある。まだ対面して数十分も経っていないが、既に何回かその動作を目撃していた。無意識なのか、意図して行っているかはまだ分からないが、何らかの癖であることは確かだ。
俺には──その笑いが、こちらの心の奥底を見透かされ、嘲笑っているような、不気味で不快なものだと思えてしまった。
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