第2話 使い
「やぁやぁ。長旅、お疲れさまでした」
「あっ、どうも。もしかして、天国の扉の方ですか?」
「えぇ、わたくし、使いの
「初めまして。藤木です。今日からよろしくお願いします」
駅のホームを降りると、白の軽自動車の前に立っていた男に声をかけられる。
初老で白髪交じりのやや薄い頭髪をした男は自ら比津地と名乗り、満面の笑みを浮かべていた。年齢は──恐らく五十前後、俺より年上だろうか。
「さぁ、外は寒いですからね。乗ってください。今から本部にお送りいたします」
「ありがとうございます。失礼します」
後部座席に乗り込み、数秒間、車の中を観察する。
不自然な点は──何もない。どこにでもあるデザインの車内だ。
「では、出発しますね。あぁ、一応、シートベルトは付けておいてください。あまり舗装されていない道を通るので、揺れますから」
「分かりました」
比津地はキーを差し込む。
年季を感じさせられる鈍いエンジン音が鳴り、車は発進した。
「いやーそれにしても、疲れたでしょう。藤木さんは東京からいらっしゃったのでしょう?」
「そうですね。空港までは飛行機で一時間ちょっとだったんですけど、そこから電車で三時間乗り継いできました」
「ははは。ここら辺は交通の便が悪いですからねぇ。新規で来る人は皆さんそんな感じですよ。一応、駅の周辺にちょっとした繁華街がある程度で、まあ静かなところです」
比津地と他愛のない雑談をしながら、俺は窓の外から周囲の景色を観察する。
確かに、彼の言う通り、最初に駅に降り立った時は想像よりは発展していたと思ったのだが、ひとたび車を走らせると、周囲には田んぼが広がっていた。なるほど、かなりの田舎だ。
「どのくらいで本部には着くんですか?」
「そんなにかかりませんよ。車を走らせて二十分ぐらいです。パンフレットの方はお読みになりましたか?」
「えぇ。まあ一通りは」
「でしたら、ご存じだとは思いますが、うちの本部は廃校になった小学校を建て直したものなんですよ。だから、そこまで山奥にあるというわけではないんです」
「……へぇ」
そう、天国の扉が本部としている施設は過疎化によって廃校になり、放置されていた小学校を改築したものだ。その小学校で現在、二百人余りが集団生活をしている。無論、中にはまだ幼い子どもたちもおり、学校の代わりに教団が教育を施しているとパンフレットには記載されていた。
活動自体には問題がないが、やはり、何か少し腑に落ちない。果たして、義務教育を受けずにこのようなコミュニティの中で育った子は一体どのような思想になるのか。その結果を想像するのは実に容易い。
あぁ、駄目だ。少し辛気臭い表情になっているということが自分でも分かる。今の俺は記者じゃない。天国の扉という宗教団体の活動に少し興味がある、冴えない中年のオッサンだ。そのことを意識して、振舞わなければ正体を勘付かれてしまう。それだけは絶対に避けなくてはならない。
「そういえば、藤木さんのご職業は?」
「えっ? あぁ……ちょっと前までしがない会社でサラリーマンをやっていたんですけど、ちょっと前にクビになってしまって、それで、落ち込んでいたところに天国の扉のことを知って、ちょっと興味が湧いたんです」
適当に一晩で考えた脚本を俺は比津地に向かって話す。
嘘を吐くことに罪悪感はない。しがない会社に勤めているのは本当だし、いつ倒産してもおかしくないのも事実だ。上手な嘘を作るには事実をスパイス程度に混ぜるのがコツだ。
「それは……お気の毒でしたね。ですが、私たちの教団のことを知ったのも、きっと神、お父さまの思し召しですよ。あなたは幸運だ」
「は、はは……そうなんですかね」
神の思し召し、か。幸運にも不幸にも当てはまる、なんと便利な言葉だろうか。
「失礼ですが、ご結婚はなされているんですか?」
続けて、比津地は家族関係について尋ねてきた。想定内の質問だ。俺はあらかじめ用意していた回答を話す。
「……えぇ。ですが、数年前に妻と娘に逃げられてしまいました。甲斐性のない私に愛想が尽きたそうです」
──これもまた事実だ。実際に、俺は一度、結婚をしているが、数年前に妻とは別れた。
理由に関しても嘘じゃない。俺みたいな弱小出版社に勤めている記者の給料では彼女たちを十分に養うことができなかった。いや、実際にそれなりに最低限の給料は貰っているが、記者としての俺の金の使い方に問題があった。
昔から、気になったことに関してはとことん追求するのが俺の性分だった。そのおかげで取材費を超過するのは当たり前。自費で負担してまで、真実を求める。結果、大した成果にあり付くこともなく取材終了というのが日常茶飯事だったのだが、それでも満足だった。少なくとも、俺はこの仕事が自分にとっての天職だと思っている。じゃないと、このご時世にオカルト雑誌の記者なんてやっていない。未知、謎、神秘。その言葉の魔力に、俺も取り憑かれてしまっている。
だが──妻はそうじゃなかった。当然だ。俺も女だったら、こんなダメ男とはすぐ別れている。むしろ、三年もよく持った方だろう。
まだ歩き始めたばかりの娘を連れて、妻は実家へと帰ってしまった。それから養育費を払ってはいるが、一度も娘と顔を合わせたことはない。
「……なんかすみませんねぇ。答えにくいことばかり聞いてしまって」
「別に構いませんよ。もう終わったことですから」
「安心してください。天国の扉はあなたのすべてを受け入れます。あそこにいる人たちは俗世間の者と違って皆さんいい人ですから」
「そう、ですか」
いい人、か。教団にとって都合のいい人の間違いじゃないかという疑念が一瞬頭を過ったが、表情に出る前に心の奥底に秘めておくことにした。
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