天国の扉

海凪

第1話 潜入取材

 この世界に神は実在するのか。

 恐らく、この疑問は人類なら誰でも一度は考えたことがあるだろう。ふと、就寝前に思い浮かんでしまい、なかなか寝付けないという経験も珍しくないはずだ。

 そもそも、神という存在が曖昧であり、定義を決めるということ自体が難しい問題ではあるのだが、ここでは人類の上位存在であり、この地球を作り出した者と仮定しておく。

 ある神話では創造神、またある神話では破壊神として、神についての記述は世界中に残されている。そして、その神々を信仰し、崇拝する“宗教団体”という組織は現在では星の数まで溢れかえっているほどだ。だが──それらの全てが正しい組織というわけではない。中には反社会的な思想を持ち、邪神を信仰する組織も存在する。

 この条件に当てはまる団体は“カルト”と呼ばれており、たびたび社会を騒がせている。教祖にあたる人物が善良な市民を信者として洗脳し、時には命を奪う事例も珍しくない。一体、なぜ人々はカルトに惹かれてしまうのか。この疑問もまた、人類にとっての永遠の謎かもしれない。


「……書き出しはこんなところでいいか」


 とりあえず、即興で考えた文章をスマートフォンのメモ帳に打ち込み終えた俺は電車の外の風景を眺める。季節は冬、十二月某日。世間はクリスマスシーズンで賑わっているが、俺にとってはいつもの日常と変わらない。

 俺の名前は藤木義彦ふじきよしひこ。三流、いや、四流出版社で発行されているオカルト雑誌のライターをやっている男だ。今年で四十歳になる。そろそろオッサンを通り越して、ジジイの領域に入ってしまった。体中にガタが来ており、日々老いというものを実感させられる。

 そんな俺が今、どこに向かっているのか。まあなんとなく予想はついているだろうが──編集長の命で俺はとあるカルト宗教団体に潜入取材をすることになってしまった。

 そもそもの話、この手の宗教に関する問題ってのは出版業界にとっては禁忌、タブーってやつなんだがな。人権やら、信仰の自由にかかわる問題ってのもあるが、一番の理由は宗教団体ってやつは敵に回すと、とてつもなく面倒くさいという点にある。


 今から三十年近く前の出来事になるが、こんな話がある。とある大手出版社が、当時かなり勢いがあった新興宗教団体に対しての批判記事を雑誌に掲載したことがあった。やれインチキ宗教だの、カルトだの、それはボロクソに叩いていたものだった。で、その結果どうなったのか。

 数百を超える抗議の電話が、一斉に社内に鳴り響いたのだ。会社の業務用回線は一瞬にして、その宗教団体に乗っ取られてしまい、更に本社の前では連日のデモが発生し、社員の自宅にも抗議の手紙が届く事態になってしまった。こうなってしまったら、業務どころの話じゃない。加えて、全国各地で信者が名誉棄損の裁判まで起こした。

 結果的に、その大手出版社は大打撃を受けてしまい、この一件は宗教には手を出すなという業界の教訓になってしまった。まあ考えてみれば、人員と金という分野においては宗教団体の右に出る者はいないだろう。いくらこき使っても文句を言わない人海戦術に、その信者からかき集めた有り余るほどの金。これらの全てを動員すれば、大企業相手でも十分優位に戦える。

 要するに、割に合わないというやつだ。よほど世間の関心が高くない限り、マスコミというやつは宗教には手を出さない。

 ではなぜ、大手には程遠い四流出版社に勤める俺がわざわざ業界のタブーを犯そうとしているのか。それについては──四流だからこその事情がある。まあ、なんだ。簡単に言うなら“ネタ切れ”というやつだ。


 一般的に世間でオカルトブームが巻き起こった期間は七十年代から九十年代にかけてだ。当時はノストラダムスの大予言やら、UFOブームが重なり、かなり会社も儲かっていたらしい。実際、その頃に少年期を過ごしていた俺から見ても、当時の人々はオカルトという概念に熱狂していた。心霊写真、宇宙人、UMA、都市伝説──今となっては馬鹿馬鹿しいと一蹴りされてしまう者たちが、若者にとってのムーブメントだったのだ。

 しかし、二十一世紀に入ると、途端にそのブームは終わってしまった。結局、アンゴルモアが地球に襲来することはなかったことから人々はオカルトに冷めてしまったのか、それともただ単に飽きが来てしまったのか、技術の発展に幽霊が追い付かなかったのか。真相は定かではないが、徐々に勢いは落ちていく。結局、Jホラーブームの終焉と共に、界隈も息を止めた。近年では見る影もない。


 つまり、どこもかしくもオカルト業界はネタに飢えているのだ。何か使えるネタはないかと血眼になって探している。そこで目を付けたのが──禁忌として扱われている宗教、カルトというわけだ。節操がないというか、必死というか。ある意味、感心する。

 ということで、俺はこれから宗教団体「天国の扉」へと三泊四日の体験研修に向かっている。まあ、俺自身も過去にフリーライターの時期に何度かこの手の潜入取材を経験したことはあるし、カルトに関しても個人的な非常に興味があることから、そこまでの嫌悪感はない。むしろ、少し楽しみだと思っている節さえある。


「……天国の扉、ねぇ」


 再度、鞄の中に収納していたパンフレットを広げる。

 宗教法人──天国の扉。十年ほど前に設立され、現在の信者数は合計二百人弱。神道系に、ちょいと過激な終末論を加えた信仰を基本としている。少し変わった特徴として、この団体は信者たちが集って集団生活をしているという点が挙げられる。片田舎に移住して、老若男女関係なく一つのコミュニティを形成して暮らしているのだ。

 まんま世間が浮かべるカルト団体のような光景だが、ここまで直球なのは珍しい。数人程度ならともかく、百人を超えるともなると、世界的に見てもあまり例を見ない。だからこそ、編集長もこの団体に目を付けたのだと言える。確かに、なかなか興味深いやつらだ。

 一見すると、パンフレットには様々な年代の者たちが楽しそうに自給自足の生活を送る様子が写されているが、よくよく文章を読み込むと、彼らの信仰の異常性を察することができる。


『私たち人類はかつて同じ血を分けた“きょうだい”でした。ですが、文明が発達するにつれて、そのきょうだいの縁は途切れてしまったのです』


『私たちの真のお父さまとお母さまは天の国の住人です。再び、天の国の扉を開け、人類を救済することが、私たちの最終的な目標であり、成すべきことなのです。そのため、我々は教団による寄付を非常に歓迎しています。実際に、この“天使の故郷”に移住した方々は全財産を教団に寄付しています』


 カルトの定義は国によって異なるが、これだけ献金を勧めて集金に必死なところを見ると、十中八九、悪質な宗教団体とみていいだろう。しかし。この手のカルトってのはどうして『平和』だの『幸福』だの『救済』だのを謳い文句にしているのだろうか。あまりにきれいごとを並べすぎて、逆に怪しいことになっているとは思わないのか。

 いや──それだけ洗脳、マインドコントロールは恐ろしいということか。客観視できるほどの判断力すらも奪われている。そのような集団の元へと今から赴くことを考えると、ほんの少しだけ不安を覚える。


「……ふう」


 急に喉が渇き、ペットボトルに入ったお茶を飲み干す。

 とは言ってもだ。さすがに、身に危険が及ぶなんてことは考えすぎか。現代社会においてはたとえカルトでも、部外者に対して暴力という行為にまで発展することはまずない。彼らにも社会的な立場がある。宗教法人という国から与えられた特権を自ら捨てるほど愚かではないのだ。

 時計を確認すると、目的地の駅に到着するまであと五分を切っていた。そろそろ、降りる準備でもしておくか。隣の空席に畳んでいたジャンパーを羽織りながら、俺は案内役の天国の扉の使いの者の顔を想像し、冬の曇り空を眺めていた。

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