第3話:喧嘩
メストン王国暦385年3月25日:アリギエーリ侯爵領・領境の砦
私は王都屋敷に戻ると直ぐに王都を引き払うように命じました。
元々王家が裏切ったら何時でも逃げられるようにしていました。
武官の騎士や徒士だけでなく、文官や従官の軍馬乗馬も用意してあります。
ものの数時間で王都屋敷は掃き清められました
価値のある物は荷馬車に乗せて領地にまで運ぶのです。
邪魔になる物は、出入りの商家に屋敷の管理を任せて置いて行きます。
完全に王家と対立する場合は商家に下げ渡します。
王家との話し合いが上手く行き、我が家の面目が立つのなら、時間をかけて売れるものは売る事になります。
ただ、王家と和解できたとしても、もう2度と我が一族がメストン王国の王都に住むことはありません。
人質として王都に住まされる屈辱は懲り懲りです。
私は急ぐ心をなだめて無理のない速さで領地に向かいました。
戦闘向きではない文官や、若い女性が多い侍女などの従官もいるからです。
彼らを見捨てる気もなければ、無理をさせる気もありません。
追手が来るのなら正々堂々と戦うだけです。
メストン王国は、王家が治めるあたり以外は極端に土地が痩せています。
ですから、面積当たりの収穫量がとても少ないのです。
だから、総人口100万人の割には領地が広いです。
特に我が家のある南部は、険峻なカーショウ山脈が東西に長く横たわっています。
ほぼ岩石でできているので、良質な建材として切り出す事はできますが、耕作をしようとすると厳しい土地です。
僅かな耕作地に農村があり、農村を守る要衝に地方貴族の居城があります。
そんな南部の地方貴族は、自領で採れる農作物だけでは増えるよう民を養えず、王家直轄領から穀物を輸入しています。
圧倒的に不利な立場で穀物を輸入するとなると、不当な高値を要求されます。
そんな事の無いように、我が家の寄子になっているのです。
2日で王家の勢力圏を抜け、3日目以降は我が家の寄子の城砦で眠る事ができたので、比較的安心できました。
6日目にようやく我が家直轄の軍城にたどり着く事ができました。
「従官は、私の専属以外は領都を目指しなさい。
文官は、ここに残って王家との交渉に当たりなさい。
武官は、私に付き従う者とここに残る者に分けます」
私の指示に従って家臣と使用人が動きます。
王都家宰と軍城の代官が話し合い、私に付き従う武官と城に残る武官を振り分けるのですが、私に付き従う事を志願する者が多くてうれしかったです。
「私に付き従うのは騎兵に限ります。
騎士である必要はありませんが、乗馬ができる者にしなさい。
戦うにしても逃げるにしても、早さが命運を分けます」
海に特化している我が家ですが、乗馬を疎かにしている訳ではありません。
特に王都とカーショウ山脈の北側に派遣される者は、私のような人質同然の主筋を護りながら逃げる可能性があるので、武術と魔術と乗馬術が求められてきました。
王家に臣従する前の我が家は、交易で10万人の民を養えるだけの利益がありましたが、今では200万人を養えるだけの利益があります。
ですが、王家と戦うためだからと言って、忠誠心も何もない人を集めても何の意味がありません。
それに、いきなり20倍の利益が手に入るようになったわけではありません。
150年の間に、徐々に利益が増えてきたのです。
それに、それだけの利益を上げるためには、本拠地だけに人や資金を集めておくわけにはいかなかったのです。
海洋国の港に、拠点となる商会を置かなければいけません。
港を持つ国や領主に対抗するためには、ある程度の兵力を置く必要もあります。
何より大型武装交易船を動かすには、最低でも100人の船員が必要です。
100の拠点に必要な人員は1万人。
2000隻の武装交易船に必要な船員が20万人。
彼らの家族、特に妻子が狭く急峻な我が家の本拠地に住んでいるのです。
その人口、何と80万人にも及ぶのです。
領都に残っている、戦える若い男の数が極端に少ないので、メストン王国に侵攻して攻め滅ぼす戦いはできませんが、王国軍を迎え討つ防衛戦なら絶対に負けません。
その数少ない、戦える若い男は、王都かカーショウ山脈の北側にある軍城に派遣させられていて、私の命令を待っています。
鍛え抜かれた精強無比の騎士300を率いてアリギエーリ侯爵領に向かいました。
万が一のことを考え、それぞれ2頭の替え馬を用意しています。
正規の騎士は普通の時も正副2頭の軍馬を用意しています。
それに加えて2頭の替え馬を貸与したのです。
私や侍女が乗る馬車も、万が一のことを考えて2頭立てを8頭立てにしています。
今度は王都から逃げ出した時ほど急いでいる訳ではありません。
ただ、何時王国軍や西部貴族に襲われるか分かりません。
周囲に気をつけて、ゆっくり5日かけてアリギエーリ侯爵領に辿り着きました。
「エレナ嬢、随分と勇ましい出で立ちで軍勢を率いておられるが、まさか我が家に戦争でも仕掛ける気かな?」
私達がアリギエーリ侯爵領に向かっている事を、西部貴族達から送られた急使達に教えられたのでしょう。
アリギエーリ侯爵領東側を守る砦に、侯爵当人が詰めていました。
私は彼が待ち構えている事を魔術を使って確認していたので、接近する前に馬車を降りて軍馬に乗り換えていたのです。
「あら、何をとぼけた事を言っておられるのですか?
先に喧嘩を売って来たのは貴男ではありませんか。
私は売られた喧嘩を買っただけですわ」
「言い掛かりは止めてくれ、エレナ嬢。
ダンテ王子の愚かな言動は知っている。
エレナ嬢が怒るのも当然だと思っている。
だがそれと我が家は何の関係もない」
「あら、侯爵閣下ともあろう御方が、恥知らずな言い訳をされる事」
「エレナ嬢、私は貴女に同情していたし、王家との交渉では助太刀しようと思っていたのだが、そのような言い掛かりをつけるのなら敵の回るぞ」
「あら、あら、あら、最初から敵ではありませんか。
今更傀儡の出来が悪すぎたからと言って、言い逃れは見苦しいですわよ」
「……これ以上言い掛かりをつけるなら、私も覚悟を決めなければいけないが、それでも構わないのだな?!」
「恥知らずな!
私はとうの昔に、貴男の首を取って恥を注ぐ覚悟です!」
「いったい何を言っているのだ?!
私には何の覚えもないぞ!?」
「恥知らずにも程がありますね。
ダンテを誘惑したヴィオラは、貴男の寄子であるコクラン男爵家の令嬢。
貴男が命じてやらせたのでしょう!」
「言い掛かりは止めろ、あれはヴィオラが勝手にやった事だ!
寄親だからといって、寄子のやった事の責任はとれん!」
「勝手にやった事?
よくそんな大嘘が付けますね。
ミルヴァートン伯爵家のクレオパトラにもダンテを誘惑させましたよね?
……子爵家の……嬢もダンテを誘惑していますよね?
……男爵家の……嬢はどうなのです?
……ダンテを誘惑した令嬢の全てが侯爵の寄子ですわ。
これでよく黒幕ではないと言い切れましたわね。
恥を知りなさい、恥を!」
「うっ、うぅうぅうぅうぅ。
知らなかったのだ、知っていれば厳しく叱責した」
「証拠を口にされてもまだ言い逃れしようとするのですか?!」
「言い逃れではない!
本当に知らなかったのだ!」
「軍事と外交のアリギエーリとまで言われた侯爵家の当主が、寄子の多くがダンテを誘惑していた事を知らなかった?
そのような噓八百が通用すると本気で思っているのですか?!
敗死も覚悟して、名誉のために貴男に決闘を申し込みに来た私を、そこまで愚弄するとは、貴男には貴族も騎士も名乗る資格はなりません!
さっさと馬から降りて兜を脱ぎなさい!」
「ぐぅっ!
言い訳にしか聞こえないだろうが、本当に知らなったのだ……」
「みっともないにも程がありますわね。
この期に及んでまだ言い訳をするなんて、恥知らずの極みですね。
ですが、騎士を名乗る資格のない屑でも、決闘で倒さなければ私の名誉が汚されたままになってしまいます」
私はそう言うと、馬を進めてアリギエーリ侯爵に馬を進めました。
打ちひしがれた状態の侯爵はもちろん、護衛騎士達も私を遮りません。
そんな事をしたら、恥の上乗りになるだけですからね。
「まて、まってくれ、エレナ嬢を相手に決闘などできない……」
そうでしょうね、ここで決闘を受けたとしても、どうしようもありません。
勝って私を殺したりしたら、それこそ全ての黒幕は自分だと証明したようなもの。
負ければ、それでなくても地に落ちてしまった名声を再起不能にしてしまいます。
やれる事があるとしたら、密かに交渉して私に決闘を諦めさせるくらいです。
ですが、私に決闘を諦める気はありません。
我が家がアリギエーリ侯爵家の上に立つ、絶好の機会を見逃す気はありません。
それに、知らなかったと言って許される事ではありません。
寄親には寄子を守る責任と義務があります。
同時に、寄子が勝手をしないように厳しく見張る責任と義務もあるのです。
特にレイヴンズワース王国と国境を接しているアリギエーリ侯爵家には、寄子が勝手にレイヴンズワース王国と争わないように見張る責任があるのです。
他にもレイヴンズワース王国に寝返る事のないように見張る義務があります。
万が一寝返る気配があったら、即座に討伐する重大な責任があるのです。
それくらい目を皿のようにして寄子を見張っていなければいけないのです。
知りませんでしたなんて言い訳、絶対に通用させる訳にはいかないのです!
外交のアリギエーリと自慢するのなら、我が家が独立を望んでいた事や、4侯爵家の微妙な力関係を考えて、寄子の統制を強めなければいけなかった。
現に私は、常に王家だけでなく3侯爵家の動向も詳細に調べさせていました。
寄親の3侯爵家だけでなく、我が家の寄子も含めた全貴族に密偵を送り込み、できるだけ早く情報を集める努力を重ねているのです。
バッチーン!
「私、マリーニ侯爵家の長女エレナは、アリギエーリ侯爵家の当主ペドロリーノに1対1の決闘を申し込みます。
正々堂々と戦いなさい!」
「「「「「ウォオオオオオ!」」」」」
私が率いてきたマリーニ侯爵家の騎士達が大歓声をあげて応援してくれます。
アリギエーリ侯爵家の騎士や兵士は、まるで葬式のように静まり返っています。
当主のペドロリーノ自身が何の抵抗もできずに、私に白手袋を叩きつけられているのですから、彼らの意気が上がらないのは当然です。
アリギエーリ侯爵の無能無責任に対する復讐はこれくらいにしておいてあげます。
能力の無さは本人の責任ではありません。
ただ、無能ならば無能らしく、有能な側近を取立てて、不足を補う責任と義務が貴族にはあるのです。
それなのに、無能なのに有能だと思い込んでいるのですから、少しは痛い思いをさせて自覚させなければ、国境の護りに不安が残ってしまいます。
「では、明日決闘を行いますので、ご用意願いますね」
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