第2話:国王サイド:周章狼狽
メストン王国暦385年3月11日:王城・国王執務室
「ダンテは北の塔に幽閉しろ!
食べ物も飲み物も一切与えるな!
3日くらい飲まず食わずでも死にはせん!
王子の地位をひけらかして要求しても絶対に応じるな!
ダンテの王位継承権は剥奪する!」
「はっ!」
情けない、情けなさ過ぎて涙も出ない。
このままベッドに倒れ込んで寝込めたらどれほど楽か。
「陛下、ルイージと財務大臣、ヴィオラとコクラン男爵の処分がまだです」
「少しくらい哀しみに浸らせてくれもいいのではないか?」
祖父、父、余と3代の王に仕えるアントニオは厳し過ぎる。
余がダンテを厳しく教育してきたのは、アントニオも分かっているだろう?
その努力が何1つ実を結んでいなかったのが、社交界に広がったのだぞ!
余の無能と、ダンテの愚かさが国中に広がったのだぞ!
少しくらい落ち込む時間をくれ!
王妃を亡くした後、王位継承で争う事の無いように妃を立てず、公妾や愛人だけで我慢してきた余を、少しくらい労わってくれてもいいだろう!
「陛下のお気持ちも分からなくはありませんが、事は急を要します。
ルイージとヴィオラは殿下の護衛騎士だった者達が確保しておりますが、財務大臣とコクラン男爵は、王城から逃げ出したとの報告がありました」
「宰相、何をやっていたのだ?!」
「陛下がマリーニ侯爵家を潰す可能性もございました。
今回の件も、陛下が密かにダンテ殿下に指示されていた可能性もありえました。
臣が勝手なマネをするわけには参りませんので、ご指示をお待ちしておりました」
「アントニオ!
余がそのような卑怯者だと思っていたのか?!」
「卑怯者だとは思っていませんが、王ならば時に非道を行わなければいけない場合もございます。
陛下がそのような決断をなさらないとは言い切れませんので」
「余がそのような命令を下したらどうする気だ?」
「私には陛下をお支えする事ができませんので、隠居させていただきます」
「死ぬまで扱き使ってやる心算だから、非道なマネはせん。
冗談は置いておいて、お前の目をかいくぐって逃げたのか?」
「はい、随分と前から逃げる準備をしていたようです。
それは今回の件には関係なく、不正の露見を恐れていたようです」
「国費を横領していたのか?!」
「明確な横領ではありません。
それならば私がとうの昔に処罰しおります。
許される幅で国費の執行先を選び、賄賂を受け取っていたのです」
「姑息なマネを!
関係した者を全て捕らえて極刑にせよ」
「はっ、承りました」
余とアントニオの会話を聞いていた侍従の1人が急いで出て行った。
近衛騎士団長に伝えて、佞臣共を捕らえるのだ。
「アリギエーリ侯爵に、絶対に2人を逃がすなと急使を送れ」
「その件に関しましては、既に宰相命令で急使を送っていますが、改めて陛下の命令で急使を送らせていただきます」
アントニオの目配せでまた1人侍従が出て行った。
「先ほどの言葉と実際にやっている事が、全然違うではないか?
余が非道を行うかもしれないと疑っていたのだろう?
だから何もやっていなかったのだろう?」
「陛下の命令ではなく、他国の手が入っている可能性もございましたので、上意討ちではなく、宰相による捕縛命令に止めておきました。
我が国から逃げ出すには、アリギエーリ侯爵領を通る陸路か、マリーニ侯爵家の港を使うしかありません。
今回の件でマリーニ侯爵家を利用する事はできなくなりましたので、アリギエーリ侯爵領の関所を封鎖するだけで十分でした」
「マリーニ侯爵家か……元々は独立国だったのだ。
穀物が取れず、長期籠城が不利なのと、民を戦争に巻き込まないために、王家に恭順してくれた誇り高き者達だ」
「150年前と今では状況が全く違います。
マリーニ侯爵家の所有する大型武装交易船は、当時の10倍を越えております。
多くの国の港に拠点を持ち、穀物の確保と輸送に何の問題もありません。
王家が無法に襲い掛かるのに備えて、兵糧を10年分は備蓄していると聞きます」
「王家がマリーニ侯爵家を襲うだと?!
ダンテの大馬鹿でもあるまいに、そんな勝算の無い戦争を誰が始める?!
あの険しい、万年雪の積もるカーショウ山脈を越える道は1本しかないのだぞ。
しかもその道には堅固な城や砦が数多くあるのだ。
150年前も兵糧攻めしか勝つ方法がなかったのだ。
兵糧の心配もない今では、全く勝ち目などない」
「陛下が真っ当な戦略眼をお持ちで助かりました。
では、マリーニ侯爵家が王国から離脱して独立を宣言しても、追討軍を差し向けられないのですね?」
「当たりまえだ、そんな事をしたらマリーニ侯爵家に負けるだけではすまない。
他の3侯爵家も王家を見捨てて独立を宣言するだろう。
それどころか、西方のレイヴンズワース王国が攻め込んで来るわ!」
「的確なご判断、恐れ入りました」
「馬鹿にしているのか?
この程度の事、王侯貴族なら3歳児でも理解しておるわ」
「ダンテ殿下はご理解してくださっていなかったようですが?」
「もうあの者の事は申すな。
あ奴の首はマリーニ侯爵家とエレナ嬢への詫びに差し出す」
「あのような、恥知らずな憶病者の首1つで、この絶好の機会をマリーニ侯爵家が見逃すと思っておられるのですか?」
「あのような者でも、余にとっては血を分けた子供なのだ。
つい先ほどまでは、心から愛していたのだ。
いや、これほどの愚行を行っても、まだ愛しているのだ。
今は亡きカルメンが生んでくれた長男なのだぞ。
許されない事をしたのは分かっているが、悪し様に言うのは止めてくれ。
それに、どれほど詫びようとも、マリーニ侯爵家が我が国から離脱して独立を宣言するのは防げんよ」
「しかしそう簡単にマリーニ侯爵家の独立を認める訳にはまいりません。
マリーニ侯爵家が敵対的な独立をしてしまったら、他国との窓口が、レイヴンズワース王国と領地を接するアリギエーリ侯爵家だけになってしまいます。
4大侯爵家が3大侯爵家になるだけでは済まず、アリギエーリ侯爵家だけが突出した力を持つ事になります」
「そうだな、アリギエーリ侯爵が何時王家に成り代わろうとするかもしれない。
レイヴンズワース王国も全ての輸出入品に法外な値段をつけるだろう。
アリギエーリ侯爵が、レイヴンズワース王国に備える国防費用が必要だと言って、関税を引き上げても咎められなくなる」
「王家と正面から戦うのではなく、対等の独立国として同盟を持ちかけて来る可能性もございますぞ」
「そうなれば、他の2侯爵家も独立を宣言して対等の同盟を要求してくるだろう。
彼らも元は独立した王家だったのだ。
ダンテの仕出かした不始末の所為で、王家にはそれを拒むだけの力がない。
内戦を起こせば互いに消耗した後でレイヴンズワース王国に攻め滅ぼされる。
ダンテの愚かな言動の所為で、王家は絶体絶命の窮地に立たされてしまった」
「そこまで分かっておられるのなら、陛下がなさるべき事はお分かりでしょう?」
「分かっている、マリーニ侯爵の所に行って、床に頭をつけてでも王国に残ってもらえるように詫びて来る」
「落としどころは分かっておられますか?」
「どれほど詫びても王国に残ってもらえない時は、独立戴冠は仕方がないが、対等の同盟を結べというのだな?
敵対だけはしないように頼み込めばいいのだな?」
「はい、その通りでございます。
陛下に無理難題をお願いしている事は重々承知しておりますが、王国100万の民の命がかかっているのです」
「分かっている、この頭を下げて民の命が助かるのなら安いモノだ」
「あの宰相閣下、ルイージとヴィオラをどういたしましょう?
今はまだ騎士団管理の牢に放り込んでありますが、首を刎ねてマリーニ侯爵の所に持っていかれますか?」
国の命運についてアントニオと話している間に、元凶の処遇を忘れていた。
侍従の言うように、首を刎ねて手土産にした方が良いのか?
「陛下、まだ間に合うかもしれません」
「何が間に合うのだ?」
「事の重大さに、エレナ嬢が陛下に突きつけた言葉を考えていませんでした」
「エレナ嬢が余に突きつけた言葉だと?
……宣戦布告としか思えない言葉だったぞ?」
「確かに最後の方だけを考えれば、そう受け取るしかありません。
しかしながら、不遜ではありますが、陛下を試すような事も言っていました。
何より、ダンテ王子に決闘を申し込んでいます。
これは、陛下の対応次第では王国に残ってもいいという、エレナ嬢のメッセージかもしれません」
「細く頼りない希望ではあるが、全く望みがないわけではないのだな。
分かった、まずは余の誠意を見せねばならぬ。
最初に王都屋敷にいるエレナ嬢に頭を下げる。
その後で、マリーニ侯爵領に行ってディーノに頭を下げて来る」
マリーニ侯爵ディーノ、豪放磊落で、絵に描いたような海の男。
彼ならば、誠心誠意頭を下げたら、許してくれるかもしれない。
手土産は……ダンテ以下の連中を生きたまま引き渡そう。
エレナ嬢が決闘を申し込んでいるのに、こちらが勝手に処刑してしまったら、名誉を挽回する機会を奪われたと、火に油を注ぐ事になりかねない。
ただ、あのような屑の命だけで詫びにはならない。
王妃になれなかった損害を補填しなければならない。
それでなくても、マリーニ侯爵だけは王家と縁を結ぼうとして来なかったのだ。
他の3大侯爵家とは根本的に考え方が違うのだ。
エレナ嬢とダンテの婚約も、大臣達が何度も頭を下げてお願いして、ようやく認めてもらえたというのに、ダンテが身勝手な言動で反故にしたのだ。
いや、単に反故にしたのではなく、絶対に許されない大恥をかかせたのだ。
エレナ嬢も名誉を穢し、マリーニ侯爵の誇りを泥まみれにしたのだ。
よほどの賠償をしなければ詫びにもならない。
「アントニオ、王家の金銀財宝を全て差し出せば許してくるだろうか?」
「金で詫びるのは悪手でございます。
王侯貴族の誇りは金などでは買えませんぞ」
「分かっているが、他に詫びようなどないぞ?」
「ダンテ王子に与えられていた直轄領をお渡しされるのです。
この件に陛下が係わっておられないのなら、王家の私財を渡すのではなく、ダンテ王子の物を全て差し出して詫びとすべきです」
「……一部とはいえ、王家の生命線である穀倉地帯を割譲しなければいけないのか」
「だからこそ詫びになり、王家の誠意を見せる事ができます。
わずかな賠償をケチられると、王家そのものを滅ぼした愚かな王として、歴史に名を残す事になりますぞ」
「分かった、ダンテに与えていたモノは全てエレナ嬢に引き渡す。
財務大臣シルキン宮中伯、コクラン男爵家の私財も全て引き渡す。
それと、余が頭を下げる事で怒りを納めてもらう」
「至急だ、陛下に至急の知らせだ、そこを開けろ!」
扉の外からマリーニ侯爵屋敷を見張るように命じていた騎士の声が聞こえてきた!
背筋が凍り、心臓が早鐘のように打ち始めた。
「非常時だ、礼儀作法に拘るな!
直ぐに余の前に案内せよ!」
よほど急いで報告に来たのだろう。
騎士の息が激しく音を立てている。
「陛下、エレナ嬢が、家臣使用人を引き連れて、領地に戻ってしまわれました!」
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