ぐ(っど)ちゃ(っと)ぐ(っど)ちゃ(っと)
十坂真黑
ぐ(っど)ちゃ(っと)ぐ(っど)ちゃ(っと)
『お、ぐちゃぐちゃ。ヒヨシ、数学の宿題終わった?』
『ぐちゃぐちゃ』お決まりの挨拶をタケハシと交わし、僕は自分の席についた。
『宿題? まだに決まってるじゃん、塾の課題で手一杯なんだから』
『だよなー、おれも。誰か終わってるやついんのかな』
タケハシはくすぐったそうに笑った。
『先生も少しは配慮してほしいよね、僕ら受験生なのにさ』
と、突然誰かが机を蹴った。翻る制服のスカート。
ヌクイさんだった。
『みんな、よくこんなこと続けてられるね! 虚しいと思わないの!?』
突然悲鳴のように張り上げた彼女の声に、教室のあちこちから失笑が漏れる。
『受験ノイローゼ?』
くすくす笑う女子たち。
『誰か私と一緒に来る人いない?』
ヌクイさんは同志を探すように辺りを見回す。
『いや……どうすんだよ。おれら受験があるじゃん』
タケハシが呆れたように呟く。
動く者がいないことに腹を立てたのか、ヌクイさんは怒りで顔を真っ赤に染め、大股で教室を出ていってしまった。
『あーあ。あれじゃヌクイ、終わりだな』
誰かが冷ややかに言った。
ヌクイさんがいなくても、今日もつつがなく授業が終わった。
動かない雲。
この世界は何もかもが停滞している。
足元の小石を蹴飛ばしながら、僕は帰路についていた。
閑静な住宅地に、突如女の子の悲鳴が響く。
『離れなさいよ! このクソロボどもめ』
見ると、今朝教室を飛び出したヌクイさんが、数台の警備ロボットに囲まれていた。
通行人の姿はあるけれど、彼女に手を差し伸べようとする者はいない。
警備ロボに追われている彼女は、この世界にとって異分子となったことを知っているからだ。
『このっ、クソロボットめ! クソが!』
ヌクイさんは勇ましく警備ロボを蹴り上げる。けれど警備ロボットたちは、圧倒的な数の暴力で彼女を抑え込もうとする。
――戦争やあらゆる悲劇が起こるのは、どこかしらの均衡が崩れてしまうからだ。
人類は平和を保つための努力を怠ったため、21世紀以前までたくさんの悲劇を繰り返してきた。
世紀が変わり、人類は学習した。
人口比率や男女比、ありとあらゆる世界のバランスを見直しし、それらの最適の状況を把握する。
更に争いが起こらない絶妙な均衡を維持し、永続させれば、二度と悲劇の時代は訪れない。
この世界の平常を保つこと。
それこそが、この世界から争いをなくす唯一の方法だった。
変化は革命と同義だ。変化を求めるものは、社会に混沌を生み出す者として処分される。
『離せってばあ……!』
この停滞こそ、社会を循環させるために必要なのだ。
反逆者を捕らえて処分するのは、警備員の役割を与えられた警備ロボットの役目。
この世界は数百年前から時が止まったように変わらない。
細胞の老化を抑える技術が開発され、人々は歳を取ることがなくなった。
僕らは毎日同じものを同じ量食べ、昨日とほぼ変わらない会話を交わし、狂いのないルーティンを繰り返している。
日常が変わることは許されない。
だから僕は永久に受験生だ。たとえ、永遠に受験当日が訪れないとしても。
どうやら受験生にだってそれなりに需要があって、一定数この世界にいなくてはいけないらしい。
僕らは与えられた役割を過不足なくこなさなくてはならない。
『ぐちゃぐちゃ』。
その由来は、「グッドチャット」、万能チャットを介するコミュニケーションに関連した言葉だ。
これをそのまま略した『グチャ』だけでは挨拶としてなんとなく寂しいので、誰が言い出したのかは分からないがふたつ連ねるようになった、という経緯がある。
この『不変』の制度が定着し、何百年もの年月が経過した。
かつては存在した、言語の壁も問題にならない。
万能チャットは優秀だ。相手の意識に齟齬なく自分のイメージを伝えることができる。
現在では、全人類が万能チャットという、脳内チャットシステムでの会話を推奨されている。
万能チャットでのコミュニケーションは、”管理するもの”に常に監視されているから、普段とは大幅に異なる言動をした人間の前には警備ロボットが現れる。
この世界では、世の中を変えようと奮い立つ人は反逆者。
そんな人間とは巻き込まれないよう距離を置くべきだ。
……なのに、どうしてだろう。
「ヒヨ、シ。なんで、」
初めて聞く彼女の肉声だった。
あまりにも長い年月、この世界で動きを止めていたから。
動きのない水はいずれ腐る。
僕もそろそろヤキが回ったのかもしれない。
「行こうぜ、いい加減変わり映えのない世界にも飽き飽きしてたんだ」
そう嘯いて、僕は彼女の手を引いて走り出した。
ぐ(っど)ちゃ(っと)ぐ(っど)ちゃ(っと) 十坂真黑 @marakon
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