第一束 紫陽花と約束
小さな少年。
來栖
もう空も暗くなった頃、光輝はギィギィとブランコを漕いでいる。
涙が流れたであろう跡を頬に残して、光輝は顔を暗くしていた。
「どうしたんですか?小さなお客様。こんな暗い時間にこんなところにいてはいけませんよ」
光輝は女の人に話しかけられる。
その人は深黒の長い髪をふわふわと漂わせていた。
目は碧眼、白いワイシャツにくるぶしまでの黒いジーパンを履いた女性。
『きれいな人…』
光輝が抱いた宵への第一印象はその一言だった。
「お姉さん、お母さんと喧嘩したらどうしたらいいの?」
そう自然と口から出た。
本当は「迷って家に帰れない」というつもりだったのに…
光輝は質問に質問で返してしまった。
お姉さんは「うーん」と言いながら、答えてくれる。
「そうだなぁ…私はけんかすることなかったから。うーん、もし五百円持ってたらなんとかなるんだけど。持ってる?」
五百円玉を光輝は持っていた。
今日の朝、お母さんが持たせてくれたもの。
お小遣い。そう言ってお母さんはくれた。
その後、光輝とお母さんは喧嘩したのだ。
「持ってるよ。持ってるけど、なんで五百円?」
そう聞いた光輝にお姉さんは言う。
「私のお店に連れて行ってあげる。そしたら、きっと悩みもスッキリするよ。大丈夫、普通の花屋さんだよ」
光輝はお姉さんに付いて行った。
そこにはまだ小学生の光輝には読めない漢字の看板がある。
お姉さんは光輝に言った。
「ここが私のお店『星朧』お花屋さんだよ。私は花束を作りながら悩みを聞いてるの。少し待っててね、準備してくる」
そう言ってお姉さんはお店に入って行く。
少しして出てきたお姉さんはエプロンをして出てきた。
「いらっしゃいませ、お客様。
当店は五百円と悩みを持っていらっしゃる素敵なお客様しか入店できません。お客様は何にお困りですか?
星月夜の中、私とお話しませんか?」
お姉さんはそう言った。
お店の中はなんだか、落ち着く。
花屋さんなはずなのに、カウンターがあって戸棚にお茶の葉がたくさん並べてある。
そこからお姉さんは瓶を出しながら言う。
「少年の名前は?それと緑茶のホット飲める?」
そう質問するお姉さん。
光輝はお姉さんからの質問に答える。
「僕の名前は來栖 光輝だよ。お姉さんの名前は?緑茶ってなに?」
光輝からの質問にお姉さんは笑い出す。
「そうだったね…私の名前、教えてなかった。
私の名前は桜崎 宵。この店の店主だよ。緑茶はね、緑の少し苦いお茶のことね」
そう答えれくれた。
光輝は飲めるという意味を込めて、コクコクと頷く。
その姿を見たお姉さんは『Green tea』と書かれた瓶を出した。
そしてお湯を沸かしていく。
お姉さんを目で見ながら、光輝は店内をグルっと見回す。
花屋さんとお姉さんは光輝に説明していたが、このお店の中は花屋さんというレベルを超えていた。
店の中が花畑のようになっていて、見たことのない花がたくさんある。
『綺麗』という言葉しかでないほど美しい店内。
気づくとお姉さんの手には緑茶の入っている陶器を持っていた。
「お待たせしました。静岡県産の川根茶です。
甘みと渋み、苦みがほどよいお茶になっています。今日は八十度でお入れさせていただいたので、キリッとした味わいになっています。
どうぞ、お茶を飲んで心をほぐしてください」
そうお姉さんは丁寧に説明してくれる。
冬の今、温かいお茶は心に沁みたのだろう。
光輝はポツポツと言葉をこぼし始めた。
まるでお姉さんが言ったように心がほぐされたかのように…
「お姉さんに聞いて欲しいんだ。
今日の話なんだけどね、友達と喧嘩したんだ。僕からすれば、あいつが悪かった。だって、他の子をいじめたから。
見て見ぬふり?なんて僕にはできない。だから止めた。そしたらそいつが『いじめるの楽しいだろ?弱いのが悪い』って言ったんだ。
その言葉が許せなかった。だから殴ったんだ」
そこまで言うと光輝は黙り込んだ。
お姉さんは話をせかす訳でもなく、光輝に言う。
「光輝くんは正義感が強い方なんですね。いじめられていた子からしたら、救いの一手です。
そうして、お母さんと喧嘩することになったようですが、何がいけなかったんですか?」
その言葉を聞いた光輝は一口緑茶を口に含んでから言う。
言いにくい言葉をキリッとスッキリさせるかのように。
「殴ったのがよくなかったんだ。だからお母さんが学校に呼ばれて、あいつの親に謝った。僕はその時、あいつが悪いと言い張った。
それは事実だと思ってる…でも母さんは僕に言ったんだ。『謝りなさい』って。その言葉に腹が立って、僕は学校を飛び出した。そして…あの公園にいた」
その話をお姉さんは静かに聞いてくれていた。
親身に自分のことのようになって…
光輝が顔を上げると、そこには涙をこぼしているお姉さんがいた。
とても綺麗な顔で泣く宵。
その姿に驚きながらも、光輝は『美しい』と思った。
宵が泣き止む。
そして宵は話し始めた。
「いい子だね、光輝君は。
光輝君の気持ちもよく分かるよ。許せなかったんだよね…いじめた奴にお母さんが謝っているように感じたんだよね?
私もあったな…そんなこと」
その言葉に光輝は静かに首を縦に動かす。
その姿はひどく小さく見えた。
小学生だからという理由だけでは片付かない何か。
宵はその姿にも涙したのだ。
小さくとも、強く生きている。
意志がしっかりとある、いい子。
そう宵は思った。
宵は言葉をこぼす。
「光輝君、お母さんが謝った理由が分かる?」
光輝君は小さくフルフルと首を横に振った。
「そっかぁ…じゃあ私が思った理由を伝えるね。
光輝君、君のお母さんが謝ったのはね、光輝君のしたことを悪いことにしたくなかったからだよ。
君はいじめられっ子を助けた。君の一言。光輝君が言った一言がなかったら、その子はもっと傷ついていたかもしれない。でも、君は助けた。ただ、助け方が悪かったんだ。それは君も分かっている。
でも、お母さんは悪かったと思っていないはずだよ。凄く誇りに思っているはずだ。
誰にもできないことを君はやり遂げたのだから。ただ、言葉たらず。説明足らずだっただけ。
お母さんと仲直りしようか?私も手伝うから」
その宵の言葉に光輝は泣いた。
自分がしたことは悪くなかったこと。
お母さんのしてくれたことの重大さに気付いたから。
光輝は宵にコクコクと返事をして、涙を拭った。
そしてお姉さんに言う。
「花束を作ってください。お母さんに渡せるものを。感謝を伝えたいんです」
その言葉を受けて、宵は、お姉さんは答えた。
「承知いたしました。とびきりの物をお作りいたします」
そして宵は動き出す。
床や壁、天井に飾られた花を摘み取るようにとっていく。
色とりどりの花が宵の手に渡る。
優しく、愛を込めて花を触る宵の手つきは見惚れるほど『綺麗』だった。
摘み終わったのか、宵は光輝か座るカウンターの前に来る。
花を台の上に広げた。
そして、説明をしながら花束を作っていく。
「この花束のテーマは『感謝』『希望』です。
まず、母の日で有名な感謝の花言葉の有名どころであるカーネーション。そこに希望という意味のガーベラ。感謝という意味のフリージアとカモミール。そして門出やほのかな喜びという意味のスイートピー。最後に感謝の意味であるかすみ草で包んで。
出来上がりました。お客様からお母様への『感謝』でございます」
そう言ってお姉さんは光輝に花束とスマホを渡す。
「私はお茶のおかわりを。
お客様はそこのメモ用紙に書いてある住所をお母様にお伝えください」
お姉さんの言葉から、二十分がたった頃に母親はやってきた。息を切らしながら、店に入ってくる。
「いらっしゃいませ。お待ちしておりました。
小さくも大きなお客様の横でお待ちください」
お姉さんはそう母親に伝え、店奥に入っていく。
母親は光輝の姿を見つける。
そして、静かに隣に座った。
お姉さんが出てくる。
そして沈黙の場を破った。
「お待たせいたしました。静岡県産の川根茶でございます。七十度のお湯で入れたのでマイルドに味わえると思います。自分の心を優しく包んで、話してみるのはいかがでしょうか?」
お姉さんが裏に戻った時、母親は話し出そうとする。
「光輝、ごめんね…お母さん」
その母親の言葉を光輝は遮った。
「お母さん。ごめんなさい。
僕はあいつが言った『弱い方が悪い』って言葉が許せなかったんだ。弱いからっていじめられていい人なんていないと思うから…ただ、僕も止めるためと言って殴っちゃいけなかった。
だから、ごめんなさい。お母さんは僕のために謝ってくれたのに…」
光輝は最初、宵と会った時とは比べ物にならない、優しい顔をしている。
母親は黙って、泣き出した。
光輝を抱きしめて。
光輝は嬉しそうに『ありがとう』と発した。
心の底からの『感謝』。その言葉を言えるような歳ではない。
もっと母親に怒っても仕方のない歳なのだ。
それでも光輝は母親への『感謝』をしっかりと伝えた。
その事実にも母親は涙する。
「いい子ね…光輝は。
きちんとお母さんのしたことの意味を分かってくれて、『ありがとう』を言ってくれたのは凄く嬉しかったわ。
それに、自分の悪かったところをきちんと考えて…いつの間にそんなにいい子になったのかしら?
これからこんなことになった時、どうするかお母さんと帰ってからお話ししよう」
そこでお姉さんは裏から出てくる。
「お茶のお味はいかがだったでしょうか?小さくも大きなお客様?」
お姉さんは光輝に味の比較をさせる。
小学生に違いがわかるのか。
そんな疑問からお姉さんは光輝に問う。
光輝は答えた。
「お母さんが来る前に飲んだお茶はね、なんだかシュッとしててスッキリしたよ。
でもさっきのは、ほろほろしてた。優しいというか…」
そう答える光輝にお姉さんは驚く。
光輝はお茶の味を感覚として受け取っている。
それも精密に。
それはお姉さんにも難しいことだった。
味の違いは分かるとしても、雰囲気や感覚を感じるのは難しい。
それを光輝は難なくして見せた。
宵は笑う。「すごいなぁ…」そう心から思ったから。
「お姉ちゃん何笑ってるの?」
そう心からの疑問を光輝は宵に向ける。
母親も頭に疑問を抱えていた。
宵は「なんでもないよ」と誤魔化して、言葉を紡ぐ。
「光輝君。お花、渡しなよ。ちょうどいいから…
メモ用紙に花言葉もメモしてきたし、机の上に置いてあるから取っておいで」
そう言うと、宵は光輝を裏に向かわせる。
そして母親に向けて、お姉さんは言う。
「いらっしゃいませ、お客様。
当店は500円と素敵なお悩みを持っている方しか入店できません。お客様のお悩みは解決したでしょうか?
子供のように少し、寄り道をした感想を教えていただけると助かります。
寄り道のお味はいかがでしたでしょうか?」
母親は満点の子供のような笑顔をして、答えた。
「最高でした。久しぶりに寄り道するのもいいかもですね…遠回りするほど、たくさんの道が見えますし。
いい日になりました。ありがとうございました」
そうお姉さんに『感謝』する。
お姉さんはその言葉に、にこやかな美しい笑顔をした。
そのタイミングと共に、光輝がも取ってくる。
その手には綺麗にラッピングされた、キラキラと光るプレゼントがあった。
光輝はプレゼントを手に母親に近づき、メモ用紙を丁寧に読んだ。
光輝の手から母親にプレゼントが届く時。
その花は今ままでにないくらい輝く。
宵は思った。
「あぁ、『感謝』と『愛情』はこんなにも『美しい』のだ」
その後、光輝はお姉さんに問う。
「お姉さん。またここに来てもいい?他のお茶も飲んでみたいなって…」
そんな光輝の可愛いお願いにお姉さんは答える。
「いつでもお越しください。普段は普通のお花屋さんをやっておりますので、いつでもどうぞ。
「星朧」はいつでもお客様の寄り道をお手伝いします。
ただし、昼間はお茶を出しておりません。ですからお手伝いをしに来る口実でお茶を飲まれてはいかがでしょう?」
その提案に光輝は嬉しそうに笑い、母親に頼み始めた。
母親もこの店なら、と了承してくれる。
そしてこの日、「星朧」に新しい店員ができた。
「小さくも大きな店員さん」
光輝は嬉しそうにその言葉に反応するのだろう。
ただ、そうなるまでの道のりは長い。
この店は「星朧」。
お客様が寄り道するように、従業員も長い長い寄り道をする。
時間の限り、人生という名の『寄り道』を。
「星朧」本日の寄り道、終了。または続行。
第一束 紫陽花と約束 『感謝』 続行
春宵の星空の下で 天ヶ瀬羽季 @amauki_2023
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