七話

「……暖かいベッドで寝かせてあげたかったけど、ごめんね。あんなことがあったら、いつ役人に目を付けられるかわからないから」


 暗い夜道を歩きながら、隣の女がそんなことを言った。あんなことっていうのは、僕がおじさんを傷付けたことだろう。だからもうあそこにはいられなくなって、僕達は街を出た。前みたいに野宿できる場所を探しながら、こうして草原と林に囲まれた道を歩いてる。


「改めてお礼を言わせて。助けてくれて本当にありがとう。あの時ジュリオが何もしてくれなかったら、私は間違いなく殺されてたでしょうね」


 女はにこりと僕に笑いかけてきた。


「……でも本当は、助けたくなかったでしょ?」


 聞かれて僕は女を横目で見やった。


「……うん」


 これに女は苦笑いする。


「正直ね。私、嫌われちゃってるもんね」


「人殺しが好きなやつなんていない」


「ええ、その通り」


「だけど、お前はあそこで殺されちゃ駄目だった」


「どうして? あなたは私を憎んでるんじゃなかったの?」


「だからだよ。憎いし、恨んでるから、僕が自分で殺さなきゃいけないんだ」


 あの時の気持ちの迷い……あれは苦しむ女が可哀想だったからとかじゃなく、母ちゃんと父ちゃんの敵を他人にとられるわけにはいかなかったから、だから助けに行く気になった……って僕は思ってる。自分の気持ちなのに、正直今もよくわかってない。だけどそんなふうに考えないとおかしいとしか思えない。恨む女を進んで助けたいわけがないんだ。僕は女が目の前で殺されて悔しい思いをしたくなかったんだ。後悔したくなかったから助けた。きっと、そういう気持ちが僕を動かしたんだ。


「お前は、誰にも殺されちゃ駄目だからな。僕がいつか、自分で殺すんだから」


 だから、それまでこいつには生きててもらわないと。こっちの準備ができるまでは。


「助けてくれて嬉しかったのに、やっぱり私のことは殺したいのか……何か複雑ね。でもとにかく、助けてくれたことはありがとうって言っておくわ。あなたは命の恩人よ」


「次も助けるかは、わかんないからな。僕の気が、変わるかもしれないし……」


「そうね。気を付けるわ」


 女は笑ってる。何でこんな恥ずかしくなってるんだろう、僕は……。


 静かな夜道を歩き進んでると、女があそこで野宿しようと林の中へ入った。一本の大きな木の前には広い空間があって、地面には枝や草が焼け焦げた跡があった。他の誰かもここで野宿をしてたのかもしれない。女は辺りから枝を集めてくると、慣れた手つきで火を起こした。手元が明るくなって温かくなる。僕は焚き火の側に座って疲れた身体を休めた。やっと安心できる……。


「お腹空いたでしょ? 今はこれしかないけど食べて」


 そう言って女は携帯食の干し肉を差し出した。貰うのは何だか嫌だけど、お腹は確かに空いてるし……我慢しても仕方ない。僕は素直に干し肉を受け取った。ガブッと噛んで食べると、肉の美味しい味が口中に広がった。と同時に、僕のお腹がギュルルと鳴った。それを聞いた女は焚き火を挟んだ向かいで笑った。……な、鳴ったっていいだろ。お腹空いてたんだから。


「あの男にはちゃんとご飯、貰ってたの?」


 女は地面に座ると膝を抱える姿勢で聞いてきた。


「うん。量は少なめだったけど」


「何日も一体どこにいたの? 男の家?」


「違う。空き地にある物置小屋の中」


「物置小屋に? そこでずっと過ごしてたわけ?」


「そう。閉じ込められてた。鍵かけられて……だから、逃げてきたんだ」


 本当、上手く逃げられてよかった。失敗してたら今もあそこにいたんだと思うとゾッとする。


「そうだったの……思った通りあの男も、やっぱりお金が目的だったのね」


 お金――それを聞いて僕は確かめなきゃいけないことを思い出した。僕がかかってるっていう病気について、この女に聞いてみたい……。


「……あのさ」


「何?」


 パチパチと音を立てる焚き火越しに女がこっちを見る。それを見返して僕は聞いた。


「僕が病気だって、知ってて一緒にいるんだよね」


 これに女の目がちょっとだけ大きく開いた。


「……病気のこと、知ってたの?」


「物置小屋でおじさんに聞いた。僕は、大人になれない、死ぬ病気だって……」


「………」


「しかも、身体が金に変わっちゃうんでしょ? それって本当なんだよね? だからおじさんは僕を逃がさないように閉じ込めて――」


「金になったあなたを使って、お金儲けをするつもりだったんでしょうね」


 女は真っすぐこっちを見てた。やっぱり、こいつも病気のこと、知ってたんだな。


「知っちゃったんじゃ、教えないわけにはいかないわね、病気のこと」


 女は足を伸ばして組むと、真面目な顔になって言う。


「あなたがかかってる病気の名前は、エルデバ病っていってね、世間じゃ成金病とか、富豪病なんて呼ばれるほうが多いわ」


「エルデバ病……?」


 初めて聞く病気だ。母ちゃんと父ちゃんにも聞かされたことがない。


「これは赤ちゃんがお母さんのお腹の中にいる時にだけかかる病気で、誰かにうつることはないわ」


「おじさんも、そんなこと言ってた。それと病気にかかった証拠が、このアザだって……」


 僕は首のスカーフの上から喉にあるアザに触った。生まれた時からある、十字形のアザ。


「ええ。エルデバ病にかかった子には、喉元に必ず十字形の青いアザがあるの。だから病気かどうかはそれで判明する」


 そうか。だから初めておじさんと会った時、僕のアザをじっと見てきたのか。変な人だと思ったけど、あれはエルデバ病にかかってるか確かめてたんだ。


「これは多くの人が知ってる病気だけど、数としては少なくて、珍しい病気と言えるわ。だから産んだ母親が我が子にアザを見つけた時の衝撃は、言い表しようがないほどのどん底に突き落とされるの……」


「死んじゃう病気だから……?」


 女は小さく頷いた。


「長生きはどうしてもできない病気なの」


「大人になれないって……僕は、いつ死ぬの?」


「話だと、エルデバ病で十六歳以上生きた人はいないらしいわ。大体は十四、五歳ぐらいで亡くなるって……」


 僕は今八歳だ。十五になるまであと……七年。七年後に、僕は――


「身体が金に変わって、死ぬの……?」


「ええ……今はまだ何もないと思うけど、十五に近付いてくると、徐々に身体が金に変わって、やがて……」


 女は辛そうな顔でうつむく。辛いのは僕のほうだっていうのに。


「治す方法がないって聞いたけど、それも本当なの? 病気は治らないの?」


「今のところ、そういう話は聞かないわ」


 治せない病気……僕は、やっぱり死ぬしかないんだ……。


「そんながっかりしないで。あなたを含めて病気にかかった子を治そうと頑張ってる人はいるから。希望は捨てないで――」


「でも治せないんでしょ?」


「今すぐは無理だけど……」


「じゃあ僕が死ぬって、お前は知ってたんだろ? それなのに僕を助けるって嘘を言ったのか」


「それは……」


 女は言葉に詰まった。その様子を見て僕の中に前みたいな怒りが戻ってきた。


「やっぱり嘘つきだ……僕はどうせ死ぬのに、何が助けるだ」


「嘘をついたつもりは――」


「お前も、お金が欲しいんだろ。だから母ちゃんと父ちゃんを殺したんだ!」


「違う。私はお金のことなんて――」


「お前もおじさんと同じだ。お金目当てで僕を連れ出したんだろ。優しくするふりして」


「あの男と一緒にしないで」


「じゃあ何で病気のこと教えてくれなかったんだよ。僕が知ったら嘘がばれると思って、だから言わなかったんじゃないのか?」


「全然違う。病気のことを教えたら、あなたがひどく落ち込むだろうと思って、今は言うべきじゃないと考えたのよ」


「全部嘘だ! 僕が誘拐されたとか、母ちゃんと父ちゃんの子供じゃないとか、どれもお前が僕を信じ込ませるために、お金を手に入れるために作った嘘だ!」


「嘘じゃない。あの二人だって、抵抗されなきゃあんなことするつもりは……」


「どうせ死ぬなら、母ちゃんと父ちゃんと一緒にいたかった。最後まで家族で……それなのに、お前のせいで!」


「だからあの二人はあなたを――はあ、まったく」


 女は溜息を吐くと、困った顔でこっちを見た。


「私は嘘は言ってない。あなたの両親は別にいて、あの二人はお金目当てにあなたを誘拐したの。前にも言ったでしょ?」


「僕を助けるって嘘を言ってるじゃないか! できもしないのに。お前こそお金目当てなんだろ!」


「何でできないなんて決めるのよ。まだ始めたばっかりなのに」


「だってお前はお金が欲しいだけなんだ。僕が死なないとお金は手に入らないから――」


「お金なんて、毎日食べる分だけあれば十分よ。贅沢を追い求めたら、あれもこれもと切りがないわ。そんなお金に支配されるような生活はごめんよ」


「それだって、どうせふりなんだろ。お金なんて欲しくないって見せて」


「じゃあよく見てみなさい。ふりなのかどうか。私は気持ちのままに話してる」


 焚き火越しに女の真剣な顔が見つめてくる。その力強い眼差しに捕まって、僕は目線を外せずに見つめ返した。黄色い目に火の赤が映り込んで、まるで目の中でも何かが燃えてるようだった。じっとして動かない女は、そこにある気持ちを僕に伝えようとしてるのか……。


「……もう、騙されないんだ」


 僕はどうにか目線を外して言った。ふりでもふりじゃなくても、こいつは人殺しなんだ。それだけは間違いないんだ。何を言われたって信じたりしない。


「そうよね。私のことなんて信じたくないわよね……。じゃあ信じてくれなくてもいいわ。その代わり、話だけは聞いて。私はお金なんてどうでもいいの」


「嘘だ」


 僕が呟くと、女は笑って続ける。


「私が大事なのは、ジュリオ、あなたの命だけ。その命を助けたいの」


「助けられない病気だって自分で言ったじゃないか」


「助けられないとは言ってない。治す方法が今はないって言ったの」


「だから同じことだろ」


「いいえ違う。治す方法は今もどこかで探されてるはずよ。極端に言えば、今日は治せなくても、明日にはその方法が見つかって治せるかもしれないんだから」


「そんなこと、あるわけない」


「だから極端に言えばよ。でも、明日は無理でも、一年後、三年後なら、もっと可能性は増えて、あなたを助けることができるかもしれない。私はそう希望を持ってるわ」


「病気の治し方なんて、誰が探すっていうんだよ。僕みたいに自分がかかった人ならわかるけど、この病気は子供しかかからないから、どうやって探せばいいのか……」


「この世界にはね、病気の原因を探す学者って人達がいるの。その人達はいろいろな病気を研究して、治し方を見つけてくれるわ。だからエルデバ病も、いつか必ず治せる日がくるはずよ」


「学者……? そんな人がいるのか?」


「そうよ。時間はかかると思うけど、毎日、少しずつ治す方法に近付いてる。だから諦めるにはまだ早いわ。あなたは生きなきゃ」


 笑顔で女は言った。病気を研究する人がいるなんて、初めて知った。その学者って人がいるなら、僕の病気も治って死なずに済むかもしれない。大人にもなれて長生きできるのかも――そんな夢が広がりかけたけど、僕はすぐにそれを消した。……これは女が話したことだ。全部嘘かもしれない。僕を騙して、病気が治るって思わせて、言うことを聞かせる気なのかも。


「……その顔は、やっぱり信じてくれてないようね」


「当たり前だ。お前なんか信じるもんか」


 僕が睨むと女は苦笑いする。


「それでもいいけど、病気のせいで悲観的にはならないで。あなたはすぐに死んだりしない。私がずっと守って――」


「僕は死なないよ」


 これにちょっと驚いた女を見ながら言った。


「だって、お前を殺して敵をとらなくちゃいけないんだから。それまで僕は死ねない。死ぬなら、その後じゃなきゃ駄目だ」


 嘘つきの人殺しが苦しみもしないで生きてるなんて絶対に許せない。その苦しみは僕が与えるんだ。母ちゃん父ちゃんの代わりに!


「その調子よ。もっと落ち込んでやけになるかと思ったけど、意外に強い心を持ってるみたいで安心したわ」


 言葉通り、女は安心したように笑った。ふん、僕を馬鹿にして余裕見せてるのも今のうちだ。武器を手に入れたら、そうやって笑えないようにしてやる。


「それじゃあ、私を殺すために、もっと勉強しておかないとね」


 すると女はマントの下をゴソゴソ探ると、そこから何かを取り出した。


「はい、これ」


 焚き火の上から投げ渡してきたのを、僕は慌てて受け取った。危ないな、普通に渡してよ……。


「……あ、これ、あの時の……」


 一冊の本。その表紙には大きな文字で「ちびっこ剣士の大冒険」と書かれてた。


「あなたに買った本よ。しっかり読んで文字を学びなさい」


 街の本屋で僕の読み書きの練習用に女が買ってくれた本だった。あの時は僕がこっそり離れちゃって、本を受け取ることはなかったけど……結局、あの続きに戻ったってことか。


「しばらく練習してなかったんでしょ? 忘れちゃったんじゃないの?」


 確かに、おじさんに閉じ込められた小屋じゃ何もしてなかったけど――


「憶えてるよ、ちゃんと」


「本当? じゃあ……これは何て読む?」


 女は焚き火の横の地面に指で文字を書いた。僕は身体を傾けてそれをのぞき込む。えっと、この文字は――


「……じゅ、り……お?」


「正解。あなたの名前のジュリオはこう書くの。忘れてなかったみたいね」


「僕の名前はジュリオじゃない! ヘクターだ!」


「あなたはジュリオなの。慣れてって言ってるでしょ?」


「違う名前に慣れるわけないだろ」


「こっちにとってはヘクターこそが違う名前よ。呼べないわ」


「じゃあ呼ばなくていいよ。お前なんかに呼ばれたくもないし」


「そんな冷たい態度取らないでよ。呼べないと不便じゃない」


「僕は不便じゃない。お前なんか呼ばない」


「そう言えば、まだ私の名前、呼んでくれたことなかったわね」


「必要ないし」


 って言うか、名前憶えてないし。


「私を名前で呼んでくれるなら、ジュリオって呼ばないであげてもいいけど、どう?」


 僕は女を見つめた。


「……もうジュリオって、呼ばない?」


「私を名前で呼べば、ね」


 ジュリオは呼ばれるたび、どうも気持ち悪い。それがなくなるなら、こいつを名前で呼ぶぐらい、どうってことないか……。


「……わかったよ。それで、名前何だっけ」


「シルヴィナよ。好きに呼んで」


 にこにこする女の視線を受け止めつつ、僕は小さい声で呼んだ。


「……シ、シル、ヴィナ……これでいいんだろ」


「ありがとう。呼んでくれて嬉しいわ、ジュリー」


「は……?」


 思わず僕は女を見返した。


「ジュリオって呼ばないって言ったばっかり――」


「だから呼んでないじゃない。私はジュリーって呼んだの」


「それってほとんどジュリオだろ。同じことだ!」


「でもジュリオとは呼んでないわ。だからいいでしょ?」


 ふふんと笑う女を僕は睨まずにいられなかった。こいつ、ずる過ぎる! 違う名前で呼ばれるのが嫌だって言ってるのに。


「……冗談よ。怒った?」


「じょ、冗談? ……って、何なんだよ、一体」


「あなたは疑ってるふうでも、すぐに信じちゃうところがある。まあ、経験の浅い子供じゃ仕方ないんでしょうけど」


「騙しておいて偉そうに言うな!」


「はいはい、悪かったわ。名前はお互い、好きに呼べばいいわ」


「ジュリオは嫌だ」


「嫌でもそれがあなたの名前だからね……好きに呼ばせてもらうわ」


 結局呼ぶんじゃないか。嘘つきめ。


「こんなふうに、大人って簡単に人を騙すの。相手が子供ならもっと簡単にね。たちの悪い大人……あの男みたいなお金目当ての大人は、あなたがエルデバ病だとわかれば、すぐに目の色を変えて近寄ってくるわ。だからそのスカーフは人前で絶対に外さないで。あなたの命に関わることだから」


 急に真面目な顔で言われて戸惑ったけど、嘘つきの言葉なんか聞く必要ない。


「お前に言われなくたってわかってるよ。もう誰にも騙されたりしない。お前にだって」


 じっと見ると、女は笑った。


「そうね……優しい言葉に騙されないよう、気を付けなさい」


 余裕ぶった声が僕のイライラを突いてくる。武器さえあればすぐに……でもまだ我慢だ。嫌だけど、一緒に付いて行って隙を見つけるんだ。敵をとる日はそう遠くないはず……それだけは信じてたい。

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