四話

 晴れた空の下、草原の中の道を歩き続けてると、その先にたくさんの建物が集まってるのが見えた。


「……もしかして、あれが街?」


 僕の前を歩く女が頷いた。


「そうよ。もうちょっとで暖かいベッドで眠れるわよ」


 ベッドで眠れる……その言葉だけで僕は安心して溜息が出た。


 ここまで来るのに何日も野宿して、固い地面に寝て固い木を枕にしたせいか、身体のあちこちが今もギシギシ痛い。柔らかい場所を探して雑草の上で寝れば、次の日は虫刺されのかゆみで困ったことになるし、もう最悪な毎日だった。食事は女が持ってた携帯食と、そこいらにあった木の実や山菜だけで、これだけじゃお腹も満腹にならない。母ちゃんの料理を思い出さずにはいられなかった。


「……そうだ。子供でも読める本でも買いましょうか。読み書きの覚えがもっと捗るかもしれないし」


 女はどこか嬉しそうに言った。まあ、最悪な毎日でも一つだけ良かったことがある。女に言われて始めた読み書きの練習だ。まずは基本的な文字を順番に教わって、その読み方、書き方を地面に書いて練習してた。わかんなくなるたびに女に聞いては一人で練習して、また聞いては練習……それを夜の暇な時間にやってたおかげで、ようやく全部の文字の読み方まで覚えることができた。女には覚えが早いって褒められたけど、人殺しに褒められたって何も嬉しくない。本をくれるなら喜んで貰うけど。


 歩き進んで、ようやく街の入り口に着いた。たくさんある大きな建物、荷物を運んで走る車、それを引く馬、道を行き交う数え切れないほどの人――母ちゃんと父ちゃんに少しだけ聞いたことはあったけど、こうして直に見るのは初めてだ。全部が全部、すごいな。あんなに大きい家があるんだ。馬って足が長くて大きな動物なんだな。あの人、変な帽子かぶってる――


「――ジュリオ、話聞いてる?」


 ハッとして横を見ると、女が僕を見下ろしてた。


「ジュ、ジュリオって呼ぶな」


「あなたの名前なんだから呼び慣れなさい。そんなことより、初めて街に来て興奮するのはわかるけど、見ての通りここは人が多いから、よそ見して私からはぐれたりしないようにするのよ」


「はぐれるわけないだろ。うるさいな。僕に命令するな」


「そう。はぐれないならいいわ。じゃあ行きましょう」


 女と一緒に僕は街の中へ入って行った。


 入り口よりも人の数が増えて、道の幅も狭いから、僕はすれ違う人達にぶつかりながら前に進む。そんな僕を女は心配そうに振り返っては見てくる。そんなに僕がはぐれそうに見えるんだろうか。そこまで子供じゃない。


 僕より大きな大人ばっかりで、建物の様子があんまり見えないけど、それでも見上げると建物に書かれた文字が時々見えた。あれは、や、さ……野菜だ。その隣は、は、はな……花を売ってるのかな。あっちの遠くのは、ひんしつ、ほしょうの、ぶき……武器の店?


 その時、僕の手がぐいっと引かれて、武器の文字は一瞬で人ごみの中に消えてしまった。


「なっ、何するんだよ!」


 振り向いた先で手を引く女を僕は睨んで言った。


「よそ見のしすぎよ。はぐれそうで危なっかしいから手をつないで行く」


「さ、触るな! 一人で歩ける!」


「ちゃんと歩けてないから手をつなぐんでしょ。しっかり前を見て歩いて。転ぶわよ」


「転ばないってば……離せ!」


 振りほどこうとしても女はがっちり僕の手を握って離してくれなかった。くそ、こんなやつと手を握るなんて!


 離してもらえないまま、女は右へ左へ道を進んで行く。少しずつ周りの人の数が減ってきたと思うと、女は本が並ぶ建物の前で止まった。


「ここなら子供も読める本がありそうね……」


 そう言って入り口に並べられた本を見始めた。それらの表紙には絵や模様があって、書かれた文字は大きくて見やすい。どんな本か知らないけど、この文字なら読みやすそうではある。


「男の子だから、これにしようかな……これでいい?」


 女は一冊の本を僕に向けて見せた。そこには「ちびっこ剣士の大冒険」と書かれてた。ちびっこ剣士? よくわかんないけど、覚える練習に役立つなら何だっていい。


「……うん、それでいい」


「じゃあ買ってくるから、ここで待ってて。すぐに戻るわ」


 そう言って女は建物の中へ入って行った。僕は壁に寄りかかって道行く人達を眺める。街って、たくさん人が集まるところなんだな。ここに母ちゃんは来て、買い物ってやつをしてたのかな……母ちゃん、父ちゃん……あの女さえ来なければ、死ななかったのに……。


 このまま、女に付いて回ってるだけでいいのか? いや、よくない。僕はあいつを殺すために一緒にいるんだから。文字なんか教わってる場合じゃないんだ。あの女の言うことを聞く必要だってないんだ。僕はひどい目に遭わされたんだ。大切な人を、あいつに殺されて。母ちゃんと父ちゃんと、僕の恨みを晴らさなきゃ。殺して、苦しい思いをさせてやんなきゃ――


「……武器……」


 殺すには武器がいる。そして僕の頭には、さっき見かけた武器の文字が浮かんだ。あそこに戻れば、武器があるかもしれない。女を殺せる強い武器が……!


 決めた僕は建物の中をそっとのぞいた。他にも本を買う人がいて、女はその後ろで立って待ってる……よし、今なら大丈夫だ。僕は女に見つからないよう、静かに建物から離れた。


 さっき見た武器の文字は、確かこの道のずっと先だったような――僕は思い出しながら来た道を戻ってみる。また少しずつ人の数が増えてきて、分かれ道もたくさんあって、女がどこを曲がって来たのか、僕にはわかんなかった。こんなに人がたくさんいると、どこも同じような景色に見えてくる……しょうがない。勘で、こっちの道に行ってみるか。


 選んだ道なりにしばらく進んでみる。でも建物はあっても武器の文字はいつまで経っても見えてこない。それどころかすれ違う人の数がまた減ってきたような……文字を見た道はもっと人の数が多かったはず。この道じゃなかったのかな……。


「もう、ちゃんと取ってよ!」


 子供の、声? と思ったら、僕の目の前に薄汚れた丸いものが転がってきた。これは、ボールだ。小さい頃、父ちゃんと投げて遊んでたけど、森の中でなくしてからはもう遊べなくなっちゃったんだよな。何か懐かしい――そう思いながら近付こうとした時、横から男の子が飛び出してきて、素早くボールを抱えるとすぐに戻って行った。その行き先を見れば、細い道の奥には広場があって、そこでは何人もの子供達が楽しそうに遊んでた。駆け回ってたり、見たことないおもちゃで遊んでたり、皆、声を出して笑ってる。いいな。僕も混ぜてほしいな……。


 うらやましくて眺めてたら、僕はあることに気付いた。あれ? おかしい。遊んでる子供達は誰も首にスカーフを巻いてない。母ちゃんと父ちゃんは、子供はスカーフを巻かなきゃ駄目だって言ってたのに、誰も巻いてる子なんていない。どうしてだろう。決まりのはずなのに……。遊んでるから今だけ外してるのかな。それとも、この街の子供は巻かなくてもいいのかな。だったらそれもいいな。僕は街の子じゃないから、巻いてないと駄目なんだろうな。いいな。やっぱり一緒に遊びたいな……。


 広場の子達から目が離せないまま、僕はとりあえず歩き出した。遊びたいけど、今はそんなことしてる場合じゃないんだ。武器の文字を見つけて、そこで強い武器を手に入れて、あの女を絶対に――


「うあっ、危ない!」


「え――」


 楽しそうな広場から顔を前に向けた瞬間、身体に何かが当たって、バシャリと冷たい水が降りかかってきて、僕は驚きすぎて動けなくなった。


「ったく、よそ見してふらふら歩くな。ちゃんと前見て歩け!」


 怖い顔をした男の人が僕に怒鳴ってきた。その肩には棒からぶら下がった水の入った二つのバケツが揺れてる。


「ご、ごめん、なさい……」


「また水を汲み直さなきゃいけないじゃないか。面倒なことさせやがって」


 男の人は僕を睨むと、ぶつぶつ文句を言いながら去って行った――はあ、びっくりした。


「……濡れちゃったな」


 自分の身体を見ると、服の胸からズボン、足まで水がかかってた。服の裾をつかんで絞ると、ぼたぼたと水が出てくる。乾くのは時間がかかりそうだ。でもこんなに濡れたままじゃ気持ち悪いな。


 すれ違う人達がじろじろこっちを見てくるのを感じて、僕はひとまず道の隅に移動した。とにかく拭かなきゃと思い、いつもそうしてるように首からスカーフを取って、それをタオル代わりにして身体を拭いた。気持ち悪さはあんまり変わらないけど、拭かないよりはましだ――そうして大体拭き終わろうとしてた時だった。


「ボク、どうしたんだ?」


 顔を上げると、目の前に男の人が立ってた。さっき怒鳴った人とは違って、顔は優しそうだ。


「服が、濡れちゃって……」


 知らない人と話すのは、やっぱりどきどきする。


「誰かに引っかけられでもしたのか?」


「違う。僕が、水の入ったバケツに、ぶつかって……」


「なるほど、ボクの不注意だったのか。……ところで、この近所の子なのか? 親は近くにいるの?」


「いないよ。僕はここの子でもない」


「へえ。じゃあ一人で何してるんだ?」


「何って、言われても……別に……」


 どうしよう。武器のこと、聞いてみても平気かな……。


「……まあいい。それより、その首のアザだけど」


 男の人は僕の喉をのぞいて指差した。


「それ、よく見せてくれないか?」


「え、う、うん、いいけど……」


 男の人はアザに顔を近付けてじっと見る――変な人だな。こんなの見て何が面白いんだろう。


「……このアザ、いつからあるんだ?」


「生まれ付きだって……」


「ほお、やっぱり生まれ付きか……」


 男の人は嬉しそうに、うっすら笑った。生まれ付きだったら何だっていうんだろう。


「あ、あの、僕、聞きたいことがあるんだけど……」


「ん? 何だ?」


 僕は緊張しながら思い切って聞いてみた。


「どっかに、武器――」


「ジュリオ!」


 嫌な呼び声に僕はハッとして振り向いた。見れば道の先から女が走って来るのが見えた。やばい! 見つかった!


「あの人、ボクの知り合いか?」


「えっと……」


 どうしよう。なんて言えば……これじゃ武器のこと聞けなくなっちゃうよ――僕が迷ってるうちに、女はあっという間に目の前までやって来て、安心したように声をかけてきた。


「もう、待っててって言ったじゃない。何で一人で歩き回るのよ」


 見てくる女から僕は目をそらす。せっかく武器を見つけられそうだったのに、邪魔なやつめ……。


「何だ、ボクは一人じゃなかったのか。じゃあ心配することもなさそうだな」


「あの、ご迷惑をかけてしまったようで……」


「いや、こっちが勝手に心配したことですから、気になさらず。じゃあ」


 苦笑いを浮かべた男の人は立ち去ろうとする――行っちゃう! 武器のこと聞きたいのに!


「ま、待って」


「……ん? 何だ?」


 止まった男の人は振り向く。思わず呼び止めちゃったけど、この女の前で武器のことなんか聞けない。でも何か言わないと男の人は行っちゃう。どうしよう。また女と二人きりになったら、もう武器なんて探しに行けないよ。何か、離れられる理由を考えなきゃ。それで、この男の人に武器の話を聞くんだ。僕を心配してくれた人だ。きっと助けてくれるはず。助けて――そう思った時に僕は思い付いた。


「何か話したいことでも?」


 男の人の言葉に僕は思い切り頷いて言った。


「こ、この女、僕を誘拐する気なんだ」


「なっ、何を言うの!」


 女が驚いた声を出したのに構わず、僕は続けた。


「だからおじさん、助けて!」


「誘拐……?」


 男の人は女をじっと見つめた。


「待って! 違うわ! ……ジュリオ、何でそんな嘘を言うの?」


「嘘じゃない! ほ、本当だ!」


 僕は女から離れて、男の人の後ろに隠れた。


「誘拐なんて、そんな気はないわ。私は助けるために――」


「でもこの子は誘拐されるって怯えてるようだけど……?」


 男の人は怪しむように聞き返す。


「嘘を言ってるのよ。私のことが嫌いだから、だから嫌がらせのつもりで――」


「どうかな。単なる嫌がらせで、子供が誘拐されるなんてこと、言うかな」


「そ、それは……とにかく、誤解です。ジュリオ、こっちへ来なさ――」


「ジュリオっていうのも、こいつが僕に勝手に付けた名前なんだ。本当の名前は違うのに」


「……偽名で呼んでるのか?」


 男の人は怖い目で女を見る。


「それも嘘よ! ジュリオは本名で――」


「怪しいな……あんた、この子の何なんだ?」


「何って、あなたには関係ないことよ」


「親でも親戚でもないんだろ? じゃあ赤の他人か?」


「あなたに教える筋合いはない」


「そうかい。ならこの子に聞こうか。……ボクはこの人とどんな関係なんだ?」


 振り向いた男の人に僕は答えた。


「関係なんか、ない。いきなり来て、僕を誘拐しようとしたんだ……」


 はっきり言うと、女は困った顔で頭を抱えた。


「ジュリオ……あなたは自分が嫌いな嘘つきになりたいの?」


 嘘つき――そう言われてちょっと嫌な気持ちになったけど、武器を手に入れるためで、これは仕方ないんだ……。


「子供を脅すのはやめろ」


「別に脅してなんか――」


「わかってるんだぞ。あんたの魂胆は」


「魂胆? 何のことよ」


「誘拐したのは、金が目当てなんだろ?」


「金……? 身代金目的だと言いたいの?」


「とぼけるな。アザは確認済みなんだろ」


 男の人の言葉で、女の顔が焦ったように変わると、僕のほうを見て言った。


「……ジュリオ、どうしてスカーフを巻いてないの」


 言われて僕は気付いた。そう言えばさっき身体を拭いて、ずっと手に持ったままだった。


「服が濡れちゃったから、これで拭いて――」


「今すぐ着けなさい! 早く!」


 そんな急がせなくても、ちゃんと巻くっていうのに――僕は水を吸って少し冷たいスカーフを首に巻いた。


「偽名で呼ぶ、赤の他人……その理由は明らかだな」


「勝手な想像しないで。さっきも言ったけど、私は助けるためにその子を――」


「そんな方法もないのによく言う。偽善もいいとこだ」


 女は苛立った様子で溜息を吐いた。


「……もういい。子供の嘘を信じ込んでる人に言うことなんてないわ。ジュリオを返して」


 近付こうとした女だけど、男の人はすぐに僕を遠ざけた。


「返すわけがないだろ。あんたは誘拐犯なんだ」


「そんな証拠がどこにあるのよ。早くジュリオを返して」


 女が僕に伸ばしてきた手を、男の人は叩き払った。


「……どういうつもり? その子を奪う気なの?」


「助けてあげるんだ。誘拐犯の魔の手からな」


「それは、あなたのことじゃないの?」


 女は男の人を怖い目で睨んでる。


「じゃあ強引に奪ってみるか? 大勢の人の目がある中で」


 そう言われた女は周りに目を向けた。二人が言い合う様子に、少し前から人が集まり出してたけど、女はこれに初めて気付いたようだった。


「そんなことすれば、この子が騒いで、悪者はあんたになるぞ」


「ふん、悪者になら、もうなってるわよ!」


 女が男の人につかみかかった。でも男の人は僕の前で壁になって、女を近付けさせないように止めてくれる。


「おい、こいつは誘拐犯だ! 誰か、取り押さえてくれ!」


 女をつかみながら男の人が叫んだ。すると周りで眺めてた人達が次々にやって来て、女を後ろからつかんで取り押さえてしまった。


「やめて……何するのよ! 誘拐犯は向こうの男よ!」


「往生際の悪い女だ。役人にこってり絞られるといいさ」


 地面に膝を付かされて、女は数人の手で押さえ込まれてた。誘拐犯と聞いた人達は、しきりに役人を呼べと言ってる――仕方ないとは言え、あんな姿を見ると、何か可哀想にも思えた。でももっと可哀想なのは母ちゃんと父ちゃんのほうなんだ。あんな女を思いやってやることはない。これで、いいんだ。


「危ないとこだったな、ボク。でももう大丈夫だ。おじさんが助けてあげるからな」


「うん……その、ありがとう」


「礼なんていい。さあ、安全な場所へ行こう」


 手を握られた僕は、引かれるまま男の人と一緒に歩いて行った。

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