二話

「似た者夫婦ね……素直に返せば、これ以上追い詰めるつもりなんかなかったのに」


 ぐったりと動かなくなった母ちゃんを見下ろしながら、短剣を持った女がぼそりと言った。


「……人殺し……」


 母ちゃんと父ちゃんを殺した、人でなし――心に沸々と湧いてきた怒りの気持ちが、僕に女を睨み付けさせた。


「こうなってしまったのは抵抗したからで、私は命まで奪う気は――」


「でも殺したんだ! お前が母ちゃんと父ちゃんを殺した!」


 女は困ったような顔で僕を見てくる。


「短剣を振らなきゃ、きっと私が殺されてたわ。二人にとって私は都合の悪い存在だから……。殺すつもりはなかったとは言え、こう言うのも何だけど、結局、自業自得だったのよ、二人は」


 軽い口調で意味のわからないことを言う女に、僕の中の怒りは溢れ出た。


「うるさい! 人殺しめ!」


 カッとした頭で僕は女に飛びかかった。殴ってやろうと拳を突き出したけど、女はひらりと簡単に避けた。


「やめなさい。そんなこと――」


「逃げるな! 僕が母ちゃんと父ちゃんの代わりに――」


 お前を殺す――そう言おうとしたが、その前に僕の身体は女に力尽くで地面に押さえ込まれてしまった。


「放せ! どけ!」


「じゃあ暴れないで」


「人殺しのくせに! 絶対に許さないぞ! 僕がお前を……絶対に……」


 急に目の前がぼやけてきた。気付けば僕は泣いてた。母ちゃん父ちゃんを失った悲しみ、女に押さえ込まれて動けない悔しさ、そんな力のない、情けない自分に、涙の粒は次から次へと頬を伝って落ちてく。


「……暴れないで、話をしましょ」


 そう言うと女は押さえ込んでた手を放し、泣いて力の抜けた僕を地面に座らせた。


「そうよね。これでも二人はあなたを育ててきた親代わりなのよね」


「代わりじゃない! 僕の本当の親だ!」


 泣き声混じりに叫んだ僕に、女は緩く首を横に振る。


「それは違う。二人はあなたの本当の親じゃないの」


「嘘だ!」


「あなたの名前もヘクターじゃない。本当の名前はジュリオよ」


「それも嘘だ! 僕はヘクターって名前だ!」


「それは二人があなたを誘拐した後に付けた名前なの。……誘拐って意味、知ってるでしょ?」


 この人は本当に何を言ってるんだろう。わけわかんないことばっかり言って。


「僕は母ちゃんと父ちゃんの子供だ! 誘拐なんかされてない!」


「覚えがないのは当たり前よ。一歳の頃の記憶なんて誰も憶えてるわけがない。あなたはね、親だと思ってた二人に誘拐されてきた子なのよ」


「嘘ばっかりだ! 人殺しの言うことなんか信じるもんか!」


 僕が誘拐なんてされてるはずない。僕はここで生まれて、ずっとここにいたんだ。女は自分が悪くないって、良いことをしたって嘘を作って言ってるだけだ。


「まあ、すぐに信じろっていうほうが難しいでしょうね。でも私の話だけは聞いてほしいの」


 女は周りをきょろきょろ見ると、なぜか農具置き場のほうへ歩いて行った。ようやく涙が止まった僕は、それを不思議に思いながら見てた。そして戻って来た女の手には畑で使うシャベルが握られてた。


「父ちゃんのシャベルを勝手に使うな!」


「でも穴を掘りたいのよ。二人をこのままにしておくのは嫌でしょ? 誘拐犯とは言え、あなたをここまで育ててくれた人間には違いないわけだし、お礼として埋葬ぐらいはしてあげてもいいと思って」


 そう言って女は、まだ何も植えられてない畑の隅の地面をシャベルで掘り始めた。


「僕の母ちゃんと父ちゃんだ。勝手なことするな」


「じゃあどうするの? 一人で大人二人をどうにかできるっていうの?」


 何も言えなかった。死んでしまった二人をどうすればいいのか、僕にはそれもわかんなかった。


 地面に座る僕に見られながら、女はせっせと穴を掘りつつ話し始めた。


「……あの二人は、あなたの気持ちが自分達から離れないようにするため、ただ親のふりをしてただけ。側に置いておきたかっただけなのよ。だからそこに親の愛なんてない。二人にとってあなたは所有物という感覚だったはずよ」


 掘り出された土が山になっていくのを見つめながら僕は言い返した。


「そんなことない! 母ちゃんは優しかったし、料理も美味しかった。父ちゃんは、怒ると怖かったけど、でも一緒に遊んでくれることもあった」


「あなたの気持ちをつなぎ止めておくためよ。家出でもされたら、すべての苦労が水の泡になるから」


「僕は母ちゃんと父ちゃんの子供だ! だから誘拐なんてする理由はない」


「本当の子ならね。でも違うから理由があるの」


「何だよ、理由って……」


 女は一旦手を止めると、額に流れる汗を拭ってから言った。


「……お金のためよ」


「お金? って?」


 首をかしげた僕を、女は真ん丸な目で見た。


「お金はお金よ。……まさか、知らないの?」


「しっ、知ってるよ! 父ちゃんが夜に、お金がどうとか、話してたのを聞いたことあるし……」


「どんな話をしてたの?」


「トイレに行く時にちょっと聞いただけだから、何の話してたかなんて知らないよ。けど……お金は、美味しいものなんだろ? 手に入れば、毎日美味しいもの食べ放題だって……」


 そう言った僕を、女はじっと見てくる。


「……な、何だよ。こっち見るな」


「そういうことは、何も教えてもらってないようね。やっぱりあなたは所有物扱いされてたのよ」


「何も知らないくせに、勝手なこと言うな!」


「知らないのはあなたのほう……その首に巻いたスカーフ、外してみて」


「い、嫌だよ。何で外さなきゃ――」


「喉の辺りに十字のようなアザがあるでしょ」


 言われて僕は驚いた。スカーフはずっと着けてて、女には見られてないはずなのに……。


「……何で、このアザのこと知ってるんだよ」


 僕の質問には答えず、女はまた穴を掘り始めると、逆に聞いてきた。


「そのスカーフは、二人に着けさせられたの?」


「だったら何だよ」


「アザについては、何か説明された?」


「別に、生まれ付きだから、気にするなって……どうせスカーフで隠れるから」


 何年か前、鏡で自分を見た時、喉元にある十字形の青いアザが気になって父ちゃんにどうにかしたいと言ったことがあった。二人にはないのに僕だけにあるアザが、格好悪くて邪魔に思えたからだ。でも父ちゃんは気にすることないって、スカーフで隠せば大丈夫だと言った。母ちゃんも生まれ付きのものだから気にするなと、気になるならスカーフで隠せると言った。その時はそれで納得したけど、だんだんアザのことが気にならなくなってきたら、今度はスカーフがうっとうしく思えてきて、ある日外して遊んでたら父ちゃんにすごく怒られた。子供はスカーフを巻かなきゃいけないんだって言われてから、うっとうしくても我慢して着けてきた。でもアザが気にならなくなった今は、隠す役目はもういらないんだよな――そう思って僕は何気なくスカーフの結び目に手を伸ばした。


「それは外さずに、着けたままでいたほうがいいわよ」


 僕の動きを見て女が言ってきた。……さっきは外せって言って、今度は外すなって言って、何なんだよ。


「あなたにアザがあることが間違いないなら、二人が誘拐した理由がお金目当てだったことも間違いないわ」


「でたらめばっかり言うな! 僕は誘拐なんか――」


「されたの。憶えていなくてもね」


「うう……だ、だったとして、でも家には美味しいお金なんてない! だから違う!」


 お金が欲しいから誘拐したって言うなら、家にそのお金がなきゃ変だ。だけどそんなものどこにもない。食事の時はいつも畑で取れた野菜の料理で、特別変わったものなんか出てきたことないんだ。だから女の言うことはでたらめだ!


「一つ教えてあげる。お金は食べ物じゃないわよ」


「え……?」


「それと、家にお金がないのは当たり前よ。まだ手に入らないんだから」


 お金が食べ物じゃなかったことに驚きつつも、僕は女の言ってることがさっぱり理解できなかった。


「お前は、お金目当てで誘拐したって言ったじゃないか。それが本当ならお金がなきゃおかしいだろ」


「だから、まだ手に入らないのよ。二人はこれから手に入れるつもりだった。でも私が止めた。こんな方法にするつもりはなかったんだけど……」


 女はすくった土を放ると、地面にシャベルを突き刺して、ふうと息を吐いた。


「ちょっと浅めだけど、まあいいわ」


 すると女は倒れた父ちゃんのほうへ歩き出した。それを見て僕はすぐに駆け出した。


「父ちゃんに近付くな!」


 叫び声を女は無視する。


「聞こえないのかよ! 父ちゃんに――」


「じゃあ手伝いなさい。一緒に穴に埋めてあげるのよ。ほら」


 怖い目が僕を見てくる。一緒にやるのは嫌だけど、父ちゃんをこのままにしておくのは可哀想すぎる。女に触らせたくないけど、一人じゃ運べそうにないし――心のもやもやを我慢して、僕は女の言う通りに父ちゃんの足を持って一緒に運んだ。胸を覆う真っ赤な血が、僕にまた涙を込み上げさせた。それと同時に女への憎しみも湧いた。掘られた穴にゆっくり父ちゃんを寝かせて、続けて母ちゃんも穴まで運ぶ。進むたびに地面には赤い点々が付いてく。人殺しと一緒にこんなことをしなきゃいけない自分を、僕は嫌いになりそうだった。一体何をしてるんだろう。この悲しみと怒りは、どうやってぶつければいい――


 女はまたシャベルをつかむと、山になった土をすくって父ちゃんと母ちゃんの上にかけてく。茶色い土がどんどん二人の姿を覆い隠してく。側にいて当たり前だった顔も、その顔を苦しげに変えた痛々しい傷も。やがて父ちゃんと母ちゃんはこんもりと膨らんだ地面に消えた。


「……これで一段落……ここまで、時間がかかったわね。さあ、お別れを済ませ――」


 女がこっちに振り向いた瞬間に僕は腰に飛び付いた。そこには人殺しの短剣がある。父ちゃんと母ちゃんを殺した武器で、こいつも同じように――


「はっ、やめなさい!」


 女は短剣をつかんだ僕の手を強引に引き剥がすと、遠ざけようと強く押した。その力で僕は尻もちをついたけど、すぐに立って女を睨み付けた。


「お前のことは、許さないんだ。絶対に、絶対に……」


 女は眉をひそめて僕を見る。


「また感情がぶり返したようね……絶対に許さなきゃ、どうするの?」


「お前を、殺すんだ!」


「敵をとりたいの? でも子供の力じゃ私には敵わないわよ」


「武器があればお前なんか――」


「どこに武器があるの? この短剣は奪わせないわよ。このシャベルでも振り回してみる?」


 地面に突き立てたシャベルを女は顎で示す。……もう何だっていい。こいつを殺せるなら、何だって。


 僕はシャベルに飛び付き、地面から引っこ抜く。ずしっとした重みが両手に乗っかる。これは父ちゃんが使うシャベルだから、僕が使うにはまだ重すぎる。それでも意地で振り上げた瞬間、女は見計らったようにそのシャベルを蹴り飛ばした。僕が声を出す間もなく、シャベルは手から離れて庭の隅へ飛んで行ってしまった。


「何す――」


「そんな重いもの使わなくたって、私のことはいくらでも殺せるわよ」


 女はじっと僕のことを見下ろしてくる。な、何なんだこいつ……余裕ぶった言い方して。僕が子供だから馬鹿にしてるのか?


「でもあなたは何も知らない。武器以外の殺し方も、世間のことも。二人には畑の世話のことしか教わってこなかったんじゃない?」


「僕は、ちゃんと知ってる!」


「本当に? お金が食べ物だと思ってたのに?」


「そ、それは……間違ってたのは、それだけだ……」


 女はうっすらと笑った。む、むかつく……!


「私を殺したいなら、まずは知識を身に付けなさい。たくさんのことを知れば、最適な方法も思い付くはずよ」


 僕は唖然と女を見る。こいつ、何で僕を助けるようなことを言ってくるんだろう。無理だと思ってやっぱり馬鹿にしてるのか?


「コソコソ私を狙うより、堂々と一緒に来れば、私がいろいろなことを教えてあげられるわ。食事とベッド付きでね。だから一緒に来なさい」


「人殺しなんかと、誰が一緒に行くか!」


「どこか行く当てでもあるの?」


「僕はお前を殺すだけだ!」


「じゃあ一緒に来たほうがいいじゃない。いつでも私を殺す時間があるんだから。別々になったら見失う可能性もあるわよ?」


 ……確かにそうだ。こいつから目を離したら見失っちゃうかもしれないし、そうなったら捜すのも大変だ。一緒に来いって言うなら一緒に行ったほうが殺すには楽、なのかも……。


「……どう? 私に付いて来る?」


 こいつの言うことを聞くのは嫌だけど、でも逃げられるよりはましだ。付いて行って、すぐに殺せるなら――僕は女を睨み付けて言った。


「付いて行って、父ちゃんと母ちゃんの代わりに殺してやる!」


 そう言った僕を見つめながら、女は小さく頷いた。


「じゃあ来なさい。子供の独り歩きは危険だからね」

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