秦野梓はもういない
長月瓦礫
秦野梓はもういない
「あ、じいちゃん!」
ランドセルを背負った少年が俺を指さした。
「写真を見といてよかったよー!
絶対に分からなかったもんね!」
少年はスマホと俺の顔を交互に見比べる。
「僕は深浦廉! じいちゃんの孫だよ!」
深浦はビシッと片手をあげる。
はるか未来からやってきた俺の孫、つまり自分の子孫である。
何が何だか分からない。絶句している俺に深浦は続ける。
「昨日、掃除中にコップを割ったでしょ?
んで、ゴミ箱の底に隠したよね!」
俺は思わず少年の口をふさいだ。
誰も見ていなかったから、何も言わずに放置してある。
「本棚から3枚目のCDは田端君から借りパクしたヤツだし、米山さんが落としたシャーペンを持ち歩いてる! 未だに返せなくて困ってるんだよね!」
「お前マジで黙れ!」
誰も知らないはずの秘密をこの少年はぺらぺらと暴露する。
もしかして、本当に自分の孫なのだろうか。
「あとは、国語辞典の中に貯金を隠してる!
それから」
「分かったから! もういいから! 俺に何の用だよ!」
「やった! 僕の話を聞いてくれるね?」
少年はガッツポーズをして飛び跳ねた。
これ以上、この少年の口を開かせてはいけない。
大人しく彼に付き合うしかないのだろう。
深浦の学校でタイムマシンを使って自分の先祖について学ぶ宿題が出たらしい。
いきなり自分のことを明かしても信じてもらえないだろうから、孫であることを証明するために、俺にしか分からないことを調べ上げたというのだ。
タイムマシンが作れる世界なのだ。
個人のプライベートなんてあってないようなものなのだろう。
「僕の生きている世界について、おじいちゃんは一つだけ知ることができるんだ。
何でも聞いて、どんなことでもいいから!」
これが未来の小学校が出す宿題なのか。
何を考えているのか、さっぱり分からない。
この国はどうなってしまったのだろう。
しかし、彼が嘘をついているようにも見えない。
本当に俺の孫なら何を聞いても答えられるはずだ。
「ズバリ聞こう、俺の結婚相手は誰だ」
「いい質問だね! 会社の同僚の秦野梓さんだよ!
数年後に入社するはずだから、仲良くしてあげてね!」
これから出会う人か。同級生の名前でも挙げてくるかと思ったから少し意外だった。
これからの出会いなら、期待が持てるかもしれない。
「もう一つ、聞いてもいいか?」
「何?」
「秦野梓はもういない。なぜ、その人と結婚できる」
深浦から笑顔が消えた。
秦野梓は数年前、この町から去り姿を消した。
俺がその背中を見送ったんだから、まちがいない。俺しか知らない重大な秘密だ。
「嘘をつくんだったら、もう少しうまくやるんだな」
深浦は舌打ちをして殴りかかった。
俺は拳を受け止めて、攻撃をいなす。
次々と繰り出される打撃、小学生だとは思えない身軽さだ。
「へえ、なかなかやるじゃん?
さすが、未来のおじいちゃん」
「お前みたいなヤツを孫にした覚えはないがな」
何かを狙っていたようだが、そんな嘘は通用しない。
そう簡単に未来が決まってたまるか。
「何やってんの?」
玄関から声をかけられる。
たった数年違っていたら、深浦の言う未来もあったかもしれない。
同じ職場でばったり出会うこともあったかもしれない。
視線を戻すと少年の姿はなかった。
いつの間に逃げたのだろう。
「別に、小学生に道を聞かれただけ」
「そう、ならいいんだけど」
運命とは奇妙なものである。秦野梓は確かにいない。
彼女は瀬戸梓になった。
同じ指輪をはめて、隣を歩く。
この日常をそう簡単に奪われてなるものか。
何があっても守ると誓ったんだ。
拳を強く握りしめて、散歩道を歩く。
秦野梓はもういない 長月瓦礫 @debrisbottle00
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます