第5話 オーロラの森と獣人。
「とりあえずコレで必要最低限の物資は揃った。あと10kmもすればオーロラの森へ辿り着く」
釣り上げた魚たちの換金を済ませたヴァン達。
換金所は、林道の中継地点にある小屋でひっそりと営まれている。手に入れた金で水分や食料を調達し、満を持して目的地を目指すことにした。
「なんだか、随分と寒くなってきたわね」
身体を縮こまらせて肩をすぼめるユナ。
確かに、闇が森を包むにつれて気温は大幅に低下していくのを感じる。
「この辺りは日没までの時間が異様に早い。それに昼夜の寒暖差も激しい。夜はかなり冷え込むことになる」
「わ、分かってるなら先にアドバイスしておきなさいよ!防寒具なんてなにも持ってきてないし。アンタの魔法でなんとかならないの?」
「我が儘だな。……ほら、これでいいか?」
ヴァンは、今しがた購入したばかりの飲料水を軽く握って魔力を込める。
すると魔法の印も結ばずに、一瞬にして中身をお湯に変えて見せた。
ヴァンは湯たんぽ代わりになったボトルを放り投げる。
放物線を描いたボトルは、ユナの手元に収まった。
受け取ったユナは、有難そうに頬をゴロゴロと擦りつけて至福の表情だ。
ふと夜空を見上げたユナ。
そこには、アルカディアの王城で暮らしていた頃には見ることができなかった、幻想的な光景が広がっていた。
「……綺麗」
樹海を覆う夜空のキャンバスを、帯状に連なった光の粒が駆ける。
一見すると透けた緑色のようにも見えるが、場所によっては赤く黄色い。
この神秘的なレースカーテンは、遥か遠くまで広がる巨大な森を隅々まで網羅している。
「ねえ、外はこんなに素敵な景色が沢山広がっているの?」
「まあ、そうだな。ここまでの絶景は珍しいが、王都では見られない景色はそれこそ星の数ほどある」
「フフ。やっぱり城を抜け出してきて正解ね。コレを見られないまま一生を終えると思うと、凄く勿体ない気がするから」
オーロラにうっとり魅せられている反面、彼女はこれまでの自身の人生を憂いているような表情を見せた。
城の中での生活は、彼女にとって到底自由と呼べるものではなかった。
毎日決められたスケジュール。活字と向き合い、勉学や魔法学に励む毎日。
外の世界の情報は、人づてに聞いた話と書物から得られる知識のみ。
話し相手は執事やメイドだが、彼らは国王である父親の命令に忠実に従う。
ユナにとって、友達と呼べる人物は城内にはいなかった。
「布団の用意ができた。休息は取れる時に取っておいた方がいい。国から追われる身になった以上、まともな睡眠さえ取れない日が続く可能性もある」
「うん、それはそうよね。でもアタシのワガママを聞いてくれるなら、もう少しアンタと話していたいの。きっとアタシより物知りで、色んな世界を知ってる。アンタさえよければだけど」
「王女様に頼まれると、断れないな。う~んと、なにから話そうか。まずは俺が人生で1番死にかけた話だな。嗅覚が超過敏になる探索魔法があるんだが、バロムンドの肥溜め谷に行ったときに間違えてそれを唱えてしまって……」
「フフッ……ハハハッ!なにそれ!最ッ低な話ね」
ヴァンが淡々と話すお下劣な失敗談を聞いて、大きく口を開けて笑うユナ。
その顔は王女として繕っていた表情ではなく、気の合う友人と笑い合う正真正銘素の笑顔だった。
「部外者は立入禁止だニャン、人間は通せないニャ!」
「ここはオーロラの森だワン。人間達とは随分前から不可侵条約を結んでいるハズだワン。さっさと立ち去るワン!」
オーロラの森の入口。
ヴァンとユナは、門番の獣人たちによって阻まれていた。
槍を構える二足歩行のデブ猫と、剣を携えるこれまた二足歩行のムキムキ犬。
特徴的な語尾さえ除けば、彼らはなんとも流暢に人語を話す。
ヴァンの身長を優に上回る彼ら獣人の威圧感たるや、人間に睨みを利かされた時の比ではない。
ただ、ヴァン達もこういう流れになることは想定できていた。
事前連絡もなしに押しかけてきた人間達を、理由もなく歓迎する訳がない。
話は早い方がいいと、ユナは早速オニキスを取り出すと、自己紹介も兼ねて説明をし始めた。
「アタシのことご存じないかしら?アルカディア王国の王女、ユナ・ブリタニアよ。ただ今日は呑気に観光しに来た訳じゃないわ。コレを見なさい」
ユナが取り出したオニキスを獣人たちに見せつけると、彼らは興味津々といった具合で詰め寄ってきた。
「き、綺麗な石だニャ!まるでオイラの目ん玉みたいだニャ!コレはなにかニャ?」
「アルカディアの王女様がいったい何の用だワン?ますます怪しいワン……」
天真爛漫なデブ猫に、聡明なムキムキ犬。
両者の性格はまるで対極といった具合だ。
訝しむ彼らに、ユナは熱く説得を試みる。
「コレと同じ石がこの森の何処かにあるハズよ。獣人の長老とお話させて?ここの存亡にもかかわる大事な話なの」
必死に彼女が訴えるも、獣人達はまるでピンときていない。
ユナが説く事の重大さが伝わらず、まるで取り合う様子がない。
「長老から人間の来訪があるなんて聞いていないニャ!怪しいニャ!」
「話の信憑性が分からない以上、ここを通すことはできないワン!」
入口で押し問答が続き、依然、埒が明かない状態だ。
すると騒ぎを聞きつけたのか、沢山の護衛に囲まれた1人の獣人が、森の奥から階段を下りてのそのそと近づいてくる。
纏っているオーラや風格が明らかに違う。
言うまでもなく、あの人物がこの森の長老で間違いない。
アイボリー色のまるでモップのようなドレッドヘアが全身を覆う、なんとも神々しい姿をした熊のような姿。身長も護衛の獣人より遥かに突出しており、ヴァン達は見上げながら会話をする必要がある。
「ファファファ。人間が騒いでおると聞いて何者かと思って来てみたら、ブリタニアの小娘か。こんなところまで遙々訪ねてきて、何の用だ?」
「流石に長老クラスになるとアタシのことも知られているようね」
「ファッファ。知っているもなにも、儂はお主が赤ん坊の頃からずっと見てきておるからな」
長老はロープ状の体毛の束から覗いた口元を豪快に開けて笑った。
しかし、ユナが手にしていたオニキスを見るや否や、陽気な態度が一変。
長老の表情から笑顔は消え、声のトーンも一段と低くなった。
「小娘よ、その石を持ってきたからには世間話をしに来た訳でもあるまい。さあ、話を聞こうか。内容次第では、無事に帰すことは叶わんかもしれんのう」
長老の気迫は凄まじいものだった。
この森を背負っている者としての責任と、組織の長としての威厳。
ヴァン達に対してまだまだ柔らかい雰囲気だった森が、長老のひと声で一気に敵対心を剥きだしにしたのが分かった。
暴風が吹き荒び、昆虫や動物の群れが2人を囲むように集結する。
すっかり怖気づいてしまったユナ。
声が喉を通らなくなってしまった彼女を代弁して、ヴァンが目的を伝える。
「話すと長いが、俺たちは王国を裏切った。コレは元々王国が保有していたオニキスを盗み出したものだ。俺たちはすぐにここを去るが、王国の刺客が直にこの森にも攻めてくるはずだ。迎撃態勢を整えておいた方がいい、今日はその忠告だ」
ヴァンが要件を伝えると、森の獣人たちがざわつき始めた。
「ファッファ、面白い冗談だな。不可侵条約はどうなる?王国の連中とて、我々と戦争を起こすにはそれなりの覚悟が要るはずだ。そんな戯言は、信じるに値せん」
ヴァンの言葉を一蹴した長老。
これにて交渉決裂かと思われたが、見張りに出ていた獣人たちが大きく狼狽えながら戻ってきたことから、事態は急変する。
「長老様、大変です!王国の奴らが軍隊を率いてもうすぐそこまで!」
オーロラの森に緊張が走った。
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