ホリックのカクテル

青時雨

このカクテルは…

ナッツばかり注文する齧歯類げっしるいの団体客。香水屋を営む木蓮もくれんは、いつも同じ場所に座って先に来て待っている蝋梅ろうばいに手を振った。

多くはないが少なくもない客で賑わうとあるバーで。

新しいものに取り替えたドアベルの澄んだ音が、欠伸をしていた彼の耳に届く。

来店した客を一瞥し、バーテンダーのホリックは用意のいい兄からシェイカーを渡された。



浮かない顔をしたお客さん。

彼女の中に渦巻く感情は、たぶん



裏切られた

嘘だと信じたい

別れた方がいい

別れたくない

捨てられたくない

浮気されるなんて情けない

だけどまだ好きなの


と、こんなところだろう。

これらの感情から想像するに、浮気でもされたかな。そんな恋人と一緒にいる時間、俺ならもったいないと思っちゃうけどな。

まあでも恋愛は自分を想像以上にウエッティにさせるんだよね、困ったことに。

最近わかってきたよ、俺も。



「ご所望とあればお酒、お作りしますけど」



鼻歌を歌うように話しかけてきたホリックに、女性客は驚いたように顔をあげた。

あらまぁ、お姫様。外套を纏っていたから気づかなかったよ。



「これは失礼、プリンセス?」


「誰であろうとここへ訪れた者はみんな等しくお客さんだわ。姫だからと気を遣ってくださらなくて結構ですよ」



目を腫らしたお姫様は朗らかにそう伝えるが、「どうしたの、その目」とバーテンダーにズバリ聞かれてしまい、ぽつりぽつりと婚約者の王子様に浮気されていることを明かした。

情けないと苦笑わらっているけれど、心優しきお姫様をこんなに悲しませるなんて…許せないかな。



「彼との関係をどうしたいのか、わからなくなってしまって…もう、ぐちゃぐちゃなの」



一国のお姫様ともなる彼女が悩みを打ち明けられるのは、この素晴らしくも恐ろしい腕を持つバーテンダーくらいなものだ。



「必要な思いだけをご所望ですかねぇ」


「え?」


「お金はいらないんで、いらなくなった感情もの俺にくれます?」



要領を得られないといった様子で首を傾げたお姫様に片目を瞑ってみせる。

ホリックはお姫様が訪れてから、シェイカーに少しづつ溜まっていたあるものが全て揃ったのを見計らい、シェイカーを手に取った。

お姫様の目の前であるものが入ったシェイカーや、繊細なグラスを放り投げるなどして華麗に行われるフレアバーテンディング。

客を楽しませようと技を繰り出すホリックに、笑顔を取り戻したお姫様は小さく拍手を贈った。



「はい、どーぞ」


「綺麗ね」



感嘆したお姫様が手に取ったグラスには、今にも雪が降り出しそうなほど冷たい雰囲気を放つ青いカクテル。



「いただきます」



薔薇色の紅を塗った艶やかな唇を、グラスにつけたお姫様。

空になったグラスをカウンターに置くと、彼女は晴れやかな笑顔を浮かべた。



「あの人とはお別れいたしますわ」


「いいんじゃない?」


「お酒を飲んで少し肩の力を抜いたらから、気持ちがまとまったのかしら」


「貴女が無意識に一番必要としてる感情を心に戻しただけなんですけどねぇ…」



小声で呟いたホリックに、今何か言いましたかと聞き返したお姫様。けれど彼は微笑んで「いいえ」と答える。



「あの、お代は?」


「いりませんよ」



貴女にとって必要のなくなった感情、もらったんで。

お姫様は足取り軽く店を出て行った。どうやら婚約者に一方的に別れを告げるために手紙を書くらしい。

円形状になったカウンター。空の酒のボトルをインテリアとして飾る柱の裏から、もう一人のバーテンダーがやって来てホリックに声をかける。



「シェイカーを使いたいのですが」


「はいよ」



ホリックは兄にそれを投げ渡す。

エモーションカクテルを作る必要のある客が来たのかと兄の担当するカウンターを覗けば、魔獣のお客さんが座っていた。

ああ、あの人。

確か何かの感情をカクテルにしてもらうためにここへ通っている、兄貴の常連さんだ。



「勤務中は飲むなとあれだけ言いましたよね、ホリック」


「この程度の感情じゃ酔いたくても酔えないから大丈夫。仕事には響かないよ」



ホリックの手元には、お姫様の心の中でぐちゃぐちゃになっていた七つの感情のうち、六つの感情から作ったカクテル。

既に三つのグラスが空になっていた。



「あんまり感情らしい感情ないからさぁ、俺。知りたいんだよね、どんな感情があるのか」


「知ってますよ。だから閉店後に飲むことは許可してるじゃないですか」



ため息をつきながら客の元へ戻っていく兄貴。

よっぽどエモーションホリッカーとでも名乗った方がバーテンダーと名乗るより儲かりそうなものだが、それは兄貴に止められちゃってるんだよね。

俺たち兄弟の持つ力は、そう簡単に人に魅せてもいいものじゃないんだってさ。

まあ、俺はエモーションカクテルを飲めれば他はどうでもいいんだけど。








誰もが知っていて、その多くがその真実を知らないバー。

ここで働く二人のバーテンダーは、あるもの───感情からカクテルを作ることが出来た。

弟のホリックは、客が最も必要としている思いをぐちゃぐちゃになった客の感情の中から取り出し、その感情からカクテルを作る。

本日彼が作ったのは、彼女が無意識のうちに必要としていた決別のカクテル。







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