3-2
本来なら、こんなに天気のいい日はコンサバトリーでお茶をするのが1番なんだけどね。と、春の陽だまりのような柔らかな笑みを浮かべる誠光に、澪はコンサバリーとは何かを尋ねた。
「英国の居住スタイルの1つだね。サンルームとか温室とかに近い所だよ」
誠光は茶葉を抽質している間、ポケットからスマートフォンを取り出して澪にコンサバトリーの画像を見せてくれた。
見た目は完全に植物園の温室のようなガラス張りの、お洒落な建物だった。
「かわいいです!」
「私のホテルでも1日数組限定でコンサバトリーでのアフタヌーンティーも提供しているが、1年先まで予約でいっぱいなんだ」
「凄いです……!」
自分の語彙力の無さが申し訳なくなるくらい、単純な単語しか話せない澪に誠光は嫌な顔1つせずに、色々とリードしてくれている。
「イギリスの家ではメイド達が使う居住エリアと、家主の住むエリアで家の中が別れているんだが……、ここは見ての通り同じになってしまうが、許してくれ」
「あの、本当に今のままで十分ですのでお構いなく……」
イギリスの生活様式がよく分からないが、誠光からすると色々と勝手が違うらしい。
でも、澪にしてみれば十分すぎるほどの待遇だ。
ただでさえ、誠光からしてみれば澪は住所不特定の不審者といっても過言ではないのに。
「よし、時間ぴったりだな。さ、お茶の時間だ」
安価で大量販売されている三角ティーバックではなく、本格的な計量して入れる茶葉から準備してくれたらしい。
ティーポットから、しっかり温めていたカップへ紅茶を注いでいく。
「澪はミルクは先に入れる派かい?後から入れる派かい?」
「じゃあ、後からで……」
「私と同じだね」
澪の前に置かれたカップから、紅茶の酔い香りが湯気と共にふわふわと昇ってくる。
「では、いただきます」
「お口に合うといいんだけどね」
澪はゆらゆらと揺らめく水面に、ふぅ、と息を吹きかけて軽く冷ますと1口紅茶を口に含んだ。
鼻を抜ける茶葉の香りと、口の中にミルクを含んだまろやかな紅茶の味が広がる。
「おいしい……!」
「それなら良かった。さ、こっちのお菓子もどうぞ」
「いただきますっ」
澪が手に取ったのは、クランベリー入のスコーン。
甘くて美味しいけれど、少し口が乾くので紅茶を飲む。紅茶を飲むとスコーンが食べたくなって、また口が乾くので紅茶を口にする。
エンドレスで無限に食べられるのではないか、と誠光特製のアフタヌーンティーに舌鼓をうっていると、誠光が澪をじっと見つめていることにようやく気がついた。
「ごめんなさいっ。美味しくて、夢中になってしまいました……」
「いや、気に入ってくれたみたいで嬉しいよ。どんどんお食べ」
「……ありがとうございます」
優雅にお茶を楽しむ誠光に比べて、澪は自分はやっぱり子供じみているなと自嘲した。
紅茶の水面に映る自分の顔を見つめ、澪はずっと疑問に抱いていたことを口にした。
「あの、どうしてここまでしてくださるんですか」
誠光の紅茶を飲む手が、ピタリと止まった。
カップをソーサーにゆっくりと戻し、澪と誠光の目がまっすぐにお互いに向けられる。
(こうやって、真っ直ぐに目を見たのは久しぶりかもしれない)
両親や元夫の目は、怖くて見れたものじゃなかったから。
でも、この人なら大丈夫……なんとなく、そんな気がするのだ。
「そうだな……ただの親切心、だけじゃだめかな」
「だめ、というか……ただの親切心にしては、少々やりすぎというか……」
「じゃあ、君のことが気になる、というのは?」
絶句した。
顔から表情が、すとんと抜けるような感覚さえする。
それから、じわじわと頬が熱を持ち出して、心臓が早鐘を打ち始める。
「あのあの、それって」
「君を女性としてみている、一目見た時から」
熱を持っているのは、誠光の瞳も同じだった。
彼の青い瞳の奥で燻っている熱が、澪の心をぶわりと震わせる。
(なんで、私!?)
こんな地味で冴えない顔の、どこが良いのか。
先程まで真っ直ぐに見れていた誠光の顔が、見れない。
「だけど、無理強いをするつもりはないよ。澪には澪の選択する権利がある。ただーー」
君をもっと知りたい。
いつもの朗らかな声よりも、しっとりしたトーンで囁かれ、澪は未知の感覚に体を震わせる。
こんな感情、澪には縁のないものだったのに。
それに、澪は数日前まで人妻で。
この数日で澪を取り巻く環境が一変しすぎて、頭の中はごちゃごちゃだ。
「最終的に澪が私を選んでくれなくてもいい。もちろん、選んでくれるに値する男になれたら嬉しいけれど」
「わっ、私」
「返事は今すぐにとは言わない。これから一緒に過ごしていく上で考えてくれたらいい」
もし断ったとしても、強制解雇にしたりはしないから安心してと誠光は大人の余裕で笑いかける。
「……困らせてしまったかな?」
「いえ!そんな、全然」
「澪は普通に過ごしてくれたらいいんだ。私がしたいようにするだけなんだから」
「は、い……」
「無論、嫌な時は嫌だと言うんだよ。なんなら警察に通報してくれたってーー」
警察。実家に帰らされる、そしたらあの両親が。
「それだけは絶対しません!」
今までおどおどしていた澪から発せられた強い言葉に、誠光は思わず面食らった様子だった。
澪も自分からこんな大きな声が出るとは思わず、一瞬呆気に取られてしまう。
いつの間にか、勢い余って椅子から立ち上がってしまっていたことに気づき、澪はいそいそと着席した。
あの家に、帰りたくない。
澪は気まずい雰囲気を誤魔化すように口に含んだ紅茶も、少し冷めてしまっていた。
「あの……ほんとに、恩人に対してそんなことはしませんから……」
「じゃあ、嫌なことは嫌だと言える?」
「も、もちろんです」
あの家に帰るくらいなら、好意を向けてくれている赤の他人の親切な人に頼らせてもらう方がいいーー
そんな打算的な考えが浮かび、澪は自分自身に嫌悪感が湧く。
(そんなの今更じゃない。住み込みメイドとして働かせてもらうって決めた時点で)
誠光への迷惑をかける申し訳なさと、頼れる大人への安心感、そして新たに追加された彼からの恋慕の想いに澪は軽く混乱していた。
そんな澪に対して、誠光はどこまでも優しいので、澪は余計に辛くなるのだ。
「試しに、澪に触れてみてもいいかな」
「は、い」
「それじゃあ、少し失礼して」
誠光が立ち上がる気配がして、澪はさっと顔を伏せた。
胸がドキドキして苦しい。
元夫に触れられた時は、恐怖でしか無かったのに。
誠光の黒い手袋に覆われた手が、澪の髪の上をさらりと撫で、耳を掠める。
思ってもみない優しい触れ方に、澪の体はピクリと小さく跳ねた。
「……これは、嫌じゃない?」
大丈夫です、と蚊の鳴くような声で答えた澪に誠光は笑みを深める。
「耳まで赤くなってる」
もう顔から湯気が出てしまいそうだ。
こんな優しい触れ方は、知らない。
「ふふっ、今日はここまでにしておこう。そうじゃないと、澪が茹で上がってしまいそうだ」
バレている。
もう恥ずかしくて恥ずかしくて、今すぐに消えてしまいたい。
もし、今の澪を直哉が見ていたら生娘でもあるまいし、と鼻で笑っていただろう。
澪自身もそう思う。
仮にも人妻だったのに、こんな醜態を晒すなんて、どうかしている。
(これから、誠光さんのメイドとして上手くやっていけるのかしら)
ドキドキと高鳴る胸を宥め、澪はカップに残るもう冷めきった紅茶をぐいっと飲み干した。
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