1ー2

 豪華絢爛なホテルのホールで開催されている、立食パーティーに一際目を引く美丈夫がいた。

 ダークブラウンの髪に、すっきりとした目鼻立ち。そして日本人にはない、青い瞳。

 祖母が日本人で、とテノールの声音で流暢な日本語が紡がれれば、皆一様に彼を褒め称えた。

 しかもその身に付けた、スーツ、腕時計、革靴、香水。

 そのどれもが素人から見ても、その辺りにある量販店で取り扱っている類の物ではないのが、ひと目でわかる品物ばかり。

 なのに、成金風には見えないエレガントな雰囲気が、優しげに香るベルガモットの香水のように嫌味なく漂ってくるのだ。

 その姿は、正しく英国紳士British gentleman


「でもまさかこんな所であの誠光まさみつ・アーサー・クロスフォードに会えるだなんて!こんなことなら、今月のVogue持ってこればよかったわ!」


「ありがとうございます、マダム。あのオファーは本当は蹴るつもりだったんですが、こんなに喜んでいただけるなら出演して良かったです」


 知人にどうしてもと頼まれて、自身が某女性向けの表紙を飾ったことは記憶に新しい。

 甘程よく鍛えられた逆三角形の上半身と引き締まった腰のコントラストに甘いマスク。そして、彼の持つクロスフォード・グループの御曹司という肩書きに全世界の女性が虜になった。

 御曹司と言っても、三男坊なのだが彼女達とってはさほど重要ではなかったらしい。

 三男坊だとしても相手はイギリスに本社を持つ、あの世界的企業のクロスフォード・グループのご子息なのだから、と。

 そしてこの男も己の持つ美貌や権力に関しては、十分過ぎるほどよく理解していたので。


 誠光は婦人の手を、黒い手袋に包み込んだ己の手に乗せて口付けを落とした。


「あいにくペンの持ち合わせがないもので……、こちらで許していただけますでしょうか。ミセス河井」


「あっあっあっ、クロスフォード様……!」


 少し眦の下がったたれ目が甘い雰囲気を醸し出しているためか、身長の割には威圧感がなく、穏和で爽やかな笑みを浮かべながら手の甲にキスなんてされたら。米寿を迎えた婦人でさえ、10代の少女のように顔を赤らめ口をパクパクさせる。

 それだけでは飽き足らず、日本人ではあまり馴染みのないスキンシップのせいか、まるで王子様のような振る舞いに一瞬にして会場の女性達がクロスフォードに目を奪われた。


「あまり妻をからかわんでやってくれ。お前も、あのクロスフォードが60過ぎのお婆さんなぞ相手にするわけがなかろう」


 隣で苦笑いしているには、河井寿五郎。

 この2人は株式会社河井重工の社長夫妻で、日本政府からの事業を数多く請け負っているため、誠光が今後親交を深めておきたい人間のうちの1人。

 まさか、このパーティで会えるとはと誠光は人好きのする笑みを浮かべた。


「そんなことありませんよ、日本人の女性は皆少女のように可愛らしいです」


「それなら、妻ではなく娘はいかがですか。自分で言うのもなんですが、来年にはアメリカ留学する予定の自慢の娘でして」


 夫妻の後ろでそわそわとしていた娘が、父の紹介にぱっと顔を明るくして前に出た。


「ハロー、マイネェム河井莉乃、ナイストゥミートゥー」


「……とってもお上手なですね。思わず聞き惚れました、私より上手かもしれない」


「そんな……」


 と、絶世の美男子を前に言語を披露してみせた娘は俯き加減で照れくさそうにしている。

 どうやら、誠光のには気づいていないらしかった。


「よければ今度うちでも誕生日パーティーがありますので、顔だけでも出していただければ……」


「ええ、もちろん」


 お互いの名刺を交換し、誠光はほくそ笑んだ。

 日本での人脈作りも順調に進んでいる。

 新たなホテル建設の折には、十分役立つだろう。

 誠光は河井家に別れを告げると、多くの婦人や娘たちが惚けたように誠光の後ろを姿を見つめた。


 ーーああ、彼の恋人になれる人はいったいどんな女性シンデレラなのだろう、と。


 そんな熱い視線にも振り返ることなく、誠光は本パーティーの主役である友人に中座を詫びて、外で待たせている車へと向かう。

 黒のリムジンには既に秘書が待機しており、誠光の姿を見つけるなり深々と頭を下げた。

 白髪の髪を整髪料でしっかりと固めた生真面目な男の名は、相川新之助。

 ヨーロッパのあちこちを兼任していた誠光が来日することが決まってから、ずっとサポートしてくれている優秀な人材である。


「お疲れ様です、クロスフォード専務」


「すまない、ラヴリーな米語を聞かされていたものでね。時間には間に合いそうか?」


「問題ございません」


 誠光はリムジンに乗り込み、本社との会議の時間までを確認する。

 これからの日本でのホテル展開や、株式総会の準備などやることは山ほどある。


 幼い頃からの夢だった日本での生活。

 しかしその夢を堪能する暇なく、誠光・アーサー・クロスフォードは仕事に追われていた。


 ホテル・クロスフォードグループは世界各地のリゾート地や都市で五ツ星の高級ホテルを経営している子会社の1つで、親会社は父がまとめあげている不動産業である。

 誠光はこのホテル事業を担当しており、去年前では主にヨーロッパ諸国のホテルを担当していたが、今年に入り日本での配属を任された。

 ここ数年日本が観光立国としての立場を固めつつある中、よりその地盤を磐石にするため、とのことだった。


 特に新たに建設するホテルの土地に関しては、日々誠光の頭を悩ませている。

 現在建設地の有力候補に上がっているのは、毎年冬になると世界各国からスキー客がやってくる北海道のニセコ。日本の雪は質がよく、スキーシーズンになれば毎日ほぼ満室になるほどの収益が見込めるだろう。

 しかしデメリットとして冬以外は全てオフシーズンとなってしまい、冬に至っても飛行機が飛ばせないほどの大雪に見舞われてしまうと、大変な痛手になってしまうのだ。

 他の候補では沖縄や熱海などが挙げられているが、欧米からの観光客がメインのクロスフォードグループとは客層が異なる。


 誠光は車の窓から日本の春をぼんやりと眺め、盛大なため息をついた。


「いけませんよ、専務。幸せが逃げます」


「逃げるような幸せもないさ」


「日本に行けて嬉しい、幸せだと仰っていたではありませんか」


「こんなことならイギリスにいた時とさほど変わらないさ」


 どうやら疲労困憊らしい上司をバックミラー越しにちらりと見る。

 確かに憧れだった日本文化に触れる暇もなく仕事に追われ、イギリスとは違う環境に色々と疲れが溜まっているのかもしれない。


「専務、会議までまだ時間があります。少し散歩にでも出かけてみてはいかがでしょう?」


 散歩好きのイギリス人なら食いつくだろうと思い浮かんだアイデアに、誠光は仕事モードだった表情をほんの少し緩めた。


「スーツ姿の男が日本で昼間から歩いていたら捕まったりしないか」


「専務なら怪しまれませんよ。それに、今週末が桜の見頃です。この期を逃せば、来年まで桜はお預けですよ」


 桜はすぐに散ってしまいますからね、と相川が言添える。

 誠光はしばし考えたあと、近くの公園で降ろすように相川に命じたのであった。



◇◇◇



 誠光が降りたのは、鶯沢公園というそこそこ有名な桜の名所であった。

 せっかくならばと相川が気を利かせてくれたらしい。

 誠光は相川に車で待機を命じて、1人公園を散歩し始めた。

 日本は春休み真っ只中。

 大勢の花見客で公園は賑わいを見せていた。


(花見というか、これではただの宴会だな)


 桜の美しさに酔いしれるでなく、昼間から呑む缶ビールに酔いしれて寝転がっている人々を尻目に誠光はため息をついた。


 日本人はもっと謙虚な国民性だと思っていたのだが。

 先程のパーティーでも、女性達の誠光への好奇心と下心の眼差しは見るに耐えなかった。

 金と権力と美貌を持つ男には、脇目も振らず醜く争う姿は全世界共通らしい。

 日本に来ればそれも少しはマシになると思ったのだが、さほど変わり無かったようだ。


『日本にもう大和撫子はいねえから!』


 と言っていた日本の友人の言葉は本当だったのか。

 と、せっかくの散歩も台無しになるほどぐるぐる考え込んでいると、誠光は自分を見つめる視線に気がついた。


「あの、お兄さんって今暇ですか……?」

「よかったら、一緒に飲みません!?」


 どうやら、逆ナンというものらしい。

 誠光は大きくため息をつきたい気持ちをぐっとこらえ、


「ありがとう。これからの仕事がなければ、ご一緒させていただきたかったのだけれど」


 と、やんわりと断りを入れる。

 これでは心が休まらない。


 どこか、1人になれるような場所ーー。


 人がいなさそうな道を選び、誠光が辿り着いたのは。


 桜の妖精が、花と戯れている1本の桜の木の下であった。

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