第95話 本物のもつチカラ

 最近、二度ほど音楽に聴く機会がありました。


 一度目は、息子の小学校の音楽会です。小学校の行事は、まだ新型コロナの感染予防策をとっていて、学年ごと保護者を入れ替えて行われました。


 全校一斉に保護者を入れて行われていた頃は、児童1人につき保護者の席をひとつ確保することが精一杯で、夫婦そろって息子の勇姿(!)を見ることは叶わなかったのですが、5部制、6部制で行うことによって確実に席に座って音楽会を見物できるようになったのはよかったです。


 それにしても、いまどきの小学生はちゃんと先生の言いつけを守り、きちんと演奏したり、合唱したりできるんですねえ。感心しました。一年生の頃、ハーモニカ(わたしの子ども当時、小学校低学年の演奏する楽器はハーモニカでした)の吹き方で躓いたわたしは、楽器の演奏って魔法のように思っててて、演奏することは放棄してましたもん。


 あと、子どもたちが演奏したり、歌ったりしている曲がなにか分からなかったことにも驚きました。ってか、わたしが年をとって、いまどきの合唱曲を知らなすぎるんでしょう。笑


 もうひとつの音楽ネタは、県警音楽隊の演奏を聴く機会があったことです。わたしの働く自治体が主催するイベントにきてもらったのでした。この演奏が息子の音楽会の選曲とは対照的で……、昭和40年代から50年代の歌謡曲を中心に演奏してくれました。


 なにしろウチの自治体は地方都市。自治体の主催するイベントに参加してくれるのは、地域の自治会や婦人会、消防団などから動員のかかった人たちです。消防団はともかく、自治会や婦人会など、ほぼ老人会ですから、これがベストの選曲なんでしょう。県警音楽隊は聴衆のニーズを的確に掴んでいると感心しました。


 感心したのは選曲だけじゃなくて、音楽隊の出す「音」でした。本物なんですね音が。当たり前ですが。


 わたしの場合、音楽はスマホを介してイヤホンで聴くか、カーナビについているCD・DVDプレイヤーで聴くだけ。生演奏を聴くことってないんですよね――ということを思い知りました。音楽隊の演奏は「音」が違うんです。


 普段、わたしが聴いている音楽は、CDに録音するときや、音楽ファイルに変換するとき、あるいはスピーカーから出力されるときにカットされてしまう音域があるんでしょう。生演奏の音には、普段カットされている諸々の音がたくさん含まれているようで、わたしはメロディとかハーモニーとか以前の「音」そのものに感心したのでした。


 ――これが本物の音楽の力か。



 くどくどと門外漢の音楽について書きましたが、小説にも「本物の小説の力」のようなものがあるような気がしたんです。小説に生演奏はないので、ちょっと違うのですが、たとえばアイデアとかストーリー(プロット)とか小説を良くするものってあるじゃないですか。わたしもよく考えるんですけど、「おもしろいアイデアが湧かないかな」とか「どういうプロットで書けばおもしろくなるだろう」とか。


 でも、いくらいいアイデアがあっても、巧みなプロットを思いついても、それを表現する「言葉」が伴わないと。。。どういう言葉を使って書くかってことで悩んで書けなくなっているカクヨム作家さん多いんじゃないかなあ。


 って、ふと音楽を聴きながら思ったのでした。取り止めのないこと書いてしまいました。おやすみなさい。

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