第57話『ハンチバック』を読んだ感想
前々回、このエッセイで市川沙央さんの『ハンチバック』が芥川賞を受賞したことについて書いたところ、かしこまりこさんから「藤光のエッセイをみて読みました」「衝撃を受けました」的なコメントをいただきました。
――おー、まりこさん積極的。
――やべーな、まだ読んでねーよ。
ってことがありまして、作者の市川さんのワナビとしてのあり方も興味があったこともあって、『ハンチバック』読んでみました。
感想ですが……。
わたしにはとてもおもしろく感じました。いろいろと書きたいことが湧いてくるという意味ですごく楽しい小説です。
ただ、内容は「ゲゲッ」と嫌悪感を催しても無理のない性描写が続くので、下ネタ周りに免疫ない方にはまったく推奨できません。
以外、ネタバレしますので、ネタバレNGの方は読まないでください。
☆
冒頭、ハプニングバーに潜入取材する男性の手記として小説ははじまります――
ハプニングバーとは、性的にいろいろな嗜好を持つ男女が集まり客同士で突発的(性)行為を楽しむ、バー。ハプバーなどと略される。(Wikipediaの記事に藤光が一部加筆)
が、この男女のあけすけな性行為をリポートする記事、書いているのは性行為はおろか、恋人もいたこともない重度障害者「ミオチュブラーミオパチー」の主人公が、現地取材することなく、ネット情報をつきはぎして作ったコタツ記事でした。
主人公は、人工呼吸器と車椅子が手放せない重度障害者で、両親の建てたグループホームに住み、残してくれた遺産によって生活の保障はされているものの、先天性障害のために不自由な生活を強いられています。
できることと言えば、ネットでできることが中心で、性風俗のコタツ記事を上げたり、TL(ティーンズラブ)小説を上げたりして、小銭を稼いでは、慈善団体に寄付しています。自分は両親の遺産があるのでお金がほしいわけじゃないんですね。
主人公は先天性障害のせいでひどく体が曲がっているんですけど、それと相似するように性格も曲がって――これが「ハンチバック(せむし)」というタイトルに繋がっている――いて、いびつな欲求を抱くようになります。
『健常者の女と同じように妊娠したい』
『出産、育児は無理なので、妊娠したら中絶したい』
読者がふつうの神経の持ち主ならこの辺で本を閉じるでしょう。「いかれてる」と。が、ここが別れ道です。この先を読もうという人だけがこの小説の真価に気づく資格を与えられるのです。先へ進みましょう。
主人公が生活しているグループホームで働く介護士に田中という男がいます。物語の中盤で、どうやらこの田中という男が主人公に対して敵意を持っているということが分かります。
――障害者っていうだけで、おれに身の回りのケアをさせている。
――両親の残して遺産で優雅に暮らしている。貧乏なおれのことを見下している。
――おれだって金さえあれば、施設で障害者の入浴介助なんて仕事しない。
なんてことは作中書いてませんが、そんな感じのキャラクターです。
主人公は、あろうことかこの田中に対して「自分を妊娠させてくれ」「そうしてくれるなら1億5500万円あげる」と持ちかけるわけです。なぜ? こんなやつに? そんなえげつないことを! という展開です。
田中は主人公からの申し出を受けますが、結論として、主人公の願いが果たされることはありませんでした。田中のペニスを口淫するところまでは行ったんですけど、田中が口内に射精(作中「吐精」と記述されるのがなんとも切ないですね)してしまったの良くなかったのです。
主人公は人工呼吸器を利用するために気管切開している(のかな? その辺りあやふやです。)こともあって、ものを飲み込む能力が低く、精液を飲み下せないわけ。一部が気管に入って、命の危機にさらされます。喉が詰まって死ぬことはなかったのですが、そのために誤嚥性肺炎を発症して入院することになります。
主人公は妊娠することを諦めたわけではありませんでしたが、結局、田中との関係はそこまでで終わります。田中は主人公の切った1億5500万円の小切手を受け取ることなく主人公のグループホームを退職していった――というお話です。
最初読んだ時は、よく意味が分からず「なんなんじゃ、これは!」と思いました。『君たちはどう生きるか』よりわからんぞと。ですが、読み返してみると宮崎駿の映画より分かってきました。これは人としての尊厳の物語だと。
重度障害者である主人公は、その障害ゆえに人として扱われていないんですよね。常に介護されるべき無力な障害者としてホームの人から扱われていて、自身もそれを演じているわけ。
でも、障害があっても人間だから人間としての欲求があり、それは究極的には「同じ人として他者と関わりたい」ということだと思うんですね。藤光の読解では。
だから、ネットでは健常者のふりしてコタツ記事やエロ小説をアップしてるんですけど、それではもどかしい、なかなか満たされないでいる。
女性が「中絶したい」というのは、不道徳で不謹慎な意見表明ですが、主人公の場合、最大限そこまでなら人としてわたしも機能することができるんですという、切実な叫びだと思うんです。
ただ、グループホーム(彼女が関わることのできるリアル世界のすべて)の人は、主人公がそんなこと考えてるとは思っていないし、徹頭徹尾「重度障害者」、「先天性ミオパチーの気の毒な人」としか認識してなくて、彼女はそのことに絶望してます。
そこに現れたのが田中です。彼は先に書いたように主人公のことを憎み、蔑んでいます。ただ敵意をもつということは、主人公と同じ土俵の上に乗っている――人として憎み、蔑んでいる――ということに、主人公は田中とのやり取りの中で気づくんですね。
恋や愛などの感情は欠片も抱くことのできない田中に「妊娠したい」と持ちかける主人公の内心は凄絶です。愛などなくて構わない。金も十分に持っている。
――こいつなら、わたしが人間であることの証を見せてくれるかもしれない。
という希望。でも、その証明がなされることはありませんでした。オーラルセックスだけで死にかけた主人公を見るうちに、田中も「この女は障害者だ」「ひどいこと(この場合、妊娠させること)をするのは間違っている」と気づき、約束された大金を持ち去ることなく、グループホームを去ったのです。
田中の反応は、人として至極まっとうな行動である反面、主人公にとっては「またか!」という失望そのものです。渇望とダメージが大きかっただけに、その失望も大きく深い。
――そう、その憐れみこそが正しい距離感。
――私は、
こう読み解くと、最後の一文は涙なしに読めません。この小説を主人公と同じ病を抱える市川さんが書いていると知っていれば尚のことです。。。
*
以下はおまけのようなものですが、この小説、先に書いた文章の後に「*」マークが付いけられ、短いエピローグで締めくくられています。
このエピローグがちょっと曲者です。風俗店で働く若い女性のモノローグという形をとっているこの文章は、小説冒頭のコタツ記事と対になっているのですが、小説の内容と辻褄が合っていないように読めます。読むと「どういうこと?」ってなります。
蛇足じゃね?
うまくニュアンスが伝えられないのがもどかしいのですが、このそれまで読んできた部分が虚構(小説が虚構なのは当たり前ですが、虚構の中の虚構とでもいうべきものです)なのか、それともエピローグ部分を虚構と考えるのか、読者に判断を迫るような書いぶりに感じました。
これ……とても、エンタメ小説っぽい。ミステリ小説っぽいというか……最後の読者サービス? このエピローグに20年以上エンタメ小説賞に応募し続けてきた市川沙央さんの矜持を見たように感じるのは、同じくエンタメワナビであるわたし――藤光の思い込みでしょうかね。
最後に、この小説は性行為の描写が多いことを除けば、とても読みやすいです。市川さんがエンタメを書き続けてきたからか、文体が素直ですっと内容が頭に入ってきます。純文学を意識しているからなのか、分かるようで分からない比喩や、難しそうでセンスの良さげな言葉を選んで描写することがあり、そこに読みにくさを感じることもありますが、これは純文学を揶揄してるのかな〜と思って読むのも楽しいです。これは市川沙央さんによって、書かれなければならなかった物語だと思います。評価されて、本になって、芥川賞までとって、ほんとに良かったなと思いました。
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